3. 家族の憤慨
「王女殿下の……専属護衛騎士候補、ですか?」
「ああ」
私が問い返すと、ルパート様は誇らしげに胸を張り、目を輝かせて頷いた。
「入学式の二日後、恐れ多くも王女殿下がこの僕にお声をかけてくださったんだ。あなたは騎士科の生徒なのかと。さようでございますと答えると、王女殿下はおっしゃった。ご自身が信頼できる専属護衛騎士を、在学中に見つけておきたいと思っていると。必ずと約束できるわけではないが、見どころがある者から前向きに登用を検討していく。その予行演習だと思い、学園にいる間、王女殿下のおそばで仕えてみないか、と」
「ご自身が信頼できる、専属護衛騎士……ですか」
「な? すごいことだろう? 王女殿下からそのように直々にお声をかけていただくなど……。この機を逃したくはない。僕は在学中、可能な限り王女殿下のおそばに侍り、その御身をお守りしようと思う」
「……」
嬉々として語るルパート様のお顔を見ながら、私は考えた。王女殿下の専属ともあらば、学園を卒業したての経験の浅い人たちではなく、熟練の騎士たちの中から選抜すべきではないのかと。なぜわざわざご自分と同じくらい年若い令息を……?
(……ううん。それを王家が考えていないはずがないわよね。熟練の騎士たちの中からももちろんおそばに仕える人たちはいるはず。それとは別に、より多くの将来有望な人員を学園でも見繕っておく……というようなことなのかしら)
そう自分を納得させていると、突如ルパート様が眉をひそめた。
「ただし、ここからが厄介なところなんだ。……エメライン王女殿下は、華やかで美しい婚約者がいる令息はご自分のそばに置きたくないと、そのようにお考えなのだ」
「……? 華やかでも美しくなくても、未婚の王女殿下なのですから、婚約者のいる令息たちを始終おそばに置いておくのはよろしくないのではありませんか? 妙な噂でも立てば、令息たちの婚約関係に亀裂が生じる可能性も出てくるでしょうし。そうなれば、貴族家同士の軋轢にも……」
「ローズ! そういう話じゃない! 黙って最後まで聞いてくれるか」
「……も、申し訳ございません……」
なぜだか急に苛立ちを見せたルパート様に大声で叱咤され、私は口を閉じた。彼は大きくため息をつく。
「まったく……。純真無垢な王女殿下に対してそのような邪推、不敬の極みだぞ。王女殿下はただ、安心して学園生活を送りたいとお考えなんだ。さらに、数ヶ月前の突然の婚約解消。お心が不安定になるのも当然のことだ。あのお方はとても繊細でか弱い方だから」
「……」
「エメライン王女殿下は今、美しく華やかな令嬢たちを見るだけで落ち込んでしまわれる。そのような見目の女にご婚約者を奪われたからなのだろう。だが、敬愛し尊敬する王女殿下には常に笑顔で、お心健やかに学園生活をお過ごしいただきたい。……お前もベルミーア王国の民として、俺と同じように考えるだろう?」
「…………はい」
繊細でか弱い十六歳の王女が、婚約者のいる令息に自ら声をかけて学園で自分のそばにいろなどと言うものだろうか。
そう思ったけれど、この流れでエメライン王女を否定するような発言をすれば、ルパート様がどれほどお怒りになるか分からない。なんだか知らないけれど、彼はもうすっかり王女に心酔してしまっているように見えた。
(私だってまだ王女殿下のことを何も知らないんだもの。学園生活が始まってこの目で王女殿下のご様子を見れば、理解できることもいろいろとあるのかもしれないし)
自分にそう言い聞かせ、言葉を飲み込む。ルパート様は「そういうことだから」と前置きし、改めて宣言した。
