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第19話:『緊急メンテナンス。空白を埋める「洗浄」』

 俺がエミリアを抱きしめた瞬間、世界を覆っていた暴風が、嘘のように凪いだ。


「――接続アクセス。対象:エミリア・ヴァイス。術式:全領域初期化フル・フォーマット


 俺は彼女の背中に手を回し、脊髄に沿って走るメイン回路バックボーンに指を深く沈めた。

 衣服越しではない。魔力的な意味で、俺の指は彼女の神経と融合している。


「あ、あっ……! 入って、きた……っ!」


 腕の中で、エミリアがビクリと跳ねた。

 俺の『虚数回路』が、彼女の体内を蝕んでいた膨大な「ゴミデータ」を認識する。

 数百、数千の他人の魔力残滓。それらが彼女の自我を圧迫し、回路を目詰まりさせている。

 まるで、ヘドロで埋め尽くされた水路だ。


「よくもまあ、こんなになるまで溜め込んだもんだ」


 俺は呆れながらも、作業を開始する。

 『洗浄クリーニング』。

 俺の虚無の魔力が、彼女の回路を駆け巡り、こびりついた他人の痕跡を根こそぎ剥がし、中和し、消去していく。


 ズズズッ……と、彼女の体から黒い霧のようなものが排出されていく。


「ひぐっ、ぁ、あぁぁぁ……ッ!!」


 エミリアがのけぞり、俺の背中に爪を立てた。

 それは激痛ではない。

 長年、彼女を苦しめてきた「寒気」と「吐き気」が、熱いシャワーで洗い流されるような、極上の開放感だ。


「すごい……抜ける、抜けてく……! 嫌なもの、全部……!」

「暴れるな。まだ深層領域ディープ・エリアが残ってる」


 俺はさらに深く、彼女のコアに近い部分へと侵入する。

 そこは、彼女が意固地になって守っていた、誰にも触れさせなかった聖域。

 だが、今の彼女に拒絶する力はない。いや、むしろ自ら扉を開いて、俺を招き入れている。


「シキ、シキぃ……! もっと、もっと奥まで……綺麗にしてぇ……ッ!」


 エミリアは涙と涎で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺にしがみついた。

 その瞳はトロンと蕩け、焦点が合っていない。

 公衆の面前? 序列5位のプライド?

 そんなものはもう関係ない。今の彼女は、ただの「メンテナンスを待ちわびていた機械」だ。


「あ、そこっ、そこすごいのぉッ! 脳みそ、洗われちゃうぅぅぅッ!!」


 俺が最後の一欠片――最も根深いノイズを除去した瞬間。

 エミリアの体から力が抜け、完全に俺に寄りかかった。


「……はぅ、あ……」


 彼女の口から、魂が抜けたような甘いため息が漏れる。

 体温は正常。脈拍は安定。回路内の不純物、ゼロ。

 彼女の体は、生まれたての赤子のように真っ白な状態クリーン・インストールに戻っていた。


「……完了だ」


 俺は腕を緩めた。

 エミリアはその場にヘナヘナと崩れ落ちる。

 地面に座り込んだ彼女は、恍惚とした表情で空を見上げ、ピクピクと余韻に浸っていた。

 その顔は、誰が見ても「完全にキマってしまった」女の顔だった。


「…………」


 闘技場を包む、完全な静寂。

 観客も、審判も、何が起きたのか理解できず、ただその光景に呑まれていた。

 最強の魔女が、一人の男の手によって骨抜きにされ、無力化された瞬間。


 やがて、審判長がおずおずと手を挙げた。


「エ、エミリア・ヴァイス選手、戦闘不能! よって、勝者……レナ・バーンハート!」


 ワァァァァァァッ!!

 遅れてやってきた歓声。

 だが、その歓声は「勝者」への称賛よりも、「あいつら何者だ?」という畏怖と興奮が混ざったものだった。


「……はぁ。また目立っちまったな」


 俺はため息をつき、エミリアをそこに放置して(これ以上触るとレナが怖い)、レナの元へと歩み寄った。

 レナは瓦礫の上で立ち尽くし、複雑そうな顔で俺を見ていた。


「……勝った、のよね? 私」

「ああ。文句なしの勝利だ」

「なんか、スッキリしない勝ち方だけど……」


 レナはチラリと、まだ地面で「あへぇ」となっているエミリアを見て、頬を膨らませた。


「……あんな顔させちゃって。やっぱりアンタ、手つきがいやらしすぎるのよ」

「性能維持のためだ。他意はない」

「嘘つき。……あとで私にも、しっかり『上書き』してよね」


 レナは俺の袖をギュッと掴んだ。

 嫉妬と独占欲。そして勝利の安堵。

 こうして、シキの所有権を巡る「序列戦」は、誰も予想しなかった形で幕を閉じた。


 だが、これはまだ嵐の序章に過ぎない。

 洗浄されたエミリアが、正気に戻った時――彼女の依存がどう変質するか、俺はまだ知らなかった。

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