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第26話:『温泉ハプニング。指圧は剣よりも強し』

大浴場に充満する湯気が、俺の視界を白く染めていた。


ダクトから撤収しようとした、その瞬間だった。


「……っ」


湯船から立ち上がろうとしたソフィアの足が、ふらりとよろめいた。


長時間の入浴によるのぼせと、極限の疲労。


鉄壁の委員長の平衡感覚が、一瞬だけ失われる。


「危ないッ!」


思考するより先に、体が動いていた。


俺はダクトの格子を蹴破り、湯気の中へと飛び降りた。


水音と共に、倒れ込みそうになったソフィアの濡れた体を、正面から抱き止める。


バシャァァンッ!!


「……え?」


ソフィアが呆然と目を見開く。


目前には、光学迷彩が解け、ずぶ濡れになった作業着の男――俺がいる。


状況は最悪だ。


裸の風紀委員長を、侵入者の男が抱きしめている。


弁解無用。即時処刑確定のシチュエーション。


(……硬い)


だが、俺の脳裏をよぎったのは、恐怖でも色欲でもなかった。


掌に伝わる、彼女の肩の感触だ。


白い肌の下にある僧帽筋が、まるで鋼鉄の装甲板のようにガチガチに強張っている。


魔力循環の要所ツボが完全に塞がり、悲鳴を上げているのが触っただけで分かった。


「貴様……なにを……!」


ソフィアの瞳に殺意が宿る。


彼女が悲鳴を上げるか、俺を殴り飛ばそうと腕を上げた、その時だ。


「ここだろ。一番辛いのは」


俺の親指が、勝手に動いた。


彼女の首の付け根、僧帽筋と肩甲挙筋の交差する「魔力断層点」。


そこに、全体重と魔力を乗せた親指を、容赦なくねじ込んだ。


「――あひぃっ!?」


殺意に満ちた怒声になるはずだった声が、裏返って情けない悲鳴に変わった。


ビクンッ! とソフィアの体が跳ね、俺の腕の中で脱力する。


「な、に……!? い、痛い、けど……なにこれぇ!?」


「呼吸を止めろ。一気に流すぞ」


俺はさらに深く、凝り固まった岩盤を粉砕するように指を沈める。


ゴリゴリ、と音を立てて、滞っていた魔力の奔流が駆け巡る。


「あ、あがっ、んぅぅぅッ! そ、そこぉ! 入ってくるぅ……ッ!」


ソフィアは白目を剥きかけ、俺の作業着をギュッと掴んだ。


激痛。しかし、その直後に訪れる、脳が溶けるような開放感。


鉛のように重かった右肩が、嘘のように軽くなっていく。


「……よし。まずは右側、開通だ」


俺がパッと指を離すと、ソフィアは膝から崩れ落ち、湯船の中にへたり込んだ。


彼女は自分の右肩をさすり、信じられないものを見る目で俺を見た。


「う、嘘……。軽い……。あんなに重かったのに、感覚がないくらい軽い……」


彼女は呆然と右腕を回す。


ギシギシと鳴っていた関節が、無音で滑らかに動く。


だが、すぐに彼女の理性が再起動した。


「……ハッ!?」


彼女は自分が全裸であること、そして目の前にいるのが指名手配中の技師であることを思い出した。


カァァァッ、と彼女の顔が茹でダコのように赤くなる。


「き、貴様ぁぁぁぁッ!! 侵入した挙句、私の体に何をしたぁぁぁッ!!」


「何って、応急処置だ。……残りの左肩もやりたかったが、時間切れだな」


大浴場の警報が鳴り響く。


俺は苦笑いし、煙玉を床に叩きつけた。


「お代はツケといてくれ、委員長! その肩、完治させたきゃ俺の店に来な!」


「待てェェェッ!! 変態ッ!!」



数分後。


学園全域のスピーカーから、ソフィアの震える、しかし怒りに満ちた放送が流れた。


『――緊急連絡。設備保全科のシキを、最重要指名手配犯に指定します! 罪状は不法侵入、および……風紀委員長に対する卑猥な身体接触マッサージ!』


放送室のマイクの前で、ソフィアは真っ赤な顔で叫んでいた。


だが、その手は無意識に、軽くなった右肩を愛おしそうに撫でていた。


「……覚えてなさいよ。こんな中途半端に『気持ちよく』しておいて、逃げられると思うな!」


最強の盾を持つ彼女の心に、「もっとほぐしてほしい」という小さな、しかし致命的な隙が生まれた瞬間だった。

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