42. クライヴ様の愛情
翌朝、私は幸せな高揚感と澄みきった冷気の中で目を覚ました。すぐに起き上がり窓の外を見ると、まだ薄い朝靄が漂っており、遠くの山々の稜線が金色に染まっている。
身支度を整えてしばらくすると、扉をノックする音がした。自然と笑顔になった私は、すぐに扉を開ける。案の定、そこにはクライヴ様の姿があった。
「おはよう、ロザリンド嬢」
「おはようございます、クライヴ様」
一日の始まりに彼に挨拶をできることが、嬉しくてたまらない。夫婦になったら、こうして毎日朝の挨拶ができるのかしら。そんな思いがちらりとよぎり、自分の浮かれ具合に少し恥ずかしくなる。
「朝食を済ませたら出かけよう」
「はいっ」
クライヴ様が差し出してくださった手に、私はそっと自分の手を乗せた。
食堂へ移動すると、テーブルの上にはすぐに、焼きたての雑穀パンや湯気の立つじゃがいものポタージュなどが次々と並べられた。厚切りベーコンの香ばしい匂いがあたりに広がる。ハーブを混ぜ込んだソーセージは、切ると肉汁がじゅわりと溢れた。
「どれもすごく美味しいですね」
「そうだな。君が隣にいるからなおさらだ」
「……っ!?」
クライヴ様がさらりと甘いセリフを口にしたので、ポタージュを口に運んだばかりの私はむせてしまいそうになった。
最後にフルーツのコンポートと温かいミルクティーを味わい朝食を済ませると、昨夜と同じように、クライヴ様が私を馬車へとエスコートしてくださった。その大きな手に触れるたび、胸の奥がほんのり温かくなる。
静かに動き出した馬車は、やがて森の中へと入った。木々の間からこぼれる朝日が、淡い金色の粒となり車内に差し込む。
サザーランド領の朝の空気は、王都よりも厳かで凛としていて、どこか気持ちを引き締めてくれるような、そんな空気だ。清々しくて心地いい。
しばらくすると、馬車は開けた丘へと出た。ふいに広がった景色に、私は思わず小窓の方へ身を寄せ声を上げる。
「まぁっ……!」
視界いっぱいに広がるのは、淡緑色の若い木々が整然と並ぶ広大な土地だった。
丘に沿って段々と広がるその光景は、まるで緑の絨毯が幾重にも折り重なっているよう。木々の根元には水路が引かれ、透明な水がきらきらと揺れている。まだ若い苗木のようだけれど、どれも手入れが行き届き、葉は生き生きと光を弾いていた。その木々の間を、作業者と思われる数人の男性が行き来している。
馬車がゆっくりと停止し、クライヴ様が私に優しく声をかけた。
「今日案内したかったのが、ここだ。覚えているだろうか。以前君に話した、ラプルの農園だ」
「も、もちろん覚えています……! ここがラプル農園なんですか……? 全部?」
なかば呆然とこぼした私の言葉に、クライヴ様は馬車を降りながら、どことなく誇らしげな声で答えた。
「ああ。まだ造成途中だが、基盤はほぼ整った。土壌の改良、用水路の整備、苗木の輸入……。本格的に運用するために、全て念入りに準備を整えた」
彼はそう言いながら私の手を取り馬車から下ろすと、整えられた小道へゆっくりと誘った。
(初めて王都のラプルのカフェに連れて行ってくださった時に、おっしゃっていた。最も望ましい、完熟に近い状態で摘み取るために農園を作っていると。この私に、最高の状態で菓子を作り食べさせるためにと……。まさか、こんなに本格的で広大な農園を作ってくださっているなんて……)
視界いっぱいに広がる瑞々しい若木を見渡しながら、胸に熱いものが込み上げた。
私のために、ここまでしてくださるなんて……。
私が好きだと言ったことがきっかけで作られたラプル農園は、もはやサザーランド公爵家の本格的な事業の一つとなっている。
(クライヴ様は私のことを、こんなにも大切に思ってくださっているんだわ……)
胸がいっぱいになり、思わず彼を見上げる。私の視線を受けたクライヴ様は笑みを浮かべ、奥に見える建物を指差した。
