[#100-禍天の魔女・マズルエレジーカ零号]
特別なお話を入れています。
[#100-禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”]
───Side:ミュラエ・セラヌーン。
ラージウェルの背後から巨大なウプサラ亜空間が形成されていく。形成過程はラージウェルの身体から発現された素粒子にある。数多の素粒子が身体から放出されていくが、その姿かたちは各々で異なった形状を模様していた。そんなアンデンティティを想起させる工夫が施された発現素粒子は、自然現象を身に纏った装いが確認された。形状的には、真珍しい形では無く、丸だったり四角だったり三角だったり…その全てが立体模型だった。素粒子が極小規模な立体構造物を作っている中で、炎、風、水、土の“自然の摂理”がテーマカラーとして構成されていた。ラージウェルが生み出した素粒子が、一つの個体に収束していく。
ミュラエからのノウア・ブルーム攻撃が、差し迫る中、余裕綽々と個体形成に時間を注ぐラージウェル。まるでラージウェルの時間感覚だけがスローリーになっているようだった。
「何突っ立ってんだ…。いけぇ!!天根集合知!!」
ミュラエには今、ラージウェルの身に何が起きているのか分かっていない。素粒子が発現されている事は一切目視出来ていなかったのだ。ラージウェルから放出された素粒子の収束行動が終了。発現された個体が轟く…。地殻変動を呼び起こすレベルの咆哮が上げられ、当該分断エリアの人物全員がこちらに注目した。
当該咆哮によって、フラウドレスの意識が一瞬、覚醒。その意識の変化を感知したヘリオローザが、彼女の元へ駆け寄る。ゼスポナとの戦闘は…もう、既に終わっていた。
◈
咆哮が聞こえた方角は、現在ミュラエが黒影の攻撃を実行しようとしているところ。ミュラエはこの先に待ち受ける強大な外敵反応を予感し、刹那的な躊躇いを覚えた。しかしここで攻撃を中止しては、奴に一泡吹かせられない…。ミュラエはラージウェルとかいう女に対して、異常な殺意を覚えている。こんな奴を長居させたくない…させまい…として、攻撃の継続を決断。しかし、この判断は大きな誤りとなってしまう。
咆哮方角から、ウプサラソルシエール反応を確認。
「なんだ…こいつは…!?」
ノウア・ブルーム攻撃。黒影の斬撃と射術弾。斬撃は単純な大振りな大剣。天根集合知『幻影空間真空の抽象』によって生成された黒影大剣による振り払い。射術弾、というのは、多数の弾丸を高速的にぶっぱなし、一時的に幻影空間に預ける。その幻影空間の中に、黒影拳銃より射撃された弾丸を集約しておく。幻影空間のエネルギー容量規定値に満たされた時、幻影空間に集約されていた全ての弾丸が解放される。その弾丸の数、223発。黒影が生成した遠距離武器は拳銃だけでは無く、自動小銃、汎用機関銃と言ったものまでも生み出された。223発の弾丸が一気に解放され、黒影大剣の斬撃と共に、ラージウェルへ迫る。
ウプサラソルシエール反応が確認された位置から白色螺旋が発生。螺旋が発生した直後、その所定位置には煙が立ち込め、目標ラージウェルの、目視による確認が不可能に陥ってしまう。
「フン、もう遅い!!そんな反抗、無駄なんだよ!!」
ミュラエは黒影接近に対する目くらまし…だと思っていた。白色螺旋の発生も、この煙を立たせる為の行動…だと、そう思っていた。だが、次の瞬間、白色螺旋の動きが激しくなる。右、左上、下、そして前、後ろ…。各方面に向けての狂乱が始まり、煙の蔓延が一気に拡がっていく。だがその煙の拡大は、一つの裂傷行為によって晴れていった。
