38. 王女の本性
私は顔を上げ、そう切り出したクライヴ様を見つめる。
「表向きの処分が決まりかけた頃、監察局の中で一つの疑問が浮上した。……なぜ王女殿下はこんな手段を使ってまで、君を陥れようとしたのか」
「……はい」
その疑問は、当然私の中にもあった。王女が仕組んだことではないのかという思いが頭に浮かんだ時から、ずっと。私が一番物欲しげな顔で見ているといわんばかりに、私にだけブローチを手渡して見せた王女。化粧など少しも崩れていなかったのに、あえて私だけをレストルームに行かせ、疑惑の根拠まで作り上げられた。そして皆の前で、私がルパート様を心底愛しており、そのために婚約解消の原因となった王女を逆恨みしていたかのようにも印象づけられた。
その理由が、どうしても分からなかった。
クライヴ様は話を続ける。
「今回のように、王族が関わる冤罪工作は前例の少ない重大事案で、動機の確認が不可欠とされた。だが王女殿下は、その点に関して頑なに口を閉ざしておられる。そのため調査官らは王女の過去の記録を改めて精査し、その際外交関連の文書にも照会がかけられた。俺も現場にいた王国騎士団の一員としての立場から、その場に同席していたんだ」
私は一言一句聞き漏らすまいと、クライヴ様の話に耳を傾ける。
その調査の中で初めて、ラシェール王国第三王子とエメライン王女との婚約解消に関し、当時の担当者が残していた極秘の記録が目に留まったのだという。
本来ならば、それは外交上の機密として封印されたままのはずだった。けれど今回の調査で、王女に過去問題行動がなかったか、またそれが今回の事件と関連していないかを確認するため、一部の閲覧が特例的に許可されたのだという。
その記録には、婚約解消の建前とは別に、ラシェール王国第三王子の護衛騎士の死と、王女との関係を示す短い報告が残されていたそうだ。
「第三王子には直属の護衛騎士が数人いたのだが、エメライン王女はこの護衛騎士のうちの一人をことのほか気に入り、彼を巧みに誘惑した。そしてその心を奪ったようだ。護衛騎士は王女の誘惑により職務を放棄することがたびたびあり、そのことや二人の関係が発覚した後、自害している」
「……な……」
あまりの衝撃の大きさに、私の喉からはわずかな音が漏れただけだった。クライヴ様が静かに語るその内容は、私には腰が抜けそうなほどの衝撃だったのだ。
エメライン王女が……、自分の婚約者であった他国の王子の護衛騎士を誘惑し、関係を持っていたと……? そして護衛騎士は発覚後、罪の意識と罰の重さに耐えきれず、自ら命を絶ったと……そういうことなのだろうか。
「この醜聞が公になれば、王家直属の護衛が異国の王女に誑かされたという前代未聞の不祥事になる。しかもどうやらその護衛は、第三王子の幼なじみであり、長年仕えてきた旧友でもあったそうだ。ラシェール王家は威信を守るため、護衛の死と王女の関与を完全に封印した……というところのようだ」
クライヴ様は淡々と語るけれど、私はまだ受け止めきれずに、ただ話を聞くだけで精一杯だった。
(ラシェールからベルミーアに賠償金の支払いがなかったのは、こういう背景があったうえでの婚約解消だったからなのね……)
それならば、解消されるのは当然だ。
清純そのものに見えるあの王女に隠された本性に、背筋が凍りそうなほどの不気味さを覚える。
王女のたおやかな笑みが、何度も脳裏をよぎった。
彼女の次の婚約者が周辺諸国の王族ではなく、自国の貴族家の令息の中から選ばれることになったのも、この不祥事のせいだったとすれば納得がいく。他国との間で再びこのような事態が起これば、もう取り返しがつかない。
「そういうわけで、婚約解消の真相は王族と、一部外交官のみが知っている闇として隠蔽されていたらしい。それと、もう一つ……」
「ま、まだ何か……?」
クライヴ様の言葉に肩が跳ねる。彼は神妙に頷いた。
「以前、君が話してくれたことがあっただろう。エメライン王女殿下と学園で昼食をともにした時のことだ。別荘での誘拐未遂事件が起こった際に、王女殿下の護衛騎士の一人が亡くなったと。その件についても気になり、当時の記録を確認したんだが、……やはり、あの時死人など一人も出てはいなかった」
「……え……?」
クライヴ様のその言葉を聞いた途端、心臓を冷たい手で摑まれたような感覚がした。王女の儚げな美しい笑みが、またも脳裏をよぎった。
「当時、王女の専属護衛騎士の一人が怪我を負ったのは間違いないようだが、その者も生きている。ただ、その後結婚してとある貴族家に婿入りし、相手方の領地に移り住むことをきっかけに退職したようだが」
「……お、王女殿下の、記憶違いということでしょうか……」
そうであってほしいと願い、私はクライヴ様に尋ねた。だって、あえてそんな嘘をつく理由がどこにあるというのだろう。
クライヴ様は「さぁ……」と小さく答え、目を伏せた。
「どうだろうな。だが今回発覚した婚約解消の経緯から察するに、エメライン王女殿下の虚言である可能性も高いように思える。……正直、俺は君に、王女殿下にはあまり関わってほしくないと思っていたんだ。今回の件で、その思いは強固になった。……実は俺も以前、王女殿下から専属護衛騎士にならないかと何度か打診を受けたことがある」
「え……っ!! そ、そうなのですか……?」
初耳だった。今日は一体何度衝撃を受ければいいのだろうか。
幼少の頃、王女のそばにいた専属護衛騎士。
ラシェール王国第三王子の護衛騎士。
学園では、将来自分の専属護衛騎士に登用する可能性をほのめかし、騎士科の男子生徒たちをそばに侍らせ……。
クライヴ様にも、ご自分の専属護衛騎士にならないかとの打診をされていた。
(騎士……。皆騎士ばかりだわ……)
偶然だろうか。それとも……。
「……王女殿下は、護衛騎士というものに対して、特別な執着をお持ちなのでしょうか」
「なぜだかは分からんが、そう推測するのが自然な気がするな」
「……」
あの日、王女とランチをともにした日の、彼女の言葉を思い出す。
『あたくしが子どもの頃、ずっとそばについていてくれた護衛騎士の一人が、『白薔薇王女と誓いの騎士』に出てくる騎士様にそっくりだったのよ』
『あの絵本の騎士様みたいだなぁって気付いてからは、彼をとても意識するようになったの』
『サザーランド公爵令息は、あの絵本の騎士様にとてもよく似ているわね』
私はエメライン王女ではないから、彼女の本心など分からない。彼女が動機を打ち明けなければ、今回の事件の原因や目的も分からないままだろう。
あの時の、王女の瞳。『白薔薇王女と誓いの騎士』の絵本が一番好きだったと言い、私と趣味が合って嬉しいと言ってくださった時の、輝くような表情。
そばにいてくれた護衛騎士が、絵本の騎士様によく似ていて好意を寄せていたのだと話してくれた王女の、うっとりとした様子。
空色の瞳は純粋な輝きを湛え、とても愛らしくて素敵だった。けれど、彼女はその同じ瞳で、一人の護衛騎士を破滅させ、隣国の王子の運命を変え、今回は私を陥れたのだ。
一体どれが、本当のエメライン王女の姿なのだろう。王女の本心は、どこにあるのだろう。
(もしかしたらエメライン王女は、ずっと初恋の護衛騎士の面影を追い続けているのかもしれないな……)
王女は学園から去り、事件は収束を迎えた。
けれど私の胸には、言いようのない小さな不安の欠片がそっと残されたのだった。




