第2話:『その指先は、灼熱さえも快楽に変える』
俺の指が、レナの胸の中央――『焦熱核』の直上にある回路紋に触れた瞬間、世界が反転した。
(……酷いスパゲッティコードだ。よくこれで今まで生きてこれたな)
俺の脳裏に、彼女の体内を流れる魔力パスが青写真として展開される。
本来なら整然と流れるべきマナが、絡まり合い、結び目を作り、出口を求めて暴れまわっている。
まるで、出口の塞がれた圧力鍋だ。
俺は『虚数回路』を通して、自分自身を一つの「バイパス(迂回路)」として機能させる。
彼女の体内で飽和し、行き場を失った致死量の熱エネルギーを、俺の回路へと引き込む。
だが、ただ引き受けるだけでは俺が焼け死ぬ。
だから、変換する。
――術式展開。エネルギー変換定義:『熱量』to『快楽物質』。
これは俺が独自に編み出した、オーバーヒートに対する緊急冷却術式だ。
暴走するエネルギーを、脳を麻痺させ、痛覚を遮断するための電気信号――すなわち、強烈な快感へと書き換えて放電する。
「あ……ぅ、あっ、あぁぁあっ!?」
俺の腕の中で、レナの体が弓なりに跳ねた。
苦痛に歪んでいた表情が崩れる。瞳孔が開き、白目がちになりながら、喉の奥から艶めかしい悲鳴が迸る。
「熱い、のが……抜けて……なに、これ、すごい……っ!」
「喋るな。舌を噛むぞ」
俺は冷静に、さらに指を深く沈める。
物理的には肌に触れているだけだが、感覚的には彼女の内臓や神経を直接撫で回しているに等しい。
詰まったバルブをこじ開け、錆びついたパイプを磨き上げる。
そのたびに、レナの体はビクビクと痙攣し、俺の作業着を握りしめる指に力がこもる。
「だめ、そこ、そんなに流されたら、あたま、おかしく……っ!」
「我慢しろ。まだ6割だ」
周囲の野次馬たちが、呆然とこちらを見ているのが視界の端に映る。
彼らには、俺が炎の中で少女を抱きしめているようにしか見えないだろう。まさか、俺が彼女の神経系をハッキングし、脳髄を焼き切れるほどの快感でレイプ(・・)しているとは思うまい。
いや、人聞きの悪い言い方はやめよう。
これは、あくまで救命措置だ。
「んぅ、あぁぁぁぁッ――!!」
最後の詰まり(バグ)を取り除いた瞬間、レナの全身から力が抜け、カクンと俺の肩にもたれかかった。
同時に、周囲を焼き焦がしていた紅蓮の炎が、嘘のように霧散していく。
「……冷却、完了」
俺はふぅ、と息を吐き、ぐったりと気絶した彼女を抱え上げた。
重いな。整備不良の機械ほど重く感じるものはない。
†
保健室の白い天井が見えた。
レナ・バーンハートは、消毒液の匂いで目を覚ました。
「……私、生きてる?」
恐る恐る、自分の体を抱きしめる。
いつもなら、目覚めた瞬間から体の芯がじりじりと熱い。自分の魔力が常に体内でくすぶっている感覚。それが当たり前だった。
けれど、今は――。
「……嘘。涼しい」
軽い。まるで羽が生えたように体が軽い。
血管を流れる血液の温度さえ、心地よく感じる。生まれて初めて味わう「平熱」の感覚。
夢じゃない。
だとしたら、あの時。あの炎の中で、誰かが私の胸に触れて……。
ドクン、と心臓が跳ねた。
記憶がフラッシュバックする。
焦げるような熱さが、一瞬にして、脳みそが溶けるような甘い痺れに変わった感覚。
体の奥の奥、自分でも触ったことのない場所を、太い指でかき回されたような――。
「ひゃうっ!?」
思わず変な声が出た。
カァァァッ、と顔が一気に沸騰する。
私、あんな大勢の前で、あんな声を出して、あんな顔をして……イッちゃったの!?
「……おい。急に発熱するな。せっかく調整したのに台無しだぞ」
ベッドの脇から、呆れたような低い声が聞こえた。
バッと顔を向けると、丸椅子に座って分厚い工学書を読んでいる男がいた。
薄汚れた作業着。無精髭。目つきの悪い、死んだ魚のような瞳。
間違いない。あの時、炎の中に入ってきた「保全科」の男だ。
「あ、アンタ……!」
「シキだ。礼はいらん。治療費は学園の設備修繕費で落としておく」
「そうじゃなくて!」
レナはシーツを胸元まで引き上げ、叫んだ。
羞恥と混乱でパニック寸前だった。
「アンタ、私の体に何をしたのよ!?」
レナの問い詰めに対し、シキと呼ばれた男は、本をパタンと閉じて面倒くさそうにこちらを見た。
まるで、壊れたトースターを見るような目だった。
「何って。詰まっていた魔力経路を開通させ、循環効率を最適化しただけだ。お前の『焦熱核』は出力が高すぎる割に排熱機構がザルだったからな。余剰エネルギーを神経系にバイパスして放電させた」
「ば、ばいぱす……?」
「要するに、熱くなる前に気持ちよくさせて発散させたってことだ」
「なっ……!?」
あまりに明け透けな物言いに、レナは言葉を失う。
こいつ、デリカシーというものが回路に搭載されていないのか。
けれど、悔しいことに体は正直だった。
彼と目が合うだけで、胸の奥の刻印が疼く。あの指先の感触を思い出して、太腿が勝手に擦り合わさりそうになる。
「さ、最低っ! 変態! セクハラ技師!」
「人聞きの悪いことを言うな。俺はただのメンテナンスをしたまでだ」
シキは立ち上がり、無表情のままレナのベッドに近づいた。
ヒッと身構えるレナの頬に、彼は無造作に手を伸ばす。
ビクッと肩が跳ねるが、彼の手はただレナの額に触れ、熱を測っただけだった。
「……よし。熱は下がってるな。しばらくは安定するはずだ」
その手は、無骨で大きくて、少しだけ油の匂いがした。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
それどころか、彼に触れられている箇所だけが、世界から切り離されたように安らぐのを感じてしまう。
「あ……」
「じゃあな。二度と爆発させるなよ。掃除が面倒だ」
シキはそれだけ言い残し、背を向けて歩き出した。
その背中を見送りながら、レナは呆然とする。
自分の命を救い、あんな恥ずかしい思いをさせておいて、まるで壊れた蛇口を直した配管工のような態度。
去り際、シキは独り言のように呟いた。
「……ま、いい感触の回路だったけどな」
バタン、と扉が閉まる。
静寂が戻った保健室で、レナは真っ赤な顔で枕に顔を埋め、足をバタバタさせた。
「な、なによあいつぅぅぅぅぅッ!!」
最強の「欠陥品」と、魔力ゼロの「調律師」。
二人の契約が結ばれるのは、もう少し先の話である。




