34. 自覚する想い(※sideクライヴ)
後日行われた実技試験で、ナイジェルは大怪我を負った。
彼の初戦の相手は、同じ騎士科の中でも実技試験の成績上位者だった。
互いに礼を交わし、模擬剣を構えたときはまだ落ち着いて見えたが、いざ剣を合わせるとその差は歴然だった。
相手の打ち込みを受け止めるたびに、ナイジェルの腕がわずかに弾かれ、足元がぐらつく。それでも彼は歯を食いしばって構え直し、必死に食らいついていた。
そして、あの瞬間が来た。
大きく振りかぶって反撃に出ようとした拍子に、ナイジェルは自分のマントの裾を踏みつけたのだ。
そのまま前のめりに倒れ込み、振り下ろしかけた模擬剣の鍔が見事にナイジェルの顔面に直撃した。訓練場が一瞬凍りついた。
ナイジェルは片目のあたりを押さえながら立ち上がり、「まだ……まだやれる……!」と涙目で言い張った。
再開の合図がかかると、彼は再び剣を構えた。だが、すでに足取りが危うい。瞼の上が赤く染まっている。
ナイジェルは次の相手の一撃を受け止めきれず、踏ん張った瞬間に足を滑らせ、勢いよく地面に倒れ込んだ。
そしてどうやら、着地の際に足を捻ったらしい。
試験終了の笛が鳴る頃には、目の上に青痣を作り、片足を引きずる姿になっていた。
おぼつかない足取りのナイジェルが心配で、俺は彼を馬車寄せまで送った。そして逡巡の末、結局そのままタウンハウスまで送り届けることにしたのだ。無事に屋敷に入れ、家人の誰かに引き渡すまでは安心できない。
玄関ホールで事態を告げると、家令は慌てて家族を呼びに行った。真っ先に駆けつけたのは、ロザリンド嬢だった。
俺の肩にぐったりともたれかかるナイジェルの姿を見た途端、ロザリンド嬢は顔をぐしゃりと歪めナイジェルに駆け寄り、声をあげて泣き出した。兄に縋りつき大粒の涙を次々とこぼす彼女は、隣にいる俺のことなど視界にも入っていないようだった。
『お……お兄様……っ! お願いだから、もう無茶はしないで……っ! 騎士になれなくてもいい。お兄様がどんなお仕事をしても、私はお兄様のことが大好きなんだから……!』
十三歳にもなる伯爵家の令嬢が、怪我を負った兄の体を抱きしめ、なりふり構わず泣いている。申し訳なさそうにへらりと笑い妹をなだめているナイジェルの隣で、俺はロザリンド嬢のその顔をしばし呆然と見つめていた。
陽だまりのような温かい家庭で、家族からの愛情を一身に受け、健気で真っ直ぐに育ったロザリンド嬢。彼女のその涙は、俺の胸を激しく揺さぶった。
陽の光が当たっていたわけでもないのに、ロザリンド嬢の姿がやけに輝いて見えた。
ナイジェルが政務科へ転向した後も、俺たちの親しさは変わらなかった。卒業後は互いの道を進みはじめたが、ともに王宮勤めの身。交流は相変わらず続いていた。
やがてロザリンド嬢が王立学園に入学することになり、夫人とともにタウンハウスに越してきた。久方ぶりに屋敷に呼ばれた俺は、ロザリンド嬢のことを考え、なぜか柄にもなく緊張していた。顔を合わせるのはいつ以来だろうか。
しかし、学園から帰宅した彼女と玄関ホールで鉢合わせた瞬間、俺の思考はフリーズした。
風に吹かれた藁束のように乱れた茶髪のかつらに、珍妙な黒縁の眼鏡。ほんの一瞬、もしかして俺を驚かせようとしてふざけているのかと思ったほどだ。だが彼女と俺はそんな気さくな関係ではないし、玄関ホールに現れた瞬間のロザリンド嬢の表情は浮かなかった。
彼女はナイジェルに声をかけられ俺たちの存在に気付くと、慌ててかつらと眼鏡を外した。その下から現れたのは、以前よりもいっそう愛らしさと美しさを増した、ロザリンド嬢の姿だった。
