26. サザーランド公爵家の力
新学期が始まってしばらく経った頃。休み時間に教室で雑談をしている時に、ノエリスが思いついたように手を合わせた。
「ね、そういえばね、大通りに素敵なカフェができたのよ! あなた知ってる? ラプルっていう果物。ラシェール王国産のものなんだけどね、それを使ったスイーツの専門店らしいの。あのカフェ、サザーランド公爵家が手掛けているみたいなんだけど、本当にやり手よね。まだこの国ではほとんど流通していない果物なのに、いち早く専門店をオープンさせるなんて。ご令息から聞いてる? ローズ。今度行ってみましょうよ」
「あ……、あのね、ノエリス。そのカフェなんだけど……」
なんとなくばつが悪い気持ちになりながら、私はクライヴ様とそのカフェに行ったことや、その経緯について、ノエリスに説明した。
「なんですって? あなたのために……っ? サザーランド公爵令息ったら、そんなにもローズのことを深く想っているわけね。驚いたわ。あんなにも淡々とした雰囲気で、女性に興味なんて一切ないぞって顔をしていらっしゃる方なのに……。あなたの大好物だと知って、素材を輸入してカフェまで作るだなんて!」
「ノ、ノエリス。別に私のためだけってわけじゃないのよ。今ではもう普通にオープンして、お客様も通っているんだし……」
予想以上に大きなノエリスの反応が気恥ずかしくて、私はじわりと汗をかきながら否定した。けれど、ノエリスは感心した様子で唸っている。
「それでも、きっかけはあなたの夕食会での反応だったわけでしょう? 愛されすぎじゃない? サザーランド公爵令息、あなたにメロメロなのねぇ。すごいわ」
「も……もういいから、ノエリス……」
二人でしている会話だけれど、周囲の生徒たちがこちらに聞き耳を立てているのは空気で分かる。恥ずかしくて止めようとしたけれど、ふいにノエリスが私に顔を寄せ、楽しそうに囁いた。
「いいじゃないの。これでサザーランド公爵令息のあなたへの溺愛ぶりが、また光の速さで社交界に広まるわ。彼、ご令嬢たちからすごく人気だったのよ。しっかりと牽制しておかなくちゃ。対抗意識を燃やしてあなたに妙な嫌がらせをしてくる人がいないとも限らないでしょう?」
「そ……それはまぁ、たしかに……」
「彼自身もサザーランド公爵家も、社交界で絶大な力を持つ別格の存在なのよ。ハートリー伯爵家も、それを実感しているんじゃなくて?」
それは間違いなく、その通りだった。
フラフィントン侯爵家との婚約を解消し、我が家は大きな取引先を失った。ハートリー伯爵領は豊かな穀倉地帯ではあるけれど、鉱山資源は持たない。そのため鉱脈を持つフラフィントン家との縁は、経済的には重要な柱だったのだ。
けれど、そんな損失は新たに始まったサザーランド公爵家との取引によってあっさりと埋まってしまったし、それ以上に我が家が得たものはあまりにも大きかった。
サザーランド公爵家との縁組みは、ただ家格の高い家と繋がることができたというだけの単純な話ではなかった。
サザーランド家は軍馬、兵站、財政、国境警備など、王国の防衛と経済を事実上取り仕切っている家。その姻戚に穀倉地帯である我が領地が加わるということは、我が領地の穀物はもはや市場で売るものというだけではなく、王国の兵站を支える戦略資源と見なされる立場になったのだ。
つまり、今後もし作況が崩れるような事態になれば、王都から即座に人員が派遣され、道路や輸送網の整備が最優先に対処される。万一の時に、王国が真っ先に守る供給拠点の一つとして扱われることになったのだ。
王宮から父に直接文書が届く回数が増え、多くの商会や貴族家から、これまでにない丁重さで「ご挨拶の機会を」と申し出が相次ぎ……。そんなことが重なるにつれ、私はこの婚約の重大さを改めて思い知った。
