52. 警鐘(※sideクライヴ)
領地の兄から届いた手紙をじっくりと読み、俺はそれを文机の引き出しにしまった。
こんな風に互いの近況を伝えるやり取りができる関係になるとは。兄との距離は、ローズとともに彼のもとを訪れた日から、確実に縮まっている。ぎこちない部分はもちろんあるが、俺は今の兄との関係に満足していた。
(ローズのおかげだな。彼女の存在が、俺の気持ちも、兄との距離も変えてくれた)
愛おしい婚約者の笑顔を思い浮かべながら、俺はタウンハウスを出、王宮へと向かった。
馬車が王宮の正門に着くと、俺は真っ先に脇にある衛兵らの詰め所へと足を向けた。
「サザーランド公爵令息様、本日の巡回でございますね」
「ああ」
衛兵の一人から声をかけられ、俺は返事をしながら、来訪者記録簿を受け取る。このリストに目を通すのも日課となっていた。
上から順に確認しようとしたその時、ふと、一番下に記してある一人の名前が目に飛び込んできた。
「ロザリンド・ハートリー伯爵令嬢……?」
なぜローズの名前が?
先週会った時には、王宮に行く用事があるとは特に言っていなかったし、直近の手紙にも何も書いていなかったが……。そんな予定があれば、彼女なら俺に報告してくれそうなものだ。
そのまま横に視線を滑らせ、来訪理由の欄を見る。
『王妃陛下との謁見のため』
(……妙だな。王妃陛下には今日、来客予定はなかったはずだが。それに、なぜローズが王妃陛下に個人的に招かれる……?)
王族のその日の予定は、常に頭に入っている。王妃陛下は今日、謹慎中の王女に関する協議で、一日中執務室に詰めているはずだ。
不意に、胸の奥を冷たいものが走った。
「……この記載、間違いはないのか?」
俺がローズの名前の欄を指差しながら低く問うと、記録簿を渡してきた衛兵は訝しげに眉を寄せた。
「は、はい。間違いはございませんが……。王妃陛下付きの侍女様が確かに、本日の面会に関する書状としてこちらに提出されておりました。先ほど実際にいらっしゃったのを確認しましたので、規定に則り記録簿へ転記した次第です。……何か問題でも?」
「……。案内は誰が?」
「詰め所の者は正面扉の前まで同行しました。あとは王妃陛下付きの侍女様と別の衛兵に引き継いでおります」
かすかに覚えた違和感に、嫌な予感が膨らむ。それに、王妃陛下の私室がある区域の奥には、謹慎中のエメライン王女の隔離部屋がある。
(ローズの来訪場所は、王妃陛下の謁見室となっている。何もなければいいのだが……。このまま一旦確認しに行くか)
そんなことを考えながら、俺は再度念入りに来訪者記録簿に目を這わせる。
北部辺境伯の代官、地方役場の報告係……、一つ一つ辿りながら、ふと、とある名に目が止まった。
『写本師レオン・ダロット。来訪理由、王妃陛下ご用命の古書修繕──』
見たことのないその名が気になり、来訪場所の欄に目を這わせると、その者も王妃陛下の謁見室と記してある。
「この者は男か? どんな人物だった?」
今度はその人物の名前を指差し俺がそう問うと、詰め所の衛兵たちが顔を見合わせる。
「男性でした。ええと……背は高かったな」
一人がそう言うと、他の者が頷く。
「ええ。サザーランド公爵令息様ほどではないですが、わりと長身の男性でした。ですが、フードを被っていたので顔はよく見えず……」
その言葉を受け、他の者も口を出す。
「写本師というよりは、まるでくたびれた旅人のような風情ではありました。ですが、王妃陛下の印章が押された通行証をきちんと提出しております」
念のため見せてもらったが、王妃陛下の印章に間違いはなかった。
だが、妙に引っかかる。
なぜ写本師が、わざわざ王妃陛下の謁見室にまで行く必要があるのか。書物の修繕ならば、通常は執務室で行われるはず。それに、今日来客予定のなかったはずの王妃陛下に、突然二名も訪問者があるのも変だ。
普段感じない違和感は急速に強まり、やがて俺の頭には鋭い警鐘が鳴りはじめた。
勘違いならいい。だがとにかく、ローズの無事を確認せねば。
俺は記録簿を衛兵に突き返すようにして、急いで王宮へと向かった。
回廊を歩く俺の足取りは、何かに急かされるように速くなる。王妃陛下の居住区域に入り、謁見室を確認するも、中には誰もいなかった。
(ローズ……!)
気付けば俺は走りだしていた。すれ違う文官や貴族、使用人たちが、俺の剣幕に驚いたように道を開ける。
エメライン王女の謹慎部屋に続く細い廊下の入口には、いつも通り二人の衛兵が立っていた。彼らは走ってくる俺を見て顔を強張らせながらも、礼をとった。
「お疲れ様でございます、サザーランド公爵令息様」
「異常はないか? 誰かここを通ったか?」
食ってかかる勢いでそう尋ねると、彼らはたじろぎつつも答えた。
「は、はい。異常はございませんが……」
「本日は二名の来訪がございました。写本師と、ハートリー伯爵令嬢です。どちらも王妃陛下付きの侍女から前もって来訪予定を告げられておりまして……」
「まだ奥にいるのか!? エメライン王女の謹慎部屋には今誰がいる!?」
焦りをぶつけるように、思わず大きな声を出す。衛兵たちはびくりと肩を震わせた。
「は……はいっ。王女殿下と、それから、その王妃陛下付きの侍女に……あとは訪問された写本師とご令嬢、そしてご令嬢付きの侍女です」
「どけ!!」
衛兵の言葉が終わらぬうちに、俺は彼らの体を押しどけるようにして廊下を走りだした。
部屋の前まで衛兵に見張られていると息が詰まる。大人しく過ごすから、部屋にいる時はお母様の侍女と二人きりでいさせてほしい。王女のその我が儘を聞き入れる形で、最近になって衛兵の見張りをこの廊下の入り口のみに配置するようになっていたのだ。俺は反対したが、王女に甘い王妃陛下の口出しもあって警備体制を変えられなかった。王女がこの数ヶ月間本当に大人しく過ごしていたことも、その判断の決定打となっていたのだ。
(クソ……! もしもローズの身に何かあれば、たとえ王女であろうとも容赦はしない……!)
焦燥感と怒りに突き動かされるように、俺は一心不乱に走った。
前方に見える最奥の部屋の扉がわずかに開き、王女らしき女性の声が漏れ聞こえる。
「……あなたを引き上げる方法なんて、いくらでもあるのだもの。ふふ」
(──っ!)
それが何を意味する言葉かはっきりとは分からぬまま、俺は辿り着いた扉の取っ手を引っ摑み、勢いよく押し開けた。
「きゃあっ!」
扉から外に出ようとしていたのは、やはり王女だった。そして──。
部屋の奥にすばやく視線を巡らせた俺は、男に馬乗りになられた愛おしい人が、口を塞がれ涙を流している姿を見た。




