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増水した川の様子を見に行ってはいけない  作者: ゆずさくら


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神話

 俺は部屋で眠っていると、部屋の扉を叩く音がして目が覚めた。

「誰?」

田村(たむら)

 扉はあいている、と言うと扉が開いた。

「早く起きて。研究所に行くわよ」

 俺はベッドから起き上がった。

「そのまま寝たの……」

 言葉には『汚い』という意味が含まれていた。

 田村が部屋に一歩入ってきた時、開いている扉から慌てて階段を上がってくる足音が聞こえた。

 田村を押し込むように美樹ちゃんが入ってくると、息を切らせながら言った。

(まなぶ)さん、田村さん、見ましたか!?」

「……」

「下に、テレビを、見てください」

 美樹ちゃんを追いかけるように俺は階段を下りる。

 田村もスマホを見ながら、後をついて下りてきた。

 部屋に入ると、祐子(ゆうこ)さんがテレビを見つめたまま言った。

「学さん、おはようございます」

 必ず顔を向けて挨拶する祐子さんが、テレビに釘付けになっている。

 俺はテレビよりも祐子さんの挙動の方が気になってしまった。

『大量に発生した巨大な生物が、次々と清水海岸から上陸して来ます』

 俺はテレビの音声に耳を疑いつつ、画面に視線を向けた。

『未知の生物は、清水区から内陸の葵区へと向かってシンコウしています』

 ヘリコプター、あるいはドローンからの映像と思われるものが、例の生物の姿を捉えていた。

 四つ足を曲げ、腹を擦るようにして移動する。

 超大型のワニのようだ。

 しかも……

「何匹いるのよ」

 そう田村が呟いた。

『現状、陸に上がってきた個体数は、三十を超えました』

 テレビ局は、まだ海の中に残っている個体がいると思っているのだろう。俺もそう思う。

「直線的に侵攻しているとすれば、ここも危ない!」

 俺の声を爆音がかき消すように過ぎていった。

「ジェット機?」

 言っている間にも同じような爆音が上空から聞こえてくる。

「浜松から来たんだわ」

「祐子さん、美樹ちゃん、生物がやってくるにせよ、自衛隊が攻撃をするにせよ、ここから避難しないと!」

『報道ヘリに対して、本空域から移動するよう指示がありました』

 テレビの音声を聞いて、俺は思った。

「自衛隊はやる気だ」

「国がそんなに簡単に攻撃命令を出すかしら」

「田村、そんなことを言っている間に逃げた方がいい」

 俺の意見に全員が頷いた。

「うわっ!」

 突然、地響きがして家が柔らかい布の上に建てられたもののように傾げた。

「地震…… いや、自衛隊がミサイルでも打ったか?」

「けど、爆発音は聞こえなかった」

「じゃあ、なんなんだよ」

 祐子さんが、俺の手を握ってきた。

「学さん落ち着いて。誰も正しい説明はできないわ」

「なんだか嫌な予感がする」

「美樹、迂闊にそういうことを言ってはいけません」

 俺は何かが引っかかって、テレビ画面を振り向いた。

 空域を離脱していくヘリコプターが、ワニのような生物が這い、火災が起きている様子をを映し出している。

 巨大なワニのような生物が、口を広げると『人』を飲み込んでいた。

「ひっ! 人を食った」

「何を言っているのよ」

「テレビ、テレビだよ」

 俺はテレビ画面の上に、指をつけて次々と人が飲まれていく様子を示した。

「……」

「そ、その後ろは?」

「えっ?」

 ワニのような形の生物の後ろに、漆黒の何かが立っている。

 巨大なそれは、昭和に作られたキャラクターと同じように二本足で立っていた。

「恐竜?」

「違う、これはゴジ……」

 真っ黒なその姿が、地面に向かって顔を下すと、ワニのような生物に噛みついた。

 咥えたままワニを持ち上げ、天をむいた。

 黒い生物が顎を繰り返し動かすと、咥えていた生物を完全に飲み込んでしまった。

 ワニのような生物は、仲間が飲み込まれたことを察知すると、向かう方向がバラバラに変わった。

 足を曲げ、腹をするような四つ足のせいで、ワニ型の生物は早く動けない。

 あっという間に黒い恐竜型の生物に尻尾を踏まれてしまう。

 そしてまた頭を下げるとワニにかぶりつき、空に向かって吠えるように頭を上げると飲み込んでしまう。

「大きさが圧倒的に違う」

 恐竜型の生物が動くたび、家がビリビリと振動する。

 最初の大きな揺れは、この生物が海で浮いていた状態から陸地に足をついた瞬間だったのだろう。

 そうしている間にも、ジェット機の轟音が、何度も家の上空に響いている。

 自衛隊はパターン通りに威嚇を行なっているに過ぎない。

 未知の生物に対して、攻撃を行うなどという判断や決断は、彼ら自身では出来ないのだ。

「車、とにかく車で逃げよう」

 俺が言うと、美樹ちゃんも、田村も同意してくれた。

「この家を」

「ゆ、祐子さん?」

「家を離れるわけにはいかないんです」

 俺は彼女を現代的で常識的な大人の女性だと思っていた。

