第10話:『かつての主。第五位「模倣の魔女」の視線』
闘技場を包んでいた絶対不可侵の防御結界に、亀裂が走った。
パリンッ……ガシャァァァァン!!
ガラスが割れるような高音と共に、結界が崩壊する。
レナが放った『臨界突破』の一撃は、対戦相手のガレオンを吹き飛ばしただけでなく、フィールドを囲む魔法障壁すらも粉砕していた。
「あ、ありえねぇ……! 上級生用の結界だぞ!?」
「審判! 避難誘導を!」
「なんだよあの威力……怪獣かよ!」
観客席はパニックと興奮の坩堝と化していた。
濛々と立ち込める粉塵の中、フィールドの中央に立つ影が二つ。
「……ふう。排熱処理が追いつかんな」
俺は腕の中でぐったりと伸びているレナを抱え直した。
彼女は完全に意識を飛ばしている。口元はだらしなく緩み、目は白目を剥いたまま、時折ビクンビクンと痙攣している。
端から見れば事後――それもかなり激しい情事の後のようだが、あながち間違ってはいない。脳内麻薬をあれだけ分泌させれば、こうなるのは必然だ。
「帰ったらオーバーホールだな。……回路が焼き付いてやがる」
俺は周囲の畏怖の視線を無視し、愛おしい「作品」を抱えて歩き出した。
だが、俺は気づいていなかった。
その光景を、遥か頭上――選ばれた者しか入れない「貴賓席」から見つめる、凍りついた視線があることに。
†
「……寒い」
豪奢なソファの上で、少女はガタガタと震えていた。
真夏だというのに、彼女は分厚い毛皮のコートを羽織り、それでも足りずに自分の体を抱きしめている。
序列第5位、『模倣の魔女』エミリア・ヴァイス。
銀色の髪、陶磁器のように白い肌。その美貌は「氷の精霊」と讃えられるが、実情は違う。
彼女の体は、他人の魔力を模倣しすぎた副作用――『拒絶反応』によって、常に極寒の地獄にあるのだ。
「エミリア様、大丈夫ですか? 毛布をお持ちしましょうか」
側近のセシリアが心配そうに駆け寄るが、エミリアは震える手でそれを制した。
「い、要らないわ……どうせ、体の芯が凍っているんだもの……」
吐く息が白い。
誰の魔力も受け付けない。どんな炎魔法を使っても、この体の奥底にある「異物感」による寒気は消えない。
唯一、あの人の手を除いては。
「それより……あれは、何?」
エミリアの視線は、大型モニターに釘付けになっていた。
そこに映し出されているのは、結界を破壊した蒼い炎の残滓。
そして、その中心にいる、薄汚れた作業着の男。
「ああ、あれは例の『序列外』とその技師ですわ。……野蛮な戦い方で、見ているだけで不快です」
セシリアが軽蔑の色を隠さずに言う。
だが、エミリアの反応は違った。彼女はモニターに顔を近づけ、食い入るようにその映像を見つめた。
「違う……。あの炎の波形……ただの暴走じゃない」
彼女の『模倣』の目は、魔法の構造を一瞬で解析する。
あのデタラメな出力の炎。一見するとカオスだが、その根底には、恐ろしいほど緻密で、病的なまでに整然とした演算式が組まれている。
無駄のないバイパス処理。
限界ギリギリを攻めるスリルと、絶対に壊さないという加虐的なまでの優しさ。
見覚えがある。
忘れもしない。かつて、私の背中に指を這わせ、この凍える体を溶かしてくれた、あの「方程式」だ。
「……まさか」
エミリアの心臓が早鐘を打つ。
モニターの中で、男がふと顔を上げ、塵の向こうを見た気がした。
無精髭。死んだような目。そして、職人特有の無骨な指先。
「シキ……?」
その名を口にした瞬間、エミリアの震えがピタリと止まった。
代わりに、体の奥底から、ドロリとした熱い感情が湧き上がってくる。
会いたい。
触れてほしい。
また、私の中の「ゴミ」を掃除して、暖かくしてほしい。
でも――。
「……なんで?」
エミリアの美しい顔が、嫉妬で歪む。
モニターの中で、シキは別の女――レナ・バーンハートを、大切そうに抱きかかえていた。
あんなに優しく。あんなに密着して。
私の時は、もっと冷たく突き放したくせに。
「私を捨てて……あんな泥棒猫のメンテナンスをしているの……?」
バキリ、と彼女が握りしめていたワイングラスが砕け散った。
赤い液体が、白い指を濡らす。
「許さない。……私の技師よ。私の体温よ」
エミリアは立ち上がった。
その瞳からは、理性の光が消え、代わりに昏い執着の炎が宿っていた。
「セシリア。次の序列戦……『招待状』を送りなさい」
「えっ? ですが、相手はまだランク500位程度で……」
「関係ないわ」
エミリアは濡れた指を舐め取り、妖艶に、そして凶悪に微笑んだ。
「取り戻すの。……私の『所有物』を」
学園の頂点、五大元素の乙女が動き出す。
それは、シキとレナの「お遊び」の時間が終わり、本当の地獄が始まる合図だった。




