1. 暗黒学園生活のはじまり
登校前。今日も私は憂鬱な気持ちで冴えないかつらを被り、びっくりするほど野暮ったい黒縁眼鏡をかける。
(この眼鏡……一体どこで見つけてきたんだろう、ルパート様。まるでわざと笑わせようとしているみたいだわ……)
ぼさっとした濃い茶髪を後ろで引っつめた三つ編みスタイルのかつらを着けると、蜂蜜のような艶のある本来の金髪は完全に隠れてしまった。やけに目立ってしまう濃い桃色の光を帯びた瞳も、野暮眼鏡のせいで存在感がなくなる。
二週間前に始まったばかりの、この私、ロザリンド・ハートリーの学園生活は、すでに暗黒そのものだった。
我がハートリー伯爵家の領地は、このベルミーア王国の南方にある。風光明媚で素敵な土地だ。
フラフィントン侯爵家の嫡男である、同い年のルパート様との婚約は、十年も前に決まっていた。お互いが六歳の時からの婚約者同士だ。
子どもの頃から時折顔を合わせる程度の距離感だったけれど、関係は良好だった。たまに会えば「ルパート様」「ローズ」と呼び合い一緒に遊んだり、お喋りしたり。お互いに決してよそよそしくもなかったし、悪感情などは欠片も持ってはいなかった。
幼心に、将来はこの人を支え、穏やかな家庭を築いていければいいなというようなことを、ぼんやりと考えていた。明確な恋愛感情を持っているのかと問われれば、いまだに自信がないけれど、大切な人であることには変わりない。
ルパート様は濃紺色の髪に琥珀色の瞳をした、整った顔立ちの優しい人だった。
我がハートリー伯爵領よりも北西側にあるフラフィントン侯爵領の屋敷に住んでいた彼も、私と同様に、王立学園入学を機に王都のフラフィントン家タウンハウスで暮らすことになっていた。
入学が近付いてくると、私は浮き足立った。王都に住める。今まで以上にたくさんのことを学べる。同年代のお友達もできるだろうし、ルパート様ともきっと毎日のように顔を合わせるのだ。もしかしたら、ランチは毎日一緒に食べることになったりして……。
王立学園は王国中の貴族家の子女や、平民の中でも際立って優秀な成績の子たちが集まってくるという。遅れをとるわけにはいかないと、入学を目前に控えた私は張り切って猛勉強をした。さらに、もう数ヶ月以上会えていなかったルパート様とも久々に会えるとあって、慣れないダイエットまで頑張りはじめた。別に太っているわけではなかったけれど、そこは年頃の娘。やはり再会した婚約者からは「お、綺麗になったな」なんて思われたかったのだ。けれど。
入学式の一週間ほど前。いよいよ二日後には王都へ移り住むため旅立つという時期に、少し体調が悪くなってきた。
「ローズ、咳が出ているわ。もう無理はしないでちょうだい。あなたは十分可愛いし、成績もとても優秀なのよ。そんなに力みすぎないで。少しは休んだらどう?」
夜中に勉強をしていると、領地の屋敷で一緒に暮らしている母が部屋を覗きに来て、心配そうにそう忠告してくれた。ちなみに私には四つ年上の兄が一人いる。そして父とその兄は王宮で文官として勤めているため、普段は王都のタウンハウスで暮らしているのだ。今回私の入学に伴い、母と私もそのタウンハウスに移り住むことになっている。
私は肩にかけていたショールを羽織り直して振り返ると、母に笑顔を見せた。
「大丈夫よお母様! このくらい気合いで治せるから! もうすぐ学園生活が始まるんですもの。できる準備はしっかりしておかなきゃね。予習って大事だもの。……ケホッ。ゲホゲホッ」
そんなことを言っていた私だけれど、気合いで治るどころか体調はどんどん悪くなり、予定通り王都のタウンハウスへと到着した時にはすでに高熱と息苦しさでぐったりしてしまっていた。数日にわたる旅の道中、急激に悪化したのだ。
家族は皆、私を溺愛していた。母は大騒ぎし、泣きながら医者を呼んだ。私の到着を心待ちにしてくれていた父と兄のナイジェルも激しく取り乱し、ベッドの上でぜぇぜぇと苦しむ私を皆で取り囲みながら、手を握り、祈りはじめた。
「おぉ……! 私の愛おしい娘……! 可哀想に、こんなに熱が高い……!」
「ローズ! この兄が分かるか!? 大丈夫だからな! 俺たちがずっとそばについているから……!」
父と兄が上擦った声で必死に呼びかけてくれているのは、なんとなく分かっていた。
けれど私は、自分が今どこの部屋に寝かされているのかも確認できないほど朦朧としており、結局そのまま目を回し、意識を失ったのだった。
その後二週間以上も、ベッドから起き上がれなかった。医師の診立てによると、体力が著しく低下しているところによからぬ菌が入り込み、胸を悪くしてしまったらしい。子どもの頃からずっと健康優良児だった私は、生まれて初めて死の淵を彷徨った。両親と兄は代わる代わる私の枕元に侍り、日夜神に祈り続けてくれていたのだとか。その甲斐あってか、入学式から二週間が過ぎた頃、ようやく私は完全復活したのだった。入学を祝う学園の鐘の音を聞いたような気がしていたが、残念ながらあれは夢だったらしい。
皆から遅れてしまったけれど、ようやく来週から登校できる……! と浮き足立っていた、その週末の午前中。
婚約者のルパート様が、お見舞いにやって来てくださった。




