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 俺は昼寝をしていた。

 数ヶ月前、大学の研究室も決まり、徐々に就職活動にも本腰を入れなければならないが、何か浮ついていて、落ち着かなかった。

 フラフラしていても、別に楽しいことがあるわけでもないのに、だ。

(まなぶ)くん、おやつ食べようよ」

 一階から俺を呼ぶ声がした。

 声の主は、牧村(まきむら)美樹(みき)という。俺が下宿している先の、娘さんだ。

 俺は地元を離れ、この静岡にやってくるにあたりこの牧村家に下宿させてもらっていた。

 おそらく、おやつは美樹ちゃんの母、牧村祐子(ゆうこ)さんが用意したものだ。

 毎日ではないが、大抵の昼下がり、俺は下から呼ばれてお菓子と紅茶をご馳走になっていた。

 返事をしないでいると、軽い調子で階段を上がってくる音が聞こえる。

「いるんでしょ? 開けていい?」

 俺はようやく、ベッドから体を起こした。

「ああ」

 美樹ちゃんが扉を開けて、俺の姿を見ると笑った。

「ああ、だらしない」

「……」

 俺は自分の格好をあらためて確認した。

 髭を剃っていなかったし、裸足だったし、寝転がっている布団は乱れていて、数日着替えていないままのスウェット姿だった。

 美樹ちゃんは、といえば特に出かけた様子もないのにしっかりしたシャツに、ジーンズを履いていて、リップだけだが化粧もしていた。

 彼女には俺を見て『だらしない』と言う資格はある。

「お茶もいれるから、顔洗って降りてきて」

「ああ、ありがとう」

 先に食べていてくれてもいいのに、といつも思うのだが、必ず俺が降りてくるのを待ってくれている。

 本当に優しい人たちなのだ。

 俺は、顔を洗い、服を着替えると一階に下りた。

 一階に降りると、すぐに独特の香りを感じた。

 それは今、祐子さんが入れている紅茶の香りでも、テーブルに見える用意してくれた洋菓子が放つものでもない。

 おそらく男ではない彼女たち二人は気づいていないだろう。

 この香りは女性が放っているものだと考えている。

 二人がいるところではいつもこの香りが漂っているし、なんならさっき美樹ちゃんが俺の部屋の扉を開けた時、一瞬、この匂いを感じたぐらいだ。

 祐子さんの夫は、美樹ちゃんが小学生になる頃に、事故で亡くなってしまったそうだ。

 元々、二人とも裕福であったことと、夫が入っていた生命保険が相当額出たらしく、祐子さんはそれほど苦労せず彼女を育てているようだった。

 いや、きっと苦労はあったろう。

 だが祐子さんの振る舞いからは一切、そのような苦労を感じたことはない。

「どうぞ、おすわりになって」

 俺は美樹ちゃんの正面に座った。

 祐子さんが紅茶を各々の前におくと、三人のお茶の時間が始まった。

 紅茶を飲み、洋菓子を半分ほど食べた時、玄関の呼び出し音がなった。

 美樹ちゃんがインターホンに出ると、機械から小さい声が聞こえてきた。

吉川(よしかわ)さんいますか?』

「どちらさまですか?」

 インターホンのノイズが混じった声が聞こえてくる。

田村(たむら)です。田村(のぞみ)

