牧村邸
俺たちは、もう役割が終わった。
田村がどう思っているかは、確かめなかったが、俺はそう思った。
佐藤先生の研究を掘り返し、ワニ型生物の誘導装置を作った。
後は|静岡沖大型生物対策機関(SOBEC)に任せればいい。
だが、俺は田村が、大学に入る前の記憶がない、と告白した後も、何も目的がないまま廃ゴルフ場にいた。
性別的には男と女であったが、俺たちはそういう関係になることはなかった。
何日目かの朝、俺は言った。
「俺、戻るわ」
「……」
「車使いたいんだけど」
俺は田村を乗せて車を運転した。
向かう先は部屋を借りていた牧村の家だった。
助手席の田村は、何も話さなかった。
俺も喋ることがなく、ただひたすら前を見て車を走らせていた。
破壊された静岡の街を走り、ようやく牧村の家に着いた。
俺は車の運転席を出た。
田村が代わりに運転席に座った。
運転席側の窓を叩くと、田村が開けた。
「田村はどうするの?」
「廃ゴルフ場に戻る」
「そうか」
余韻もなく、田村は窓を閉めると、車を走らせ去っていった。
「……」
俺は牧村家に入ろうとして鍵がないことに気づいた。
破壊された静岡を離れ、東京へ行っていた。そこで美樹ちゃんは……
その時、扉が開いた。
「!」
「祐子さん」
俺が知っている牧村祐子さんに間違いなかった。
だが、彼女は俺のことを驚いたような目で見ていた。
「こっちに帰っていたんですね。美樹ちゃんは……」
祐子さんは、扉に隠れるように下がっていった。
「はぁ? あなた誰ですか?」
俺は『誰』という聞き方にショックを受けた。
「俺です、吉川学です」
「どういったご用件で」
完全に俺を知らないようすだ。
ちょっと前の彼女を知っていた。
認知症はなかったし、急にボケるような高齢でもない。
考えられるとすれば、美樹ちゃんが『食われた』というショッキングな事実に耐えられなくなって、記憶が混乱したのではないか。
「借りていた二階の部屋に忘れ物をとりに」
「部屋を貸したことはありません」
「そんな、美樹ちゃんと三人で良くお茶を……」
美樹ちゃんの名前を出すのは失敗だ、と俺は思った。
本当に美樹ちゃんのことで記憶障害になっているとしたら、彼女の名前を出すのは一番良くない。
「誰ですか? 警察を呼びますよ。地域に避難命令が出てても、呼べば警察はきてくれますからね!」
どういうことだろう。
俺は閉められそうになる扉に足を突っ込んでいた。
「ちょっと待って、本当に俺のことを覚えていないんですか?」
頭の中で、何かが動き始めた。
誰かが記憶を操作している。
霊体? 異次元からの訪問者?
何故、覚えていない……
「た、助けて……」
祐子さんは完全に怯えていた。
俺が、それだけ怖い顔をしていたということだ。
強引に扉を引っ張り開けると、俺は靴のまま家に入った。
階段を上がり、俺の住んでいた二階の部屋に入る。
「部屋は…… そのままじゃないか」
部屋が元に戻っているなら、俺の記憶違いかとも思ったが、部屋は大学に通っていたままの状態だった。
何故、祐子さんは俺を知らないというのか。
俺は部屋を闇雲に探し回った。
何か俺が知らない仕掛けがないか、そんなことを考えていたのかもしれない。
探さないといけない気がしていた。
「?」
あった。
ただのノートだったが、表紙に書いたことのないタイトルがあった。
『増水した川の様子を見に行ってはいけない』
俺はノートの中身を開いた。
「……」
避難勧告が出ている静岡の住宅街で通報があり、警察が駆けつけた。
駆けつけた、とは言ったが、通報からはかなりの時間が経っていた。
ワニ型生物に破壊された街に住んでいるものも多く、カバーするエリアに比べて人手が極端に少なくなっていた体。
「通報者の牧村さんですね」
「中に男が押し入って」
「まだいますか?」
彼女は玄関を出てずっと家の外にいたから、逃げ出したならわかるだろう。
「勝手口はないので、出ていっていないと思います」
警察官は頷くと、家の敷地に一人、戸口に一人ついた。
警察官は無線で合図すると、戸口にいた方が家に飛び込んだ。
しばらく小さなもの音だけがすると、外にいた警察官が戸口に戻ってきて家の中に入った。
次に警察官が出てくると、先導する警察官の後から押し入った男と捕まえた警察官が出てきた。
「奥さん、土足で入ってしまってすみません。男は警察に連れて行き、尋問します」
先導する警察官がパトカーの後部扉を開け、押し入った男と捕まえた警察官が乗り込む。
パトカーはそのまま走り始めた。
破壊された橋や道路を避けながら、被害を受けていない県の北部に位置する警察署につく。
牧村家に押し入った男の取り調べが始まった。
「名前と住所、職業は」
椅子に座った男は、だらりと両手を下げ、正面にいる警察官の頭の上をじっと見つめていた。
「名前と住所、職業ですか?」
口元がだらしなく歪んだ。
男は笑いながら、話し始めた。
「適当なこと言うつもりはないですよ。だけどもう信じられなくなってしまった。ずっと覚えていたはずの名前が違っているかもしれないんです」
「何が言いたい? 聞かれたことに答えろ」
「名前は吉川学、住所はさっきの牧村さんの家ですよ。学生です。そこの大学の四年生」
警察は特に確認するでもなく、書き留めた。
男は気に入らないらしく、警察官に言った。
「俺がいうことを鵜呑みにしないでくださいよ。そんな名前の学生がいるか、確かめてください」
「……」
警察は取り調べ室を離れようとしない。
連絡を取る様子もない。
「俺は、田村希という女性と、学校にいた佐藤流行という先生のゼミにいたんです。そこで先生が研究していたワニ型生物の研究成果を知って、誘導装置を作った」
「それが牧村家に押し入ったことと何の関係があるんだ」
「俺も、田村も、佐藤先生も、俺たちに遺産相続させた古市って弁護士も、全員素性の知れない過去や経歴が消され、塗り替えられた人物だったんですよ」
メモをとっていた警察官はペンを止めた。
「精神鑑定が必要かも」
「……取り調べ中に錯乱したんだ。この程度のことはよくある。過度な興奮状態にあるだけさ」
警察官は吉川を名乗る男に尋問を続けた。