煙が物理的な事象によって消失していき、晴れ晴れとした世界へと変貌した。そんな晴れた世界に異物的な存在が生成された事を知ったミュラエは、すぐさまそれへの対応・処理活動を決行。竜のような巨大な白色ウプサラソルシエール。
「これは…ウプサラソルシエールなのか?」
「違うよ。これは司教兵器の類では無い。君の妹が宿している…暴喰の魔女と同種族の異形生命体」
「ウェルニと…同じ…?」
竜の背中には鎧を着飾った騎士が騎竜している。『竜騎士』と呼ぶのが相応しい装い。
「禍天の魔女。またの名を『マズルエレジーカ零号』。鴉素と蛾素の2つによってウプサラは生まれ、その統合されたエネルギーを元に生成されていくのがウプサラソルシエール。だけど、この『魔女シリーズ』は鴉素エネルギーと蛾素エネルギーの統合によって生み出されるものでは無い。元から、その状態なんだよ。ウプサラソルシエールはまだ、不完全な存在だ。だけど、禍天の魔女を含む多数の魔女は完全なる異形生命体。統合シークエンスをショートカットする事が可能なんだ」
「ウプサラは使えるの?」
「当然だよ」
「じゃあ…手加減する訳にはいかないな…」
「やり合うっちゃか?」
この間、禍天の魔女の発現から、発現終了まで、ラージウェル特有の口癖『ちゃ』が一切無かった。別人かのように…人格が入れ替わったように、ミュラエとの対話を果たしていた。ミュラエはここに勝利の活路がある…と見出した。
…なんか、馬鹿馬鹿しい考察に至ってしまうが、仮にラージウェルの人格が“2つ”ある…と仮定しよう。このようにラージウェルは口癖を使う時と使わない時…の2つのステータスが装備されている。これがラージウェルの戦闘パターンにも関係がある…とするなら、ラージウェルが操る魔女にも同期が行われているはずだ。魔女の動きとラージウェルの人格変化…。魔女の戦闘行動にほんの僅かなタイムラグがあった場合、それは、ラージウェルの人格に変化が生じた事を意味する。私が、ラージウェルに『ウプサラは使えるの?』と質問した意図はそこにあるんだ。ウプサラを使える者はウプサラソルシエールのみ。ということは、遠回しに、禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”は、ウプサラソルシエールだと言っているようなものなのだ。『違う』と言っていたが、私には“ウプサラソルシエールもどき”の異形生命体としか思えない。これがもし、“暴喰の魔女”も使えるとするなら、話は変わってくるが…。
マズルエレジーカ零号に対して、ミュラエの黒影が刃を剥く。尖り切った切っ先を先端にして、ミュラエは黒影大剣から長槍を生成。遠距離武器は今まで活躍していた物を継続されている。長槍は、大剣と違って、振り払いなどによるソニックブーム効果を発揮しない。つまり自らが外敵に物理的接触を果たす事になる。だがミュラエはこれを望んでいた。相手の情報を知るには先ず、こちらから打って出なければ…と思ったからだ。現在、ミュラエには奴の行動パターンに関連する能力を知り得ていない。ウプサラが発現出来うる存在ならば、注意する必要性はある。……今はこれしか無い。たから…と………………
ミュラエが攻撃姿勢を整え、長槍をマズルエレジーカ零号への攻撃道程に設定していた頃。もっと簡単に言うと…長槍が、マズルエレジーカ零号に直撃…しかけた刹那、マズルエレジーカ零号が飛翔を遂げる。
「…クソ…」
