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第32話:『第三位「天弓の魔女」。5キロメートル先の拒絶』

 カンッ、カカカンッ!!

 ソフィアの展開する『重力障壁』に、絶え間なく透明な矢が突き刺さる。

 俺たちは渡り廊下の隅で身を寄せ合い、防戦一方の状況に追い込まれていた。


「……ありえないわ。ここから射線が通る場所なんてないはずよ」


 エミリアが焦燥した声で叫ぶ。

 彼女の探知魔法は、周囲数百メートルを完全にカバーしている。だが、反応はゼロ。

 つまり、敵はこの圏外から、障害物を迂回して正確に俺たちの眉間を狙っていることになる。


「……いや、一箇所だけある」


 俺は盾の隙間から、遥か彼方――学園都市の中心にそびえ立つ、巨大な建造物を見上げた。

 雲を突き抜けるほどの高さを持つ、旧校舎の『大時計塔』。


「あそこだ。距離にして約5キロメートル」

「5キロ!? そんな距離から狙撃なんて、物理的に不可能よ!」

「普通ならな。だが、学園には一人だけ、それを可能にする『風』がいる」


 俺は確信を持って断言した。

 学園序列第3位、『天弓の魔女スカイ・アーク』クレア・オライオン。

 彼女は入学以来、一度も授業に出ず、あの時計塔に引き籠もっているという噂の『生ける伝説ひきこもり』だ。


 キィィィィィン……。


 その時、俺たちの周囲の空気が甲高い音を立てて振動した。

 攻撃ではない。指向性を持った音波通信だ。


『――汚い』


 虚空から、鈴を転がすような、しかし氷点下の冷たさを持つ少女の声が響いた。


『呼吸音がうるさい。心臓の音が耳障り。……私の空気を揺らさないで』


 その声には、明確な敵意と共に、悲痛なほどの「不快感」が滲んでいた。


「クレア・オライオンか? 俺たちは敵じゃない。ただ通りかかっただけだ」


 俺が空に向かって呼びかけると、返答の代わりに風圧が増した。


『嘘つき。……貴方たちからは、ひどいノイズがするわ。泥のような情欲と、暴力的な魔力の振動……。ここにいるだけで、私の鼓膜が腐りそう』


 彼女は俺たちの存在そのものを「騒音」と断じた。


『寄らないで。私の半径5キロメートルは『静寂圏』よ。……それ以上一歩でも近づいたら、次は鼓膜を潰すわ』


 一方的な通告。

 そして通信は途絶え、再び殺意のこもった空気の矢が雨のように降り注ぎ始めた。


「くっ……! 交渉決裂ですね!」

 ソフィアが歯を食いしばり、盾を支える。


「……なるほどな。読めてきたぞ」


 俺は降り注ぐ矢を見ながら、小さく呟いた。

 彼女の異名『天弓』。それは超遠距離攻撃を意味するが、それを可能にしているのは『異常聴覚』だ。

 風使いは空気の振動を感知して周囲の状況を把握する。

 だが、クレアの場合、その感度がバグレベルに高すぎるのだ。


「あいつには、5キロ先の羽虫の羽音すら、耳元で鳴る爆音のように聞こえているんだ」


 想像を絶する感覚過敏。

 他人の話し声、足音、呼吸音。それら全てが彼女にとっては耐え難い騒音公害であり、拷問なのだ。

 だから彼女は、誰もいない時計塔のてっぺんに逃げ込み、周囲5キロを無人にするしかなかった。


「……辛いだろうな。世界中がライブハウスのスピーカーの前みたいなもんだ」


 俺の職人魂エンジニア・スピリットが、ピクリと反応した。

 それは性格の問題じゃない。明らかな『感覚受容回路センサー』の調整ミスだ。

 放置すれば、彼女はいずれ精神崩壊を起こすか、鼓膜を自分で潰すことになる。


「レナ、エミリア、ソフィア。……行き先変更だ」


 俺は時計塔を指差した。


「あの引き籠もりスナイパーを部屋から引きずり出すぞ。……あんな繊細めんどくさそうな耳、俺が調整チューニングしてやらなきゃ、安眠もできやしないだろうからな」


 見えない矢の嵐の中、俺たちは「学園一、静かで危険な場所」へと足を踏み出した。

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