「あそこに見えているのは、苗木の管理棟だ。成熟具合や病害の確認をする部屋がある。今後は収穫後すぐに選別できるよう、冷却室も増設する予定だ」
「……すごい……。ここにたくさんのラプルの実がなるのが楽しみです。ありがとうございます、クライヴ様」
感動し目元を潤ませる私の横で、クライヴ様が小さく息をつく。
「喜んでもらえたなら、作った甲斐がある。まだ若木だが、ここまで根付けば来年の春には花をつけるはずだ。本格的に収穫できるようになるのは、二年後か、もう少し先かもしれない。……その時も、こうして隣にいてくれ。君に真っ先に食べてもらいたい」
「……はい、もちろんです。喜んで」
こちらを見つめる彼の、優しくて頼もしい、穏やかな瞳。
私はもう、胸の鼓動を抑えることができなかった。
「もう少し、近くで見てみてもいいですか?」
「ああ。おいで」
クライヴ様が、握ったままの私の手をごく自然に引き、若木の間の通路へと連れて行ってくれる。時折風が若木の間から抜け、青い葉の匂いがほんのりと頬をかすめた。水路を流れる清らかな水音が重なり、心地いい。私たちの姿に気付いた作業者たちが、近くを通る時にクライヴ様に丁寧に礼をしている。
クライヴ様の手を握り返す指先に力を込め、私は思いつくままに喜びを口にした。
「葉が光を浴びて綺麗ですね……! きらきらしています」
「ああ、そうだな」
「ふふ。なんだかすごくいい香りです。まだ甘い匂いがするはずがないのに。……でも、いずれここがあのラプルの香りに包まれる日が来るんですね。楽しみだな」
「……」
辺りを見回しながらはしゃいでいると、ふと、クライヴ様が振り返り、こちらをじっと見つめていることに気付く。我に返った私はなんだか恥ずかしくなり、彼から目を逸らした。
「も、申し訳ありません。楽しくて、つい……浮かれてしまいました」
また子どもっぽいところを見せてしまった。そう思って唇を噛みしめると、彼は私の目の前に立ち、静かに言った。
「楽しんでくれていると安心する。俺の前で君がそんな顔を見せてくれることが、たまらなく嬉しい」
「……え?」
火照った顔を上げると、彼の優しい眼差しが私を包み込んだ。
「愛想のない俺は、出会った頃から君を怯えさせるばかりだっただろう。君が家族に向けるあの屈託のない笑顔を俺にも見せてほしいと、ずっと願っていた。君に惹かれれば惹かれるほどな」
「……クライヴ様……」
「気持ちの伴わない婚約まで強引に結んでしまい、ますます怯えさせているのではないかと悩んでいた。……だから、ハートリー伯爵家にラプルの菓子を土産として持参した、あの日。君が初めて俺に笑いかけ、礼を言ってくれた時は……」
クライヴ様は一度言葉を区切ると、私のことを見つめながら、繋いだ手に少し力を込めた。
「平常心を装うのに苦労するほど、嬉しかった。君が可愛くて、愛おしくて。この笑顔を、ずっと見ていたいと思った。そのためなら、何だってしてやりたいと。……この農園も、そのためだ」
真摯な彼の熱意は、繋いだ手から私の胸へと流れるように伝わってきた。
あの時、ラプルのタルトのお礼を伝えると、クライヴ様はさほど表情も変えずに視線を逸らした。そしてご自分のタルトには口をつけず、私に譲ってくださったのだ。
ずっと以前から与えられていた、不器用で温かな愛情に、改めて気付く。胸がいっぱいになり、視界が滲んだ。
「……もう、少しも怯えていません」
私ははにかんで少し笑いながら、繋いだ指先に力を込めた。
「むしろ、こうしてクライヴ様と二人きりでいる時が……一番、幸せです。あなたと一緒にいると、安心します」
自分の気持ちを伝える言葉は、それが精一杯だった。声を震わせながらどうにかそう伝えた私の全身は、汗が滲むほど熱くなっていた。
クライヴ様は目を見開き、薄く唇を開く。
そして、息が止まるほど素敵な笑みを見せてくれたのだった。
「ありがとう、ロザリンド嬢」