ノエリスとそんな会話をしてから数日後。また兄がクライヴ様を連れて帰宅した。侍女から伝えられ、私は慌てて身なりを確認すると、ドキドキしながら応接間へと向かう。そこにはまだ両親の姿はなく、兄とクライヴ様が二人きりで談笑していた。
「ほら、ローズ。クライヴだぞ。お前の愛しの婚約者様で、我が家の恩人だ。ご挨拶は?」
「お、お兄様ったら……。いらっしゃいませ、クライヴ様。先日はありがとうございました」
「……ああ。久しぶりだな」
先日のラプルカフェでのデートで一気に距離が縮まったと思っていたのに。兄が妙な茶化し方をするせいで、恥ずかしくなってまたまごついてしまう。
こちらをじっと見つめるクライヴ様の視線にどぎまぎしていると、兄がまた口を出す。
「少し二人でゆっくりしたらいい。邪魔者は一旦退散するからさ。ローズ、学園生活のこととかいろいろと話してやるといいよ。こいつ顔を合わせればいつも、ロザリンド嬢は元気なのか、ロザリンド嬢はどうしているってそればかりだからさ」
「ナイジェル。……もういいから行け」
にやつきながらそんなことを言う兄に困ったのか、クライヴ様もしかめっ面で兄を追い払う仕草をする。見ているこちらがハラハラしてしまうほど、兄のクライヴ様に対する距離感は近い。
「はいはい。……あ、ローズ。クライヴが今日もまた、ラプルの菓子をたくさん持ってきてくれているぞ」
「そうなのですね。……ありがとうございます、クライヴ様」
私がお礼を言っている間に、兄は応接間からふらりと出て行ってしまった。クライヴ様は目を逸らしながら「いや……」と小さく返事をする。
その横顔を見て、ふと、先日のエメライン王女の言葉を思い出した。クライヴ様が、『白薔薇王女と誓いの騎士』の中の騎士様にとてもよく似ているとおっしゃっていたっけ。
(似て……るかなぁ。あの絵本に出てくる騎士様は、青い髪に琥珀色の瞳だったから、クライヴ様を見て似てると思ったことはなかったけれど……。絵本の騎士様の方が、だいぶ柔らかい雰囲気だったし)
クライヴ様の、一見近寄りがたく圧のある雰囲気と絵本の騎士様は、むしろ真逆のような気がする。
私の視線を感じたのか、クライヴ様が再び私の方に顔を向けた。目が合って少し緊張していると、彼が幾分優しい声で問う。
「……新学期はどうだ。順調か?」
「は、はい。つつがなく過ごしております」
向かいのソファーに腰掛けた私がそう答えると、クライヴ様の瞳の光がさらに柔らかくなった気がした。
「そうか。それならよかった」
「はい。ありのままの自分の姿で登校するようになって、話しかけやすいと思ってもらえるようになったのか、友人も増えました。……それから、先日はエメライン王女殿下とも、昼食をご一緒させていただいたんですよ」
「……王女殿下と? ……そうか。ご様子はどうだ」
エメライン王女の名を出すと、クライヴ様の顔色がかすかに変わった気がした。彼が興味を示したので、私は学園での王女について話す。
「騎士科の男子生徒たちと一緒にいらっしゃるところばかりをお見かけします。昼食の時にいろいろとお話しをしたのですが、お一人でいることが苦手なご様子でした。……クライヴ様は、ご存じですよね? 王女殿下の……」
エメライン王女から話に聞いた、過去の誘拐未遂事件について、私はクライヴ様に話した。
すると彼は、少し怪訝そうな顔をする。
「たしかに、昔そういった事件があったことは知っているが……。その時に死者が出たという話は聞いたことがなかったな」
「……そうなのですね」
王家にまつわる事件なら全て把握している立場のクライヴ様でさえ、知らないのか。
そう思った瞬間、理由の分からない違和感が、胸の奥にかすかに芽生えた。
しばしの沈黙の後、クライヴ様が静かに言った。
「……学園で何か困ったことがあれば、いつでも俺に相談してくれ。どんな些細なことでも構わないから」
やけに真剣なその声色が少し気にかかったけれど、私は彼の優しい言葉に笑みを返した。
「はい。ありがとうございます、クライヴ様」




