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増水した川の様子を見に行ってはいけない  作者: ゆずさくら


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15/20

田村の話

 両脇に並木がある、大きな通り。

 ここは静岡の大学の構内だった。

 一人の女性が歩いてくる。

 髪は艶やかで黒く、身長は高かったがモデルのように目を引くほどではなかった。

 だが、顔立ちは整っていて、大きな瞳はタレントや役者と言っても疑いを持たないほどだった。

 そんな女性が歩いているにも関わらず、周囲はまるで彼女を無視するかのように振る舞っている。

 あえて目線を送らないとか、見ないようにしているとかではない。

 空気のように、透明人間のように、ごく自然に見ていない。

 彼女自身も、それが自然なことだと感じているようだ。

 ある校舎に入っていき、フロアを一つ、階段で上がった。

 彼女は、ある研究室の前で立ち止まり、言った。

「ここが佐藤先生の研究室」

 日中ではあったが廊下は暗く、周りに人はいなかった。

 彼女の声だけが響いていた。

 ノックして入ろうとすると、声をかけられた。

「あの、研究室の方ですか?」

 声に振り返ると人がいない。

「……こっちですよ」

「!」

 彼女は驚いて左手側を振り返ると、見落とすはすがない大きさの人間が立っていた。

 ここに来るまで、別の次元を通ってきたかのようだ。

 彼女は、この男のことを一切認識していなかった。

「私は今度、ゼミに入る田村(たむら)といいます。よろしくお願いします」

「同じだよ。俺も今度佐藤先生のところに入る吉川(よしかわ)です。よろしく」

 二人は、おそるおそる研究室の扉を叩き、声をかける。

 入ってこないを感じてか、部屋の中から扉が開いた。

「誰?」

 佐藤が扉の外を確認すると、二人が並んで立っていた。

「ああ、今度研究室に入る……」

 先生は名前を思出せないようで、頭を掻くばかりだった。

 田村がそれを察して言った。

「私が田村で」

「ああ、吉川です」

「とりあえず入って」

 先生に案内されて、研究室に入る。

 どこかの遊園地から盗んできたような、プラスチックの屋外用テーブルと椅子が置いてあった。

 二人は勝手がわからないまま、適当に座った。

「ボク、研究生、初めて受け入れるから、よくわからなくて」

 田村は、まずいところに入ったと思った。

 とはいえ、他の研究室はもう埋まっており、この研究室しかいくところがなかったのだ。

 横を向くと、吉川も不安げな顔をしていた。

 どこかの研究室で、共同で受け入れた経験があって欲しかった。

「初めに言っておくけど、ボクの研究の邪魔はしないで欲しいんだよね」

 二人は頷いた。

 佐藤は彼が決めた研究室のルールを語り始めた。

 そして最後に言った。

「……だから、四年になるまではここにこないで。今日は説明会の日だから、相手が出来るけど、普段は無理だから。四年の六月まで課題を出すから、それを提出して。二週間ごとに進捗を確認して外の書類入れに、そうだな、進捗管理表は昼までには入れておくから、午後、ここにきたら取って確認して」

 田村が言った。

「そんな時期まで卒論に取り掛からなくても大丈夫なんですか?」

「さあ? さっきも言ったように卒論を持つのは初めてだからな。基本的には君たち次第だと思ってる」

 佐藤はそう言った後、何か考える風に顎に指をあてると、聞こえないような声で言った。

「それまでボクが『正常』でいられればな……」

 田村は、聞き返そうとしたが、立ち上がった佐藤が追い出すような仕草をした為、言いそびれてしまった。

 研究室を出ると、吉川はスマホを見ながらどこかへ行ってしまった。

 田村も研究棟を出ると、先生の言った『正常』がどういう意味か考えることをやめてしまった。

 二度と先生に会うこともなく、今、田村は吉川と一緒にドローンを使ってワニ型生物の誘導をしている。

 思い出すと、研究室や佐藤先生についての記憶がない。

 そして、何もかも、淡い印象しかない。

 田村は、自分自身と、佐藤先生が同じような状況なのではないかと考えた。

 理由はないが、その考えに自信があった。




 廃ゴルフ場のクラブハウスからソベックの連中がいなくなって、二人は買い置きしていたものを食べていた。

「同じような状況って、どういう意味?」

「言葉通りよ。それ以上説明しようがない」

「いや、だから田村の状況を教えてほしいってことだよ」

 田村は開きかけた口を閉じた。

「えっ、そんなに話したくない?」

「話したくないけど、ここまできて話さないわけにもいかないわよね」

 言ったまま、彼女は食事に集中し始めてしまった。

 しばらく待っていたが、俺も食事を済ませてしまうことにした。

 食事を終えると、田村が冷蔵庫から缶コーヒーを取ってきてくれた。

 互いが缶コーヒーを開け、一口飲んだ。

「で?」

「……信じられないかもしれないけど」

 彼女は手に持った缶コーヒーを見つめた。

「大学に来るまでの記憶がないの」

 俺は耳を疑った。

「そ、そんな大事なこと、っていうか……」

 記憶がない感じ、というのが先生から感じられたということだろうか。

「だって、名前は?」

「生きていくためのもの最低限は覚えているわよ。食事したり、お風呂に入ったりとか」

 もしかして、だから彼女の存在が薄かったのか。

 積極的に周りに関われないような謎のオーラは、記憶を無くしたことが要因に違いない。記憶がなければ、人が知り合う初めによくある、出身地や出身校、これまで何やってきたの(・・・)とか、そう言ったこれまで生きてきた事実をベースにした会話が出来ない。

 俺だって母親の腹にいた記憶はないが、母親から聞かされて覚えた小さい頃の記憶から、小学校や高校、これまで生きてきた記憶がある。

 もしそんなことを覚えてなかったら……

 初めてかわす会話とか、そんなレベルではない不安が襲ってくるだろう。

 なぜ記憶を失ってしまったのだろう、とも考える。

 再び記憶が損なわれたら、どうやって生きていこう、とか。

「何か夢を見るとか、失われた記憶に関する手がかりはないの? だって、親から連絡があったり、スマホの連絡先とか」

 彼女は笑いながら首を横にふった。

「スマホとか部屋の中とか、市役所とか、大学とか、考えられる手がかりは探してみたけど」

「何もない、なんてことがあるのか」

「まるでこの状態で生まれ落ちたみたいに綺麗だった」

 そんな都合よく記憶を消し、社会的な痕跡を全て整理することができるのだろうか。

 わざわざ一人の学生のためにそんな面倒なことをする理由はなんだ。

 だが、田村にそんなことが出来るのなら、佐藤先生の過去も消せるのだろう。

 彼ら、|静岡沖大型生物対策機関(SOBEC)の連中なら、それらを突き止める術があるかもしれない。




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