第12話:『元専属技師の告白。彼女が捨てられた理由』
「――来なさい、シキ。貴方がいるべき場所は、地下の掃き溜めじゃないわ」
エミリアが白い手袋をした手をかざすと、空間から無数の「氷の鎖」が出現した。
それはかつて、彼女が倒した氷結魔導士から模倣した魔法だ。
鎖は蛇のようにうねり、シキの四肢を拘束しようと襲いかかる。
「させるか!」
割って入ったのはレナだった。
彼女が掌を突き出すと、紅蓮の炎が爆発し、氷の鎖を瞬時に蒸発させる。
ジューッという音と共に、廊下に白い霧が立ち込める。
「私のパートナーに何すんのよ! 力ずくで連れて行く気!?」
「パートナー?」
エミリアは霧の向こうで、冷たく嗤った。
その笑みは、無知な子供を嘲るような、絶対的な優位性に満ちていた。
「笑わせないで。貴女、その男の正しい使い方を知っていて? その指がどこに触れれば一番効率が良いか、どの深さまで侵入すれば脳が溶けるか、理解しているの?」
「な……っ!?」
「私は知っているわ。彼の指の感触も、リズムも、すべて……。シキは私の専属よ。貴女みたいな新参者に扱える代物じゃない」
エミリアの瞳から放たれるのは、ドロドロとした独占欲。
レナは一瞬気圧されたが、すぐにシキの前に立ち塞がった。
「モノじゃない! シキは私の技師よ! 過去に何があったか知らないけど、今は私が契約者なんだから!」
レナの全身から炎が噴き上がる。
エミリアは不快そうに眉をひそめ、口元を押さえた。
「……オエッ。熱い魔力……気持ち悪い。今の私のコンディションじゃ、その汚い炎を取り込むのはリスクが高いわね」
彼女は吐き気を堪えるように身を翻す。
「今回は見逃してあげる。……すぐにお迎えに上がるわ。シキ、貴方は必ず私の元へ戻ってくる。だって、貴方以外に私の『汚れ』は落とせないんだから」
エミリアは凍てつく風と共に去っていった。
残された廊下には、彼女の残り香のような、冷たくて寂しい空気が漂っていた。
†
「……で? どういうことよ。全部話しなさい」
その日の夜。地下工房にて。
レナはパイプ椅子に座り、腕組みをして俺を睨みつけていた。
俺は作業台でいつもの煙管をふかしながら、観念して口を開いた。
「……言った通りだ。俺は10年前に始まった帝国の『実戦テストフェーズ』の仕上げとして、一年前までエミリア・ヴァイスの専属技師を務めていた」
煙が天井のファンに吸い込まれていく。
「彼女の能力『模倣』は、見た魔法を瞬時に解析し、自分の回路で再現する。天才的な能力だが……構造的な欠陥がある」
「欠陥?」
「ああ。他人の魔法を使うということは、他人の魔力パターン――つまり『他人の体液』を自分の血管に流し込むようなものだ」
レナがゾッとしたように肩を震わせる。
「通常なら、そんなことをすれば即死するか、発狂する。だがエミリアの回路は柔軟すぎて、それを受け入れてしまう。……結果、彼女の体内には常に無数の他人の魔力残留物が溜まり続ける」
「それが、あの『寒気』の原因?」
「そうだ。異物混入による恒常的な拒絶反応。寒気、吐き気、幻痛。彼女は24時間、内側から食い荒らされる苦痛と戦っている」
俺は煙管を置き、自分の手を見つめた。
この手で、毎晩彼女の身体を触り、汚れを掻き出していた日々を思い出す。
「そのゴミを掃除できるのは、魔力を持たない『虚数回路』を持つ俺だけだった。俺が彼女の回路に入り込み、異物を中和し、洗浄する。……それだけが、彼女が安眠できる唯一の時間だったんだ」
「……だったら、どうして辞めたのよ。彼女、あんなに苦しんでるじゃない」
レナの問いはもっともだ。
だが、事実はもっと残酷だ。
「俺の整備が……気持ちよすぎたんだよ」
俺は淡々と告げた。
「は?」
「拒絶反応の苦痛を取り除く時、俺は同時に快楽信号を送って神経を麻痺させる。彼女はその安らぎに溺れた。……結果、彼女は自分で自分の熱処理をすることを放棄した」
そう。それが最大の理由だ。
本来、魔導士は自分で魔力を制御し、老廃物を排出する機能を持っている。
だが、俺が完全にケアしすぎたせいで、エミリアの自浄機能は退化してしまった。
「少し寒気がしただけで、彼女はパニックになり、俺を求めた。自分で指一本動かそうとせず、ただ俺に『気持ちよくして』と泣きつくようになった。……完全な依存だ」
帝国の上層部はそれを問題視した。
『最強の魔女が、一介の技師なしでは生きられない廃人になりかけている』と。
「実戦テストの期間終了も重なり、俺は彼女の前から姿を消した。荒療治だが、突き放せば彼女自身の機能が戻ると信じてな。……だが、俺の失踪をもって帝国はプロジェクトの失敗と見なし、俺を廃棄処分にする決定を下したはずだった」
「……でも、あいつを見る限り、戻るどころか悪化してるみたいだがな」
俺が自嘲気味に笑うと、レナは複雑そうな顔で俯いた。
嫉妬と、同情と、そして少しの恐怖がない交ぜになった表情。
「……私、は?」
レナが不安げに問いかける。
「私も、そのうちシキなしじゃ生きられなくなっちゃうの?」
「お前は違う。お前は自分の足で立って、敵を燃やしている。俺はただの補助輪だ」
俺はレナの頭にポンと手を置いた。
「安心しろ。お前が一人で熱を制御できるようになったら、俺は用済みだ。……きれいさっぱり契約解除してやる」
それは技師としての誠意のつもりだった。
だが、レナはなぜか泣きそうな顔で俺の手を振り払った。
「バカ! ……そういうこと言ってるんじゃないのよ!」
レナは憤慨して工房を出て行ってしまった。
後に残された俺は、再び煙管に火をつける。
エミリアとの再会は避けられない。
彼女の依存は、執着と憎悪に形を変えている。
かつて俺が「愛しすぎた」失敗作と、どう向き合うべきか。……答えはまだ、煙の中だ。




