第24話:『撤退戦。魔女の身体は悲鳴を上げている』
ドォォォォンッ!!
背後で地面が陥没する音が響く。
「はぁ、はぁ……! あいつ、なんなのよ! 化け物じゃない!」
「ちょっと、揺らさないでよ! 私、走るの苦手なのよ!」
俺たちは地下配管の迷路を全力で疾走していた。
レナが先頭で炎を灯し、俺がエミリアを米俵のように担いで走る。
あの『重力障壁』の前では、これ以上の戦闘は無意味だと判断し、煙玉を使って強引に離脱したのだ。
幸い、ソフィアの魔法は「重力」という特性上、高速移動には向かない。追撃の足音は遠ざかっていた。
†
「……クソッ。手も足も出なかったわ」
なんとか工房に戻ったレナは、悔しそうにパイプ椅子を蹴り飛ばした。
エミリアも優雅さは消え失せ、ゼェゼェと息を切らしてソファに倒れ込んでいる。
「あの防御……反則よ。私の多重魔法が、障壁に触れた瞬間に霧散するなんて。魔法の理屈を超えてるわ」
「物理法則の暴力だな。空間ごと圧縮されたら、どんな魔法も形を保てない」
俺は冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、二人に投げ渡した。
そして、ホワイトボードに向かい、ソフィアの戦闘データを書き出し始める。
「だが、無敵じゃない。……あいつの体は、既に限界を超えている」
俺の言葉に、二人が顔を上げる。
「限界? 傷一つなかったじゃない」
「外見はな。だが、中身はボロボロだ」
俺はホワイトボードに人体図を描き、肩、首、腰、膝の関節部分を赤く塗りつぶした。
「いいか。彼女の『重力障壁』は、自分の周囲の空間密度をねじ曲げて防御している。これは、彼女自身が常に『高重力プレス機』の中にいるようなものだ」
「えっ……?」
「作用反作用の法則だ。外部からの攻撃を弾くほどの重力を発生させれば、その反動(負荷)は術者の肉体にかかる。彼女は立っているだけで、常に数百キロの重りを全身に背負っている状態なんだよ」
レナが息を呑む。
24時間、寝ている時も、食事の時も、全身に鉛のスーツを着て生活しているようなものだ。
常人なら数分で骨が砕ける。彼女はそれを魔力強化した筋肉と、鋼のような精神力だけで耐えているに過ぎない。
「戦闘中、俺はずっと彼女の『微細な動き』を見ていた」
俺は目を細め、あの時のソフィアの立ち姿を思い出す。
「首を回す時の、わずかな引っかかり。
盾を握る指の、血の気が引くほどの強張り。
そして何より、眉間に刻まれた深い皺……あれは、慢性的な偏頭痛のサインだ」
完璧に見える風紀委員長。
だが、その鎧の下の素肌は、極限まで凝り固まり、血流は滞り、神経は悲鳴を上げているはずだ。
岩のように硬くなった僧帽筋。
軋む頸椎。
鉛のように重い腰。
「……うわぁ。想像しただけで肩が凝ってきた」
エミリアが自分の肩をさする。
「でしょ? 普通の神経なら発狂してる。あいつは『風紀を守る』という執念だけで立ってるんだ」
俺はペンを置き、自分の両手をグーパーと開閉させた。
職人の血が騒ぐ。
目の前に「整備不良でギシギシと音を立てている高性能マシン」があるのに、指を咥えて見ているわけにはいかない。
「あれじゃあ、いい仕事はできない。……俺なら、もっと軽くしてやれるのに」
俺の呟きに、レナがジト目を向けた。
「……シキ? その顔、なんか嫌な予感がするんだけど」
「ん? いや、純粋な技術的興味だ」
俺はニヤリと笑った。
「あいつの装甲をこじ開ける必要はない。向こうから『脱がせてください』と言わせてやる」
「はあ!? アンタまた変なこと考えてるでしょ!」
「作戦名は『重力解放マッサージ』だ。……ガチガチに凝り固まった風紀委員長を、骨の髄までトロトロにほぐしてやる」
俺は工具箱から、特製の「高浸透圧・魔力緩和オイル」を取り出した。
ソフィア・ガードナー。
お前のその重い肩の荷、俺が下ろしてやる。……もちろん、たっぷりと代償は払ってもらうがな。




