第18話:『システムダウン。氷の心が溶ける時』
警告音が、エミリアの頭の中で鳴り響いていた。
『警告。不明なデータを受信。解析不能。』
『警告。内部温度上昇。規定値を突破。冷却システム、応答なし。』
「やめて……入ってこないで……!」
エミリアは頭を抱え、フィールドの中央で悲鳴を上げた。
レナからコピーし続けてきた『感度増幅粘着炎』。その中に仕込まれていたシキの魔力パターン(快楽信号)が、彼女の脳髄を埋め尽くしていく。
本来、彼女の体は他人の魔力を「異物」として認識し、強烈な寒気(拒絶反応)で排斥しようとする。
だが、今の異物は違う。
かつて彼女が最も愛し、渇望していたシキの温もりを模している。
だから、体は拒絶しながらも、同時に貪欲に求めてしまうのだ。
「寒いの……でも、熱い……! 気持ち悪いのに、気持ちいい……ッ!」
矛盾する二つの感覚が衝突し、彼女の精神を引き裂いていく。
バチバチッ!!
彼女の体から、制御不能になった魔力がスパークした。
炎、氷、雷、風。
彼女が過去にストックしていた数多の魔法が、脈絡なく暴発を始める。
「あ、あぁぁぁぁぁぁッ!!!」
ドガァァァンッ!!
エミリアを中心に、破壊の嵐が巻き起こった。
足元の地面が凍りついたかと思えば、次の瞬間にはマグマのように溶解し、天井には雷雲が発生して雷を落とす。
もはや戦闘ではない。ただの災害だ。
「きゃあぁぁっ!?」
レナが爆風に煽られ、吹き飛ばされる。
観客席からは悲鳴が上がり、審判団が慌てて結界の強化に走る。
「試合中止! 選手は制御不能だ! 直ちに結界を最大出力へ!」
「ダメです! 内部のエネルギー密度が高すぎて干渉できません!」
阿鼻叫喚の中、エミリアは瓦礫の中で膝をつき、ガタガタと震えていた。
その瞳から、理性の光は完全に消えていた。
あるのは、壊れた玩具のような絶望だけ。
「こわい……こわいよぉ……」
彼女は幼児退行を起こしていた。
最強の魔女としての仮面が剥がれ落ち、ただの孤独な少女に戻ってしまっていた。
「誰か……助けて……。壊れちゃう……私が、溶けちゃう……」
彼女は虚空に手を伸ばす。
その指先は、誰を求めているのか。
「シキ……。シキぃ……」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、彼女はかつての担当技師の名前を呼んだ。
「寒いよ……怖いよ……。直して……また、あの手で、私を綺麗にしてよぉ……ッ!」
その悲痛な叫びは、轟音の中でも、はっきりと俺の耳に届いた。
「――チッ」
俺は舌打ちをした。
想定以上だ。俺が仕込んだウイルスと、彼女の依存心が化学反応を起こし、完全に回路が焼き切れる寸前までいっている。
このまま放置すれば、彼女は自分の魔力で自壊し、二度と魔法を使えなくなる――いや、廃人になるだろう。
俺は工具ベルトを締め直し、フィールドへのゲートに足をかけた。
「おい! 君、何をする気だ! 今入ったら死ぬぞ!」
審判の教官が俺の肩を掴んで静止する。
「離せ。あいつを止められるのは俺だけだ」
「バカを言うな! あれはもう人間の手には負えん! 特殊部隊の到着を待つんだ!」
「待ってたら、あいつの脳みそが沸騰して焼きプリンになっちまうんだよ」
俺は教官の手を振り払い、結界の裂け目へと飛び込んだ。
「シキ!?」
レナが叫ぶ声が聞こえる。
俺は暴風の中を突き進む。
飛んでくる氷塊を紙一重でかわし、炎の壁を『虚数回路』の干渉で強引にこじ開ける。
熱い。痛い。
だが、そんなものはどうでもいい。
目の前で、俺の「元・顧客」が壊れかけている。
技師として、男として、これを見過ごせるほど俺は賢くない。
「エミリア!」
暴走の中心。
雷光の中でうずくまる少女の元へ、俺は滑り込んだ。
「あ……シ、キ……?」
エミリアが顔を上げる。
その瞳が、俺を捉えた瞬間。
「……遅いよ、バカ」
彼女は力なく笑い、そして意識を手放した。
俺は倒れ込む彼女の体を、正面から抱き止めた。
「ああ、悪かったな。……残業の時間だ」
俺の腕の中で、彼女の体は高熱を発しながらも、氷のように震えていた。
最悪のコンディションだ。
だが、直せる。俺なら、直せる。
審判の笛など聞こえない。
ここからは、俺と彼女だけの緊急メンテナンス(オペ)だ。