「学さん、田村さんという女性の(・・・)方が」

 俺は首を傾げていた。

 同じ期の学生だったが、研究室が決まった時初めて会話したぐらいの間柄だったからだ。

 この春休み期間だって会っていない。

「ちょっと出てきます」

 俺は立ち上がって玄関を出ていく。

 俺は門のところからこっちを見ているから、その女性が田村だと認識した。

 髪は黒く、思ったより長くてツヤツヤだった。

 顔やスタイルは…… ショート動画で踊っていたら、即バズりそうなタイプのかわいい()だ。

 俺はただ彼女のルックスを見ていた。

「ああ、あなたが吉川くん」

「……」

 いきなり顔を見てその言い草はどうなのだ。

「あなたも、私を見てそう思ったでしょ?」

「えっ、いや……」

「ま、とにかく車に乗って」

 驚きが強くて気が付いていなかったが、エンジン音をさせたまま車が止まっていた。

 とりあえず、ここは一歩引こう。

 いきなり距離を縮めてくる美女は、危険だ。

 毒を持っているか持っていないかにかかわらず、蛇を見たら避けるのに似ている。

「逃げる選択肢はないのよ」

 俺は田村に腕を取られ、脇腹に刃物を突きつけられた。

「本気!?」

 自分で言ってみたものの、相当分かり合えた仲でも、こんな冗談をするはずなかった。

「あまり時間がないのよ」

 俺は頷くとそのまま車の席に押し込められた。

 田村が素早く運転席に回り込むと、車は出発した。

「あっ、しまった。美樹ちゃんに」

 そこまで口にだして、連れ去られたことを誰かに伝えて無事でいられるわけがないと考え直した。

「あのさ、俺下宿してて、いきなりいなくなったら家の二人、心配すると思うんだけど」

「LINKアプリでメッセージでも入れとけば」

 俺は思った『変な人にさらわれた、助けて』って送ってもいいのか?

「これ、どういう状況なのか教えてよ」

「私たち、遺産の相続人になったの」

「私たち(・・)!?」

 田村はため息をついた。

「教えなきゃいけいないのに、驚いたような声出して、いちいち話を切るの止めて」

 俺は頷いた。

「私も弁護士さんから聞いたんだけど、私とあなたは佐藤(さとう)先生の相続人になっていたの。先生は昨日ガソリンを浴びて焼身自殺した」

「はぁ!?」

「うるさい!」

 田村の激しい声で俺は再び黙り込んだ。

「先生の遺体の処理と遺産の分配をさっさとしたいわけ。そのためにこれから先生が自殺した研究所にいくの」

「大学ってこと?」

 田村を見ると、首を横に振った。

「先生個人の、私設研究所なの。当然そこの権利も相続される。そもそも先生に親や親戚、配偶者などもいなかった。けれど遺産をどこかに寄付するのではなく、研究室の学生に相続することにどういう意味があるのか全く理解できない」