「ベルミーア王国の誇りであるエメライン王女殿下の穏やかな学園生活のため、そしてお前の婚約者であるこの僕の立身出世のため、お前は来週から必ずこのかつらと眼鏡を身に着け、決して目立つ行動はしないようにしてくれ。謙虚な王女殿下のことだ、お前の存在が気にかかればきっと劣等感を覚え、この僕を遠ざけておしまいになるからな。……念には念を入れ、他にも禁止事項を全て記した一覧表を作成してきた。ここにあるから、登校までに熟読しておいてくれ。頼むぞ、ローズ」
ルパート様は言いたいことだけ言うとさっと立ち上がり、そのまま帰っていってしまった。
一人取り残された私は、目の前のかつらを見つめながらしばし呆然とする。
(……昼食……ご一緒しましょうなんて言う間もなかったわね……)
その後重い気持ちで食事をし、家族の帰りを待った。
母は昼過ぎに帰宅し、父と兄は夕方戻ってきた。全員が揃ったところで、私は今日のルパート様の訪問と話の内容について説明した。来週から突然かつらと妙な黒縁伊達眼鏡を着用して登校するのだ。私の姿を見て驚愕する前に、家族にも心の準備をしておいてもらいたい。そう思った。
けれど、私の話を聞いた父と兄は激怒した。
「どれほどうちを下に見ているんだ、ルパート殿は……! そんな妙な変装をして登校しろだと!? 俺の可愛い妹をこけにして……!」
立ち上がり握りしめた拳を震わせる兄の言葉に、父も同意を示す。
「聞く必要はない、ローズ。あんなに楽しみにしていた学園生活なんだ。ルパート殿に文句を言われたら、私がちゃんと話してやるから」
母も心配でたまらないという顔で私のことを見つめている。けれど私は、あえて笑顔を見せた。
「大丈夫よ、お父様、お兄様。そんなに深刻に考えないで。婚約者として、ルパート様のおっしゃることをひとまず受け入れるわ。ルパート様だって、エメライン王女殿下のことを心配なさってのご判断のようだし。それに彼が王女殿下に気に入られれば、王族の専属護衛騎士への道も開けるのよ。とても名誉なことだわ」
「……だが……」
家族は皆不納得な様子だけれど、私はこの数時間のうちにもう腹を括っていた。ルパート様のご実家フラフィントン侯爵家は、我がハートリー伯爵家よりもかなり格上。しかもルパート様はその侯爵家の嫡男なのだ。そんなフラフィントン侯爵家嫡男と私との婚約がなぜ成立したのか。それは我がハートリー伯爵領が豊かな穀倉地帯であり、対するフラフィントン侯爵領は鉱山資源に恵まれた土地だから。つまりこの婚約は、両領の豊富な農作物と鉱山資源を互いに安定して供給し合うための、いわば経済的契約のようなもの。
両家の間に余計な亀裂を生じさせるべきではない。ハートリー伯爵家の今後ためにも、ここはひとまず彼に従っておいた方がいい。そう結論付けたのだ。
「……そんな顔しないで、皆。やっぱり嫌だと思ったら、ちゃんと相談するから。ね?」
私が何度かそう伝えると、家族は渋々納得してくれた。けれど。
「……本当に約束してちょうだいね、ローズ。あんなにも頑張って勉強して、楽しみに準備を進めてきたのに。あなた自身が楽しくない学園生活なんて、過ごさせたくないわ」
「ルパート殿に何か理不尽なことを命じられたら、ちゃんと俺に相談するんだ。もう同じ屋敷に住んでいるのだから、何かあればすぐに動いてやれる」
「一人で抱え込むんじゃないぞ。万が一誰かに虐められたりしたら……」
母、兄、父が代わる代わる私に念を押し続ける。私は場の空気を変えるように、努めて明るい声で話を切り上げた。
「分かってるってば。ありがとうお父様、お母様、お兄様。そんなに深く考えないで。見た目が多少地味になったって友達はきっと作れるし、他にも楽しみにしていることはたくさんありますもの! ふふ。学園でどんなことがあったか、毎日報告するわね」




