第31話:『見えない矢。音もなく忍び寄る「風」』
ソフィアがパーティに加わって数日。
俺たちは学園の渡り廊下を歩いていた。
「……ねえ、ソフィア。ちょっと距離が近くない?」
「護衛対象との距離は密接であるべきです。これが最も効率的なフォーメーションですから」
レナがジト目で指摘するが、ソフィアは涼しい顔で俺の右腕にぴたりと張り付いている。
身長180センチ近い長身の彼女が俺に寄り添う姿は、まるで大型犬が飼い主にじゃれついているようだ。反対側にはエミリアも張り付いているため、俺は非常に歩きにくい。
「おい、離れろ。暑苦しい」
「我慢してシキ。……私の『重力センサー』が、さっきから妙な反応を拾っているの」
不意に、ソフィアの声色が鋭くなった。
甘えた雰囲気は消え、風紀委員長としての警戒色が瞳に宿る。
「反応? 敵か?」
「分かりません。質量反応がない……いえ、希薄すぎるのです。まるで『空気』そのものが敵意を持っているような――」
その時だった。
ヒュッ。
風が吹いた。
ただそれだけのことだった。音もなく、殺気もなく、初夏の風が頬を撫でただけ。
だが。
「――っ?」
ツゥ……と、俺の頬に熱い液体が走った。
指で拭うと、鮮やかな赤。
血だ。
「シキ!?」
「切り傷……? いつの間に!」
レナとエミリアが驚愕する。
俺ですら、斬られた瞬間の感覚がなかった。痛みよりも先に、皮膚が裂けていた。
「展開ッ!!」
ソフィアが叫び、即座にタワーシールドを構えて俺の前に躍り出る。
ドォンッ! と重力障壁が展開された、その刹那。
カンッ! カカカカカカッ!!
何かが、障壁に激突する音が連続して響いた。
火花が散る。
だが、何も見えない。
弾丸も、魔法の光も、矢も見えない。
「な、何!? どこから撃ってきてるの!?」
「上です! ……いえ、右!? 全方位!?」
ソフィアが盾を巧みに操り、見えない攻撃を弾き続ける。
彼女の『重力障壁』がなければ、俺たちは今頃、細切れ肉になっていただろう。
「……くっ、重い。一撃一撃が、圧縮された鉛のようです」
ソフィアが眉をひそめる。
俺は目を凝らし、盾の表面を見た。
そこには、弾かれた「何か」の残骸が張り付いていた。
すぐに霧散して消えていくが、それは確かに――。
「……空気の塊か」
俺は呻いた。
真空の矢。あるいは、極限まで圧縮された空気の弾丸。
透明で、音速を超え、魔力の光すら発しないステルス攻撃。
「解析不能。射手の位置が特定できません!」
エミリアが焦燥の声を上げる。
彼女の広域探知魔法ですら、敵の居場所を掴めない。
それはつまり、敵がこの探知圏外――数キロメートル先から、俺の頬の薄皮一枚を狙撃したことを意味する。
「……冗談だろ。そんな芸当ができるのは、この学園に一人しかいない」
俺は冷や汗を拭った。
風属性の頂点。
音もなく忍び寄り、姿を見せずに標的を仕留める、『見えざる死神』。
「全員、ソフィアの後ろから出るな! 風が止むまで動くんじゃない!」
再び、ヒュッという音が鼓膜を掠める。
ソフィアの盾に、深々と透明な矢が突き刺さった。
見えない照準は、確実に俺たちの眉間に合わされている。




