第1話:『魔力ゼロの底辺技師、燃え盛る「欠陥品」を拾う』
オイルと焦げた鉄、そして微かなオゾンの臭い。
それが、俺の世界の全てだ。
帝国立魔導院「アトラス」。
大陸全土から選ばれたエリート魔導士たちが集う、煌びやかな最高学府。
その栄光あるキャンパスの地下深く、蜘蛛の巣のように張り巡らされた配管ダクトの隙間に、俺の職場――『設備保全科』の工房はある。
「……またか。3番区画の排熱パイプが詰まってる」
俺はスパナを回し、錆びついたバルブをこじ開けた。プシューッ、と蒸気が吹き出し、頬を撫でる。
俺の名はシキ(式城 律)。
この学園におけるカースト最下層、魔力を持たない「魔導技師」だ。
この世界では、魔力こそが正義だ。
大気中のマナを体内の「魔力回路」に取り込み、脳内で演算し、現象として出力する。それが魔法。
だが、俺の『魔力ゼロ』という特性は、単なる欠落ではない。
他者の魔力を一切通さず、自らの魔力がシステム干渉のノイズにならないよう設計された『魔力絶縁体』。
空っぽの器だからこそ、俺はこの星の魔法OSそのものに直接アクセスし、他人の回路の「バグ」を書き換えることができる。
「よし、流れが戻った。美しい」
俺は満足げに頷く。
淀みなく流れるマナの輝き。無駄のない配管の曲線。
俺は人間よりも、整然と機能する機械や回路の方を愛している。人間はすぐに嘘をつくし、裏切るし、何より構造が非合理的すぎる。
それに比べて、回路は正直だ。手入れをすれば応えてくれるし、サボれば壊れる。
「おーいシキ! 大変だ、また上でボヤ騒ぎだぞ!」
同僚の慌てた声がインカムに飛び込んできた。俺はため息をつく。
上の連中――「学生様」たちは、自分の魔力すら制御できない欠陥品ばかりだ。
「今度はどこだ?」
「第2実習場! なんかヤバいのが暴走したらしい! 避難警報が出てる!」
「……了解」
俺は愛用の工具ベルトを腰に巻き直し、重い腰を上げた。
避難? 笑わせる。
火が消えるのを待っていたら、配管が熱で歪んでしまう。設備のメンテナンスは、鮮度が命なのだ。
†
第2実習場は、地獄のような熱気に包まれていた。
逃げ惑う生徒たちの悲鳴。怒号。そして、爆発音。
「おい、あれを見ろよ! バーンハートの『欠陥品』だ!」
「近づくな! 誘爆するぞ!」
「先生を呼べ! 結界班は何してるんだ!」
野次馬たちが遠巻きに囲むその中心。爆心地であるフィールドの中央に、それはいた。
紅蓮の炎。
いや、あれはただの炎ではない。高純度の魔力が圧縮され、行き場を失って噴出している「魔力光」だ。
その中心で、一人の少女が膝をついていた。
燃えるような赤い髪。整った顔立ちだが、今は苦痛に歪んでいる。
レナ・バーンハート。
どこかの地方貴族の娘だと聞いたことがある。凄まじい魔力量を持つが、制御ができずに自分自身を焼いてしまう「爆弾娘」。
「あ……ぁ、あつい……」
少女の口から、譫言のような声が漏れる。
彼女の制服は既に黒く焦げ、露出した白い肌には、血管のように脈打つ赤い紋様――「魔力回路」が浮き上がっていた。
あれが、熱暴走の末路だ。
体内のマナが臨界点を超え、脳内のリミッターが溶解する。術者は思考能力を失い、ただ魔力を垂れ流すだけの「炉」と化す。
「誰か……たす、けて……私が、壊れちゃう……」
彼女は泣いていた。
だが、誰も助けようとはしない。
彼女が放出する熱量は、常人が近づけば数秒で皮膚が爛れるレベルだ。教官たちですら、結界を張って遠巻きに見ているだけ。
――醜いな。
俺は思った。
彼女を見捨てる周囲の人間性が、ではない。
彼女の中で絡まり合い、悲鳴を上げている「回路」の在り方が、だ。
「……酷い配線だ。これじゃ焼き切れて当然だろう」
俺は独りごちて、立ち入り禁止の黄色いテープをくぐった。
「おい! そこの保全科! 何やってる、死ぬぞ!」
背後で教官が叫ぶ声を無視する。
熱波が俺の作業着を叩く。肌がチリチリと焼けるような感覚。だが、構わない。
俺の目には見えている。
彼女の胸の奥、心臓付近にある魔力コア――『焦熱核』と呼ばれる中枢機関。
そこから伸びるパス(経路)が、あちこちで詰まり、逆流し、ショートしている様が。
(出力バルブが全開なのに、冷却パイプが閉塞している。典型的な設計ミスだ)
俺は炎の中を歩く。
一歩進むごとに、熱さが喉を焼く。だが、俺は止まらない。
目の前に、直すべき「故障箇所」があるからだ。
少女の前に立つ。
彼女は虚ろな目で俺を見上げた。視点は合っていない。熱による幻覚を見ているのだろう。
「あ……あつい、よぉ……」
「ああ、熱いな。こんな出鱈目な信号を流されて、よく耐えてるもんだ」
俺は防火手袋を外し、素手を晒した。
繊細な作業に、厚ぼったい手袋は邪魔だ。
「なっ……!?」
周囲の誰かが息を呑む音が聞こえた気がした。
俺は躊躇なく、燃え盛る彼女の懐へと手を伸ばす。
目指すは熱源の中心。
豊かに膨らんだ胸の谷間、その奥にある回路の結節点。
ジュッ、と皮膚が焼ける音がした。
構うものか。
「――少し、弄るぞ」
俺の指先が、彼女の肌に、そしてその下にある不可視の回路に触れた。
その瞬間。
俺固有の特性――『虚数回路』が開門する。
魔力を持たない俺の体は、あらゆる魔力を書き換え、星のシステムへと直接干渉するための『管理者権限』そのものだ。
暴走する彼女の膨大な熱量が、俺の指を通じて流れ込んでくる。
普通なら即死するほどのエネルギー。だが、『魔力絶縁体』である俺の体は、それをノイズなく受け止め、脳内で瞬時に解析し、再構築していく。
詰まりを除去。
循環ポンプを正常化。
余剰熱量を、神経系への電気信号――すなわち「快感」へと変換して外部排出。
「あ、ひっ……!?」
少女の体がビクリと跳ねた。
苦痛に歪んでいた表情が、一瞬で蕩けたような、甘いものへと変わる。
「な、に……? 熱いの、抜けて……なんか、変な感じ、する……っ」
「動くな。まだバグだらけだ」
俺は冷静に告げながら、さらに深く、彼女の回路へと侵入していった。
魔力ゼロの底辺技師と、欠陥品の最強種。
運命というにはあまりに騒がしい、最悪で最高の出会いだった。




