9. 学期末試験
ノエリスのその言葉になぜだか心臓が大きく跳ね、指先がすうっと冷たくなった。ルパート様には私という婚約者がいるのだから、彼は関係ないはずなのに。
「まぁ、王女殿下に気に入られたところで、即座に婚約、なんてことはないでしょうけれどね。でも目をかけてもらえれば、上手くいけば卒業後の王宮勤めが約束されるし、家の格も上がる。ほとんどの取り巻き令息たちが狙っているのはそこだと思うけれど、中には本気で『王女殿下を我が妻に』……と狙っている令息もいるんだと思うわ」
ノエリスは紅茶のカップを軽く揺らしながらそう続けた。
「……それで皆、あんなに必死なのね」
「そうね。それはもちろん、まだ婚約者の決まっていない令息たちに限った話だけどね」
エメライン王女を学園内で見かける時は、必ずいつも十人前後の男子生徒たちが一緒に行動しているのだ。決まって騎士科の生徒たち。そんな思惑を持ってそばに侍っている人もいるなんて、知らなかった。
中庭で目が合った時の、ルパート様のあの余裕のない視線がやけに気にかかり、胸がざわめいた。
そして、この時感じた私の嫌な予感は、すぐに現実のものとなったのだ。
その後も私は、ルパート様から渡された禁止事項一覧表に書かれた内容を律儀に守りながら生活を続けた。出かける時には地味なワンピースを選び、かつらと黒縁眼鏡を着けた。化粧はせず、アクセサリーも着けず。母からは「学園以外でもこの格好を続けることに一体何の意味があるの? 王女殿下が街を歩いていて、見られるわけでもないでしょうに」と言われた。私もそうは思うのだけれど、万が一ルパート様に出くわした時のことを考えると、従っておくのが無難だと思ったのだ。
学園や茶会で目立つの禁止、という項目もあった。けれど、妙な見た目とあまり笑わないことで敬遠されているのか、私にはノエリス以外にほとんど友達ができなかったので、よそのご令嬢の茶会に呼ばれることなんてなかった。一度だけ、ノエリスからオークレイン公爵家のタウンハウスに招かれたことがある。その時も、私はいつもの格好で行ったのだ。出迎えてくれたノエリスが眉尻を下げ、何か言いたそうな様子を見せたけれど、結局は何も言わずにいてくれた。
時折兄の帰宅とともに我がタウンハウスにやって来るクライヴ様とは、ほんの少し会話を交わすこともあった。『見目の良い男性、高位貴族の子息らと会話をすること禁止』を破ったことになるかもしれないけれど、これは屋敷内でのことで家族にしか見られていないので、許してもらいたい。声をかけられれば答えたけれど、もともと苦手意識があるうえにルパート様への罪悪感も重なり、自分からクライヴ様に話しかけることは一度もなかった。
数ヶ月が経ち、長期休暇を目前に控え、いよいよ入学して最初の学期末試験が始まろうとしていた。授業内容は全て問題なく頭に入っている。問題は、ルパート様から渡された例の禁止事項一覧表にあった、この文章だった。
『試験で王女より良い点数をとること禁止』。大抵の禁止事項を律儀に守ってきていた私も、これには困っていた。王国史、大陸地理、帝国語、数理基礎、礼法の共通基礎五科目は学年全員が受け、掲示板に順位が貼り出される。けれど、王女がどの程度の成績をおとりになるかなんて、私には分からない。もうずっと会話をしていないルパート様に、私は意を決して手紙を出した。目が合っただけで睨まれ、牽制されるのだ。学園で話しかけることなんてできるはずがない。
けれど、『学期末試験の前に、例の件でご相談したいです。お話しする時間を作っていただけますか?』としたためたその手紙に、彼から返事が来ることはなかった。悩んでいるうちに、ついに試験の日が来てしまったのだ。
どうしよう。確実に王女より下の順位になるためには、どの程度手を抜けばいい……?
共通基礎科目を一科目受けるごとに、私は逡巡した。けれどそもそも、相手はこの王国の王女様なのだ。幼少の頃より精鋭の教育係たちから、私など比べものにもならないほど厳しい教育を受けてこられているはず。首席ではなかったとしても、十位以内には間違いなく入っているだろう。
(ルパート様もきっと、首席などとって目立つなよという意味で書いていたのよね。だったら……全科目で三問ずつくらい空欄にして出しておけば、間違いはないはずだわ)
そう結論を出した私は、空欄以外は全て普通に問題を解き、回答欄を埋めた。
結果、私の共通科目での順位は、学年八十人中、十三位だった。
ノエリスは三位。
ルパート様は三十八位。
エメライン王女は五十七位だった。
失敗してしまった、と少し落ち込んだ。
けれど、これはもうどうしようもない。まさか王女の成績がここまで振るわないなんて、予想もしていなかったのだから。ルパート様もきっと知らなかったはずだ。さすがに文句は言われないだろう。不可抗力だ。
共通基礎科目の他に、それぞれの科で専門分野の試験も行われた。そちらの順位は淑女科クラスの中にしか貼り出されないので普通に受けたら、一位だった。ノエリスが二位。
こうしてようやく、緊迫の試験期間が終わった。
いよいよ明日から長期休暇に入るという、今学期最後の日。学園の生徒全員が、大ホールへと集まった。学期修了式が行われるのだ。学園長からのお言葉や、生徒代表の挨拶などがあるらしい。私が寝込んでいたため出席できなかった入学式も、この大ホールで行われたそうだ。クラスごとに並び、私も列の中に加わった。後ろのノエリスが小声で話しかけてくる。
「休暇中はどこかに出かけたりするの? ローズ。タウンハウスにいる間、時間があればまた会いましょうよ」
「ええ、もちろん。ありがとう、ノエリス。楽しみだわ。時間があれば数日くらい家族でラシェール王国に旅行に行きたかったんだけど……難しそうなの」
「そうよねぇ。あなたのお父様やお兄様も、王宮でのお勤めがあるしね」
生徒全員と先生方が揃うのを待つ間、二人でひそひそとそんな話をしていた、その時だった。大ホールの入り口に、ルパート様の姿を認めた。
自分のクラスの列に並ぶのだろうと思っていた彼は、目を吊り上げた険しい表情で私のもとへと歩み寄ってくる。大股で勢いよくこちらに向かってくるその剣幕に気付いた瞬間、心臓が大きく音を立てた。
案の定、私の目の前までやって来た彼は、突然大声を上げ私を怒鳴りつけた。
「ロザリンド・ハートリー!! よくもエメライン王女殿下を侮辱したな!! この……分をわきまえぬ無礼者め!!」




