第37話:『接触(タッチ)。痛みではなく、甘美な痺れを』
「い、いやぁぁぁッ! 痛いのは嫌ぁっ!!」
クレアは目をぎゅっとつぶり、首をすくめた。
彼女にとって「接触」とは、常に苦痛と同義だった。
服の縫い目が肌を擦るだけでヤスリのように感じ、他人の体温は火傷のように熱く感じる。ましてや、異性の、しかも魔力を持った手で直接触れられるなど、神経を引き千切られるような激痛が走るはずだった。
しかし。
「…………え?」
数秒経っても、予期していた痛みは訪れなかった。
代わりに、手首の接触点から、じんわりとした温かいものが流れ込んでくるのを感じた。
「痛くないだろ?」
シキの声が、不思議と耳に刺さらない。
いつもならハンマーで殴られるように響く男の低い声が、今はなぜか、水底で聞く音楽のように柔らかく聞こえる。
「な、なに……これ……?」
クレアはおそるおそる目を開けた。
シキの手から放たれる淡い光が、彼女の腕を包み込んでいる。
それは、皮膚の表面に薄い膜を形成し、外部からの刺激を遮断していた。
「神経絶縁。……お前の神経は感度が高すぎて、微弱な電気信号すらノイズとして拾っちまってる。だから、こうやって魔力の膜で一本一本カバーしてやるんだ」
シキは淡々と説明しながら、指先を滑らせた。
手首から肘、そして二の腕へ。
彼が触れた場所から順に、あの不快な「ヒリヒリ感」が消え、代わりにトロリとした甘い痺れが残る。
「あ……んぅ……」
クレアの唇から、今まで出したことのない艶っぽい吐息が漏れた。
痛くない。怖くない。
それどころか、長年張り詰めていた神経が強制的に緩められ、脳がふわふわと浮き上がるような浮遊感に襲われる。
「き、気持ち……いい……? なんで……?」
「過敏ってことは、快感に対する感度も人一倍ってことだ。痛みを遮断してやれば、接触は極上のマッサージに変わる」
シキはニヤリと笑い、もう片方の手で、彼女の細い首筋に触れた。
そこは、彼女が最も音に敏感な「耳」へと繋がる神経の束がある場所。
「ひゃっ!?」
「ここが一番辛かったろ。……常に工事現場にいるような耳鳴りがしてたはずだ」
シキの親指が、耳の後ろのツボを優しく、しかし確実に圧迫する。
「遮断。……静寂をくれてやる」
スゥン……。
その瞬間、クレアの世界から「雑音」が消えた。
風の音も、遠くの鳥の鳴き声も、自分自身の心音すらも。
残ったのは、目の前のシキの声と、彼の手から伝わる温もりだけ。
「あ……静か……」
涙が、彼女の瞳から溢れ出した。
生まれて初めて味わう、本当の静寂。
世界はこんなにも静かで、穏やかだったのか。
「シキ……さん……」
恐怖に強張っていた彼女の体から、力が抜けていく。
彼女は崩れ落ちるようにシキの胸に倒れ込んだ。
今度は、嫌悪感も痛みもない。
ただ、この温かい「フィルター」にもっと包まれていたいという、本能的な欲求だけがあった。
「頭が……ぼーっとするの……。もっと……もっと触って……」
薄いネグリジェ越しの体温が、熱を帯びていく。
最強の狙撃手は、もう弓を握ることすら忘れていた。
彼女は今、ただの「守られたがりの少女」として、シキの腕の中で甘い痺れに溺れていた。




