第11話:『再会は悪寒と共に。震える第五位』
季節は夏。
学園のアスファルトからは陽炎が立ち上り、蝉の声が耳障りなほど響いている。
だというのに。
「……ねえ、シキ。急に寒くない?」
隣を歩いていたレナが、二の腕をさすりながら訝しげな声を上げた。
確かに、気温が急激に下がっている。
先ほどまで額に滲んでいた汗が引き、吐く息が白く染まるほどの冷気が、廊下の向こうから押し寄せてきていた。
カチ、カチ、カチ……。
静寂の中に、奇妙な音が響く。
歯が鳴る音だ。誰かが、寒さに震えている音だ。
「――久しぶりね。シキ」
廊下の角を曲がった先に、彼女は立っていた。
真冬の豪雪地帯でも着ないような、分厚い純白の毛皮のコート。首にはマフラーを三重に巻き、それでも足りずに自身の身体を抱きしめている少女。
学園序列第5位、『模倣の魔女』エミリア・ヴァイス。
「げっ……エミリア!?」
レナが身構える。
だが、エミリアの瞳にレナは映っていない。その虚ろで焦点の合わない瞳は、ただ一点、俺だけを捉えていた。
「探したわ……ずっと、ずっと探してたのよ」
彼女が一歩近づくたびに、床がパキパキと凍りつく。
氷魔法ではない。彼女自身から漏れ出す「拒絶」の魔力が、周囲の熱を奪っているのだ。
「寒い……寒いの。誰の魔力を取り込んでも、吐き気がするだけ……。私を温められるのは、貴方しかいないのに」
ガタガタと震えながら、エミリアが手を伸ばしてくる。
その指先は凍傷のように白く、血の気がなかった。
「返して……私の、私の体温を……」
それは懇願であり、呪詛のようでもあった。
レナが俺を庇うように前に出る。
「ちょっと! シキに気安く触らないでよ! アンタ、シキを捨てたんじゃなかったの!?」
「……うるさい」
エミリアの視線が、初めてレナに向けられた。
その瞬間、殺気だけでレナが後ずさる。
「泥棒猫が。……その男の使い道を一番知っているのは私よ。貴女みたいな火力馬鹿に、彼の繊細な指使いが理解できて?」
「なっ……!?」
一触即発の空気。
だが、俺は冷静にエミリアの全身を観察していた。
相変わらずだ。いや、俺が担当していた頃より悪化している。
『模倣』。
他者の魔法構造を瞬時に解析し、自身の回路にコピーして行使する天才的な能力。
だが、それは他人の「手癖」や「汚れ」まで体内に取り込む行為だ。
今の彼女の魔力回路は、無数の他人のデータがゴミのように堆積し、本来の自己を圧迫している。
その異物感による拒絶反応が、止まらない悪寒の正体だ。
「……酷い有様だな、エミリア」
俺はため息混じりに告げた。
同情ではない。純粋な事実として。
「メンテナンス不足だ。お前の回路は相変わらず、他人の手垢とゴミだらけで見るに堪えない」
ピタリ。
エミリアの震えが止まった。
彼女にとって、自身の回路の純度を保つことはアイデンティティであり、それを汚されているという指摘は、最大の屈辱だった。
かつて俺が、毎日それを「掃除」していたからこそ、彼女は誰よりも輝けていたのだ。
「……ゴミ?」
エミリアが顔を上げた。
その美貌が、怒りで般若のように歪む。
「誰のせいだと思ってるのよぉぉぉッ!!」
ドォォォォォン!!
彼女の絶叫と共に、周囲の窓ガラスが一斉に砕け散った。
膨大な魔力が暴走し、廊下全体が猛吹雪に包まれる。
「貴方がいなくなったから! 私がどれだけ汚れても、誰も綺麗にしてくれないから! だから私は、ゴミを溜め込むしかなかったんじゃない!」
「勝手な理屈だな。お前が俺をクビにしたんだろうが」
「違う! 私はそんなこと言ってない! 周りが勝手に……!」
会話が成立しない。彼女は完全に情緒不安定を起こしている。
エミリアは血走った目で俺を睨みつけ、そしてレナを指差した。
「許さない……。私のシキを汚す女も、私を捨てたシキも、全部!」
「き、来るわよシキ!」
「……厄介だな。元カノの癇癪に付き合う趣味はないんだが」
俺は工具ベルトに手をかけ、戦闘態勢を取った。
凍える『模倣の魔女』。
その氷を溶かすには、生半可な熱じゃ足りそうにない。