竜の姿をしていたから、飛行能力を有している事は分かっていたが…実際にやられてしまうと対処の必要性があった。ミュラエは幻影空間を発動させ、黒の輪を自身の眼前に生成。ミュラエは黒の輪に入り、空間転移を実行した。黒の輪がワープアウトした場所は言わずもがな、マズルエレジーカ零号の目の前。当該目標は現在も飛行中。ミュラエは幻影空間を発動し続けて、上空への滞在時間を無限稼働させた。黒の輪が出しては消え、出しては消え…その黒輪にミュラエが入っていく。そこから出ると空間転移が発生し、ワープアウト効果を発揮。ワープアウト効果が発揮された時、目の前にいるのは飛行中のマズルエレジーカ零号だ。マズルエレジーカ零号は必死なミュラエの接近から逃げていた。ミュラエは本気を出せば、マズルエレジーカ零号の顔面の目の前にでも、ワープアウトを果たす事は容易だ。だが、今はそこまでの最接近に相当する行為を自粛。相手の行動パターンを視察したかったからだ。ウェルニだったら、きっとここで相手の顔面を切り裂いたり、外傷では収まり切らない惨憺な負荷を負わせているだろう。ミュラエの戦闘行動は、物事を深く捉える。戦闘の先を考え、対象となる殲滅ターゲットの“考察”に多くの時間を使うのだ。
─────
「攻撃しないの?」
─────
黒輪ワープアウトを繰り返し、マズルエレジーカ零号との距離を所定のものとしていた時、空間転移直後に、ラージウェルが突然現れる。
考え過ぎていた…。ミュラエは対象となる殲滅ターゲットを、禍天の魔女・マズルエレジーカ零号にしか当てていなかったのだ。
「そんな⋯…!?どうして…?」
自分にも全く意味が分からなかった…。どうして?私は何故、単独でしか物事を見れない…!?
「ミュラエぇ…俺の事も忘れないでほしいちゃか!」
「⋯!?そんな!?」
マズルエレジーカ零号のことしか目に入っていなかったミュラエにラージウェルの魔の手が襲い掛かる。黒色粒子を放出し、遊弋化を遂げたラージウェルは黒輪ワープアウト中のミュラエを地上に蹴り落とす。地上に強制降着されたミュラエを待っていたのは、マズルエレジーカ零号の火焔ブレス。ミュラエの火焔ブレスに対しての黒輪を発動させ、防御。更に防御だけでは無く、リフレクター機能を発揮させる。黒輪の中に、吸い込まれるように直撃し、黒輪へと消失した火焔ブレス。ミュラエはもうひとつの黒輪をマズルエレジーカ零号の顔面へ。その黒輪からマズルエレジーカ零号が噴射した火焔ブレスをゼロ距離攻撃。しかもそれはただのゼロ距離攻撃では無い。
黒輪の中へ、吸い込まれるように吸収された火焔ブレス。当該攻撃は幻影空間内で強化加筆修正が施され、闇の力を手に入れた。火焔ブレスに黒影の力を纏わせた特殊火焔ブレス。その魔改造が実施された特殊火焔ブレスがゼロ距離攻撃にて放たれ、マズルエレジーカ零号は大打撃ダメージを受けてしまう。
何とかギリギリのところで、危機を脱したミュラエだったが、簡単に事が終わる事は無かった。マズルエレジーカ零号に大打撃ダメージを与えられたとしても、宿主であるラージウェルには一切ダメージを与えられていない。
ラージウェルは攻撃を受けた禍天の魔女に対して、何も思っていないようだった。ゼロ距離攻撃を受けた直後、彼女は少しも抵抗を見せて来ず⋯。普通、ミュラエの天根集合知を中断させるような妨害行為をしてもおかしくない。それなのに、ラージウェルはマズルエレジーカ零号がやられる姿を見ているだけ。
「やっぱり、乳蜜祭を邪魔するだけの力はあるね。あ、そうっちゃか!シキサイシア!まだ終わっとらんちゃね」
「⋯⋯アトリビュートは⋯?」
ミュラエは奴隷の状態を心配する。
そう、通常人類とアトリビュートの奴隷混合は、分断エリア内の外縁部に配置されてある。これは教皇ソディウス・ド・ゴメインドが設定したものだ。100名以上もの奴隷がいたが、このエリアには過半数以上の奴隷しかいない。後の奴隷は“向こう側”にいるのだろう。恐らくアーチ上かと思われる。