「それはどこ?」

「ナビに入れてる。ざっとみた感じ、樹海の近くね」

 俺はまた変な声を出しそうになるのを我慢した。

「研究所に弁護士がいるわ。今、そこで慌てて財産のリストを作っている。あまり長い時間弁護士さんを拘束すると余計な費用が発生するから、とにかく急ぎましょう」

「ハンコとか持ってきてないけど」

「親指でいいそうよ」

 車で先生が自殺した研究所につくまでの間、わかる限りの内容を聞いた。

 不動産は研究所だけ、住居は大学近くのボロアパート。

 銀行の預金が二千万ほどあるらしい。

 遺言書には先生の意思を継いで欲しいというのが条件になっていて、正直そこをどうするかが問題だという。

「簡単に言えば、不動産が売却できないということよ」

「永久に?」

「少なくとも三年は売れないって」

 先生の意思と言われてもどうしようもないじゃないか。

 田村も研究室を決めるために先生と面談したりしたが、まだ正直数度しか会っていないそうで、俺とほぼ変わらない状況だ。

 四年で卒業する予定だったのに、先生の意思を継ぐには『院進しろ』ということになる。

 確かにそれができる貯蓄を相続で貰えるわけだが。

「死んじまった人間のために生きている人間の人生を……」

 急にブレーキを踏んで車が止まった。

 タイヤがロックして高い音を立てる。

「おい、なんだよ」

「行き過ぎた」

 田村は路肩に突っ込んで車をUターンさせた。

「……ん?」

 俺はLINKアプリにメッセージが入っていることに気づいた。

 そして慌てて美樹ちゃんにLINKメッセージを送った。

 だが、さっき届いたメッセージは下宿先の牧村家LINKからではなかった。

「先生からだ」

「……」

 田村は俺の言葉に答えなかった。

 車は脇道に入っていく。

 いくつか細い道をクネクネと入っていくと、今度はゴルフ場の看板が立った坂道に進んだ。

「今、ゴルフ場って」

「大丈夫、研究所は廃ゴルフ場に作ったって聞いてる」

 廃ゴルフ場って、どれだけの土地を所有しているんだろうか。

 あと三年、大学でブラブラしていてもこの土地が売れるようになったら売っ払えば……

 坂を登り切ると、ゴルフ場の建物があった。

 車の音を聞いたのか、スーツの男の人が駐車場に向かってやってくる。

 田村はラインを無視し、テキトウな感じに車を停めた。

「あの人が弁護士さんよ。行きましょう」

 俺は車を降りると、田村についていった。

古市(ふるいち)憲一(けんいち)と申します。田村さんと、こちらが吉川さん?ですね」

「吉川学です」

 弁護士は丁寧に頭を下げた。

「受け継ぐべき財産のリストはできました。均等でも均等でなくてもお二人が納得する分配が決まればそれでいいのですが……」

「どうかなさいましたか?」

「少々気になることがありまして、どうぞこちらへ」

 弁護士はクラブハウスと書かれた方向へ歩き出した。

 歩いているとゴルフのコースだったらしい場所も見えてきた。

 ここは本当に富士山の麓で、ゴルフをしていれば自然と視界に富士山が入るだろう。

 いや、クラブハウス越しに富士山が見えるのだろうか。

 お金を払ってでもこんな場所でゴルフをしたい人たちはいるのではないか。

 俺はオーナーになったつもりでゴルフ場として再生しよう、などと妄想をしていた。

 古市さんが扉を開けて入ると、田村に続いて俺も入った。

 グランドホールと呼ぶのだろうか。

 大きな洋館の入り口のデザインだ。

 大きな広間になっていて、大きなシャンデリアが上にあり、両サイドに二階へと上がる階段がついている。

 だが、実際にはシャンデリアは取り外されたようで、安っぽいカーペットはけばだち、剥がれていた。階段をあがった先にあっただろう絵画も、売ってしまったようで空間だけが存在している。

「酷いもんだ」

 俺がそう言った時には、弁護士と田村は右手の奥に進んでいた。

 急いで追いつくと古市さんへ訊ねた。

「高級なゴルフ場だったんですか?」

「さあ? 私はゴルフをしないので。問題の研究室はここです」

 古市が扉を開けるとテーブルを複数置いた部屋があり、その奥に大きな空間があった。

 中に入っていくと什器を除いて部屋の仕切り方には記憶があった。

「お風呂場ですか?」

「ええ、元はそうだったようですね。佐藤先生が買った時はそうだったでしょう」

 風呂場側の扉を開けると、南側、つまりゴルフコース側が見えた。

「露天風風呂って…… 訳じゃないですよね」

 北側に大きな窓がはめてあって、そちらから富士山が見えるのだ。わざわざゴルフコースを見たいという客がいるだろうか。

 というか、南側は、壁そのものが、大きく壊れていて、そのせいで外の景色が見えるのだ。

何か(・・)が逃げ出した」

 田村がポツリと言った。

 古市がその壁の壊れた部分から、ゴルフコース側を指さした。

「あるいは盗まれた。大きくて重いものだと推測されます。佐藤先生の遺産を相続するということは、イコールこの謎の責任も負うことになりますね」

「ちょっと見てくる」

 田村は壁の穴をすり抜けて外に出た。

 何がわかるのか、分からないかもしれないが、俺も彼女を追って外に出た。

 相当重いものを引き摺ったように草や土が擦れている。

 田村はしゃがんでその地面のあたりを観察した。

「何かわかるの?」

「足跡があるわ」

 確かに引き摺った両サイドに土を蹴ったような爪痕が残っている。

 俺はワニのような足を曲げて這うような生物をイメージした。

「ワニみたいな何か?」

「足が短くて、曲げた状態で立つから、これだけ草が伸びているところでは、どうしても擦るようになってしまうわね」

 俺は部屋に残っている古市さんに訊ねる。

「ゴルフ場の周りって柵をしているんですか?」

「公道に面した部分などは柵をしているようだが、山に面している部分に関しては確認のしようがないね」

 この時、俺は逃げ出した生物に対して、少し甘い考えを持っていた。




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