 いきなり理不尽な事を言って周りを困らせるような人ではないはずだ。

「どうして? 家ごと潰されて命を失ってしまったら……」

「あの人が残してくれたのは、この家だけなんです」

「美樹ちゃん、美樹ちゃんも残っているじゃないですか?」

 祐子さんが、顔を背け、美樹ちゃんが目を伏せた。

 とても妙な雰囲気だった。

 田村が、顎で指図してくるのを見て、俺は頷いた。

「とにかく、ここに置いていくわけにはいきません」

 両側から肩に触れ、挟んで持ち上げるように促すと、立ち上がってくれた。

 俺は初めて祐子さんの体に触れたことになる。

 女性らしい、とても柔らかいものだった。

 恋人ではなく、母でもない、けれど身近にいた大人の女性。

 汗や石鹸の匂いでもない、香水でも化粧の匂いでもない。

 家中に広がる匂いでもない。

 まさに祐子さんの香りと表現するしかない匂いに、俺の体が反応した。

「い、急ぎましょう」

 最低限の荷物を持って俺たちは車に乗り込んだ。

 田村が運転席に、俺が助手席、美樹ちゃんが運転席の後ろで、祐子さんが俺の後ろに座った。

 走り出したが、家の近くでは人気(ひとけ)もなく、車も走っていないかった。

 田村はスピードは落としたものの交差点の赤信号を無視した。

「おい」

「非常時なのよ」

 車の速度はさほど上げないものの、田村は信号を無視し続けた。

「渋滞だ……」

 川沿いの道に出た時、川越しに橋の上の状況が見えた。

 地域の放送もない。自主的に逃げ出そうとした人々が東方向へ逃げようというのは普通に想像がつく話だった。まだ、気づいてもいない住民もいるだろう。

「橋をパスできない……」

 俺たちの車は、川に近づきすぎた。

 もう一つ上流の端に向かうには、橋を渡ろうとしている車を大回りして避けねばならない。

 田村はいきなり川と逆方向に車を回した。

「下流に向かう」

「そっちはワニのような生き物と例の巨大生物が……」

「つまり渋滞はない」

 それでいいのかと思い、後ろを振り返る。

 美樹ちゃんと祐子さんはただ呆然と前を見つめているだけだ。

 さっきの妙な雰囲気を引きずっているようだ。

「橋の付近にあの生き物がいたら逃げるぞ」

 田村は俺の方を一瞥すると、わかっている、とばかりに小さくため息を吐いた。

 少し走ると、周囲から聞こえてくる騒音が大きくなった。

 ものが崩れる音が地鳴りのように響いてくる。

 ワニのような生物は、曲げた四つ足で這うように動くため、移動速度は高くなさそうだが、互い近づくように移動しているから、正面に見えたらすぐに回避しないと間に合わないだろう。

 俺は前方を強く警戒した。

 破壊音が続くなか、左に見えるはずの橋が見えてこない。

「!」

 橋が、ない。

 壊れているなら、もっと速く気づいたに違いない。

 根こそぎ川へ落ちてしまっているため、橋の近くに寄って初めて分かった。

 田村は躊躇わずに道を進む。

「まだ南下するつもりか?」

 今の橋だけが特別に壊されていると考えるより、南から順に橋が破壊されていると考える方が素直だ。

 川沿いに南下して事態が好転するとは思えなかった。

 俺はそれを口にできないまま車は進んでいく。

 破壊音は、大きく、近づいてきている。

 車の正面に、黒い影が見えた。

「ゴ…… ゴジ」

 黒い影がもたらす巨大な恐怖と威圧感に、俺はたった三文字からなる、その名前を言い切ることができなかった。

 ワニのように這う生物より、この黒く二足で歩く恐竜型の方が移動速度が速い。

 更に大きさも何倍も大きい。

 この車など、あっさり踏み潰されてしまうだろう。

 あの怪獣(・・)は昭和の神話だと思っていた。

「も、もう無理だ」

 生物たちが進行してくるルートから考えれば、ここより南の橋など、車が渡れる状況ではないだろう。

 いや、渡れる状態だとしても、これ以上近づいたらそこにいる生物たちに蹂躙されてしまう。

「あの黒い怪獣からは逃げられない。祐子さんなら見たことありますよね?」

「……」

 なぜ皆知らないのだろう。

 AIで絵を描く事を学ぶ世代に、特撮と呼ばれていた頃の『怪獣』を見せて誰も知らない、というのはおかしなことではないが、祐子さんが知らないと言うのはどうなのだろう。

 あの世代ではあの(・・)怪獣は一般常識ではないのか。

「渡れる!!」

 田村が喜びながら橋に向かって車を旋回させた。

 車のない橋を渡り始めた直後、俺は運転席越しに黒い怪獣の足が川を蹴るのを見た。弾かれた川の水が、ありえない勢いで逆流してくる。まさか……

「水かさが!」

 水はゆっくりと迫ってくる。

 膨れ上がった水量が大きすぎる。橋が耐えられたとしても、橋の上を走行している車はひとたまりもないだろう。

「もっと急いで!」

「うるさい!」

 下から橋が押され、道ごと浮いたような感覚がある。

 あと少しなのに……

 俺は祈るように目をつぶった。




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