(……綺麗になったな)
そう思った瞬間、心臓が大きな音を立てた。
その後、食事の席で彼女の変装の謎が解けた。ナイジェルの説明を聞いた俺は、怒りのあまり普段よりもさらに低い声が出てしまった。
『……くだらん。馬鹿げている』
フラフィントン侯爵家の嫡男に対し、どす黒い気持ちが湧き上がる。エメライン王女に気に入られたいがために、自分の婚約者にあのような真似を強いるとは。俺には到底理解できない。王女の心を守るためだとか言いながら、自身の婚約者の人格や尊厳を踏みにじっている。そのことに対し、胸が痛まないのだろうか。
王女から専属護衛騎士の将来をほのめかされ、その代わりに婚約者を美しく目立たせるのは止めろなどと暗に示されれば、俺ならば決して言いなりにはならない。やんわりとでも王女を諫めるだろうし、それでも向こうが理不尽を貫こうとするのならば、決して命令には従わない。
こんなにも愛らしくて健気な人が、婚約者から横暴な振る舞いで抑えつけられている。そのことが許せなかった。
(……もしも俺がロザリンド嬢の婚約者であれば、絶対にそんな目には遭わせない)
そんな思いが脳裏をよぎる。けれど、心配そうな家族の視線を受けたロザリンド嬢は、一生懸命に主張した。
『こんなことで全てが丸く収まって、王女殿下も穏やかに学園生活を過ごせるのなら……。ルパート様だって安心するでしょう』
『私が学園に通っているのはおしゃれを競い合うためじゃないのよ。将来ルパート様の妻となった時に、家政の切り盛りをしたりお仕事の補佐をしたり、何でもできるようになっておきたいからよ』
ルパート様と連呼する彼女から、俺はつい目を逸らした。
(……そうだ。余計な感情を抱くのはよせ。この純粋な瞳に心動かされるべきではないんだ。俺がどう勝手に怒ろうとも、彼女は学園を卒業すればフラフィントン侯爵家に嫁ぐ人なのだから)
自覚しつつある想いを必死で抑え込みながら、それでも俺は屋敷を辞す前に、ナイジェルに伝えた。困ったらいつでも相談してほしいと、ロザリンド嬢に伝えてくれと。
その後ナイジェルから、ロザリンド嬢がフラフィントン侯爵家の息子から学園で受けた仕打ちと婚約解消の件を聞かされた時には、頭が真っ白になった。それと同時に、激しい怒りが込み上げる。フラフィントンに対してはもちろんのこと、彼女のそばにいて守ってやれなかった自分に対してもだ。そんなこと、学生でもない俺の立場でできるはずがないのだが、それでも腹が立った。
ナイジェルを置き去りにし、俺はすぐさま父のもとへと向かった。頭をフル回転させ、父が納得できるような理由付けを考え、説得した。そして、ロザリンド嬢の意志を確認するよりも先に、ハートリー伯爵に婚約の打診をしたのだった。
彼女は嫌だったかもしれない。俺と対面した時の彼女は、いつも俺に対して怯え、遠慮がちだった。俺は俺で、堅苦しく会話の少ない家庭で育ったうえに、兄弟は兄一人だけ。年下の令嬢になどどう接していいかも分からず、ほとんど口をきかないままここまで来てしまっていた。ましてやロザリンド嬢への自分の好意を自覚してからはなおさらだ。近付いてはいけない、よからぬ想いを抱いてはいけないと自分を律し、極力話しかけもしなかったのだ。
けれど、彼女は俺との婚約を受け入れてくれた。
無我夢中で打ち明けた俺の想いを聞き、目を見開いて、頬を染め、頷いてくれた。夢のようなあの日以来、俺なりに懸命に彼女との距離を縮めてきたのだ。