「奴隷⋯。俺が先に始めちゃおっかなぁー」
「やめろ!」
「ミュラエ⋯あなた、女の子だよね?俺と同じ。女の子が『やめろ!』なんて言わない方がいいよ。似合わないし。もっと凛としていた方がミュラエには合ってるよ」
「外縁に配置されてる人間に少しでも触れてみろ⋯私はお前を殺す」
「まちゃまたー、そんな物騒な事言うもんじゃないよ」
そう言った直後、ラージウェルの姿が消えた。まさかと思い、ミュラエは外縁部に配置されてる直立状態の人間達に意識を集中させた。しかし外縁部をぐるりと何周しても⋯速攻的に周回しても、ラージウェルの姿は無かった。何周もしている時、目に映ったのはヘリオローザと⋯⋯ウェルニ改めレピドゥスの戦闘風景。2人は大丈夫⋯。そのはずだ。
外縁部にいない⋯。こんな一瞬に姿を消して⋯話の流れ的に対象物となる目標が他にいるとは思えない。まさか⋯私⋯?“まさか”って⋯なんだよ⋯別に意外性も何も無いだろうが⋯。私はやつを殺したがってるんだから。そんな奴を殺そうとするのは普通の事だ。もし私の事を殺したりしない奴がいるとするなら⋯するなら⋯するなら⋯⋯⋯⋯いや⋯そんな⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯!!!
「ラージウェル!まさか⋯!!」
「今気づいたの?遅いね?」
ラージウェルがその身を置いていたのは、ティリウスの近くだった。ティリウスは倒れ伏せており、戦闘不能どころか、瀕死にも陥っている状態。
「遅かっちゃね。いただきますはもう終わったんだぁ。だから⋯挨拶はしっかりしたから怒らないでね」
「、、、、、、おまえ、、、、、、」
「いやで!でも!ちゃんといただきますの挨拶の後に、どこから行こうかなぁとかは考えちゃし⋯いただきますの後に、ダラダラと何から何からぁ⋯ってやるのはマナー違反だと思うちゃから!」
「おまえ、、、、、、、」
「ん?感想?そんなの言わちゃる?それは⋯ミュラエも食べてから見極めてみてよ!きっとティリウスにハマると思うよ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯おまえ⋯⋯⋯⋯何してんだよ」
「え、、、頭、イカレちゃったの?今、俺が何をしてるか分からないなんて⋯記憶喪失にでもなっちゃったのかな?良かったら診察してあげるちゃよ。ほら、ちょっとこっち来て!今、いい所食べてるから、こっちゃら動きたく無いのよー」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
言葉が出なかった。禍天の魔女・マズルエレジーカ零号は“暴喰の魔女”だった。私とウェルニが実験台としての被害に遭った旧式ヒュリルディスペンサーの時に出会った、“暴喰の魔女”。暴喰の魔女は、指定対象物を喰らい尽くす『暴喰』という能力がある。このシステムを使って、朔式神族へ献上品として人間の部位を献上する。そしてその対価として朔式神族より、天根集合知が与えられる。人間の力を極限にまで高める事が可能な天根集合知。天根集合知の価値は献上品によって定められている。それなりに今後の私生活に支障をきたすレベルの部位であればあるほど、天根集合知の価値は上昇していく。だがリスキーな人間になる事を承知する必要がある。左腕を差し出せば、かなりの高い価値がつく。天根集合知は人間側で選べないが、それなりの能力は対価として与えられるだろう。先述したように私は、子宮を、ウェルニは記憶を献上した。
