第20話:『序列5位、陥落。面倒な「妹分」が増えました』
保健室のカーテンが、爽やかな風に揺れていた。
つい先ほどまで、狂気と氷雪の嵐を巻き起こしていた場所とは別世界のようだ。
「……んぅ」
ベッドの上で、エミリア・ヴァイスが目を覚ました。
その顔色は、驚くほど良かった。
以前のような青白さは消え、頬には健康的な赤みが差し、肌は湯上がりのように艶々としている。
長年彼女を蝕んでいた『拒絶反応』の悪寒が、完全に消滅している証拠だった。
「目が覚めたか、エミリア」
パイプ椅子に座って本を読んでいた俺が声をかけると、彼女はとろんとした瞳でこちらを見た。
そして、ふわりと微笑んだ。
「おはよう、シキ。……体が、軽いわ。まるで羽が生えたみたい」
「そりゃそうだ。お前の回路に詰まってた産業廃棄物レベルのゴミを、全部洗い流したんだからな」
「うん……覚えてる。シキの指が、奥の奥まで入ってきて……すごく、気持ちよかった」
エミリアは両手で自分の体を抱きしめ、うっとりと身悶えした。
その姿に、隣で腕組みをして仁王立ちしていたレナが、堪えきれずに噛みついた。
「ちょっと! いけしゃあしゃあと何言ってるのよ! アンタ、負けたのよ!? 分かってる!?」
レナの怒声に、エミリアはようやく彼女の存在に気づいたように顔を向けた。
だが、以前のような殺意はない。あるのは、どこか余裕のある「慈愛(という名のマウント)」の眼差しだった。
「ええ、分かっているわ。私の完敗よ、レナさん」
「だ、だったら約束通り、シキには二度と……」
「だから、言うことを聞くことにしたわ」
エミリアはベッドから降りると、ぺたぺたと裸足で歩み寄り、自然な動作で俺の腕にしがみついた。
「これからは毎日、私のメンテナンスもしなさい。拒否権はないわよ?」
「はああああぁぁぁぁ!?」
レナが絶叫した。
俺も眉をひそめる。
「おい。話が違うぞ。負けたら俺の『所有権』は諦めるんじゃなかったのか」
「ええ、諦めるわ。貴方の『所有権』は、そこの火力馬鹿さんに譲ってあげる」
エミリアは俺の腕に頬ずりしながら、悪びれもせずに続けた。
「でも、『使用権』は別よ。共有しましょ」
「し、使用権……!?」
「だって、一度あんな極上の『洗浄』を味わってしまったら、もう他の技師じゃ満足できない体になっちゃったんだもの」
彼女は上目遣いで俺を見つめる。その瞳は、完全に「餌付けされた猫」のそれだった。
「私の体は、定期的にシキが触ってくれないと、またゴミが溜まって壊れちゃうわ。……壊れてもいいの? 学園の貴重な戦力である序列5位が、廃人になっても?」
「……脅しかよ」
「お願いよ。……お兄ちゃん(・・・・)」
ズドン。
その破壊力抜群の猫なで声に、俺は思わず天を仰いだ。
この女、プライドを捨てて「妹キャラ」という新たな生存戦略に切り替えてきやがった。
「ふ、ふざけないでよ!」
レナが俺のもう片方の腕を引っ張り、エミリアを引き剥がそうとする。
「序列5位ともあろうものが、私たち下位ランカーのパシリになるわけ!? 恥ずかしくないの!?」
「パシリじゃないわ。私はシキの『顧客』よ。それに、貴女たちの後ろ盾になってあげると言ってるの」
エミリアは涼しい顔でレナを見下ろした。
「貴女たち、今回の騒動で目立ちすぎたわ。これから上位ランカーたちがこぞって潰しに来るでしょうね。……私の派閥に入れば、私が守ってあげられるわよ?」
「ぐぬぬ……」
正論だ。
レナは悔しそうに唸るが、反論できない。
エミリア・ヴァイスという最強の盾が味方につくメリットは計り知れない。
「それに、シキの手は二本あるもの。貴女が右なら、私は左。仲良く使いましょう?」
「誰が仲良くなんて……!」
ギャーギャーと騒ぐ二人の美少女に挟まれ、俺は深くため息をついた。
右には直情型の暴走機関車。
左には依存体質のメンヘラ冷蔵庫。
どちらも、定期的な「濃厚メンテナンス」が必須の欠陥品だ。
「……面倒なことになりやがった」
俺は天井を見上げた。
静かな職人生活を送るはずが、いつの間にか「学園最強の問題児たち」の専属整備士になってしまったようだ。
「おい、二人とも。くっつくな、暑いし寒い」
「「やだ!」」
声が重なる。
こうして、俺のパーティに「序列5位」という、とてつもなく重い荷物が追加されたのだった。