だから私は金輪際、子供を産めない。ウェルニは、ヒュリルディスペンサーを行う前の記憶が無い。記憶を献上するという行為は今までに類を見ない事象だった⋯という事で、より多くの⋯そして高い価値のある天根集合知が与えられた。その際に、暴喰の魔女・レピドゥスと邂逅を果たしたのだ。
偽りのイベントだと言うことはさっき知った。私達は騙されていたんだって事を⋯。
旧式ヒュリルディスペンサーを経験した事がある人間は、私達セラヌーン姉妹以外にも、このエリアに存在していた。私は彼からその事を聞いて、過去に覚えた感情を想起させてしまう。同じだった。なんとなくだけど⋯カテゴリー的には同じパッケージの中に内包出来るものだ。
クレニアノン⋯。
クレニアノンは、私達と同じアトリビュート。にも関わらず、剣戟軍に入隊し、人間に力を貸していた⋯と思っていた。だが真実は違っていた。密偵調査をしていたに過ぎなかったのだ。私は彼の真理を無知なままに殺害。私はその時、失意⋯とまでには行かないが、物凄く複雑な感情に駆られる。どうして⋯何故彼の想いを汲み取れないまま、殺してしまったんだろう⋯と。実際、クレニアノンが私達の両親を殺したのは事実。だから彼には大罪が乗っていた。殺すには十分値する存在だ。だけど⋯⋯あんな簡単に済ませてしまって良かったのか⋯と思ってしまう。
クレニアノン。あの日以降、私は彼を回想させる日々が続いている。今も横に⋯彼を思いながら生きている。一回しか会ったことの無い人物だ。それなのに、昨日の事のように彼の“言葉”が蘇る。なんなら、今、もし彼が生きていたら⋯と自分の深層意識で偶像さえ作ってしまった。自分の独断と偏見で作ったクレニアノンの偶像なので、所詮は私の思考から抽出しただけのオブジェクトに過ぎない。だが、彼の口から発せられている言葉なのは確かだ。
クレニアノンとティリウスと重ねてしまう自分。似ていると思わないか?私はこの2人との出会いを別れの過程が酷似しているように思える。クレニアノンは同種族で、本来の目的はセラヌーン姉妹の救済。そのためには母と父を殺す事は仕方無かった。
ティリウスは同じ旧式ヒュリルディスペンサーを受け、同じようなリスクを背負いながら生きてきた。子供を残せない⋯自分の遺伝子を後世に継ぐことが許されないという、痛みの残らない罰。
両者とも最終的には、私を救おうとしてくれていた。それなのになんだ⋯これは。私はまた、何も出来なく終わるのか?
ラージウェルの禍天の魔女は“暴喰の魔女”の姿も隠し持っていた。旧式ヒュリルディスペンサーの時に、今やウェルニにも寄生しているレピドゥスが、ウェルニの時に行ったような方法⋯ウプサラの虚想空間を生成し、その中で物事を進める⋯。
⋯⋯⋯
⋯⋯⋯
⋯⋯⋯
私は、その未来を見たかった。
どうせ、ティリウスが殺されるなら⋯突然、旧仲間が死ぬなら⋯それが良かった。
◈
ラージウェルは、地獄。地獄を人間にトレースしたような人間だ。
マズルエレジーカ零号版の“暴喰の魔女”は、ウプサラの虚想空間を生成せず、現実世界にて、暴喰を実行。ティリウスを貪り喰う姿を見て、ミュラエはミュラエ自身の自我を放棄したくなる。そうすれば自分の感情は薄れ、現在の感情を持たずに済むから。だが、心はそれを簡単に許さない。まるで試練かのように、心はミュラエを突き放す。
“突き放す”と思っていたのはミュラエの性のみ。ミュラエの心は、突き放してなどいない。これがミュラエにも必要なイベントだと思っているのだ。ミュラエがもうひとつ⋯高みへ行くには、“呪縛”から解放される必要性があった。
クレニアノンと酷似する現在⋯。ミュラエはティリウスの殺害シーンを見て、正気じゃいられなくなる。この感情に連なる思想が『殺意』になっても全然構わない。尚更、殺害になればそれでいいとも思っている。
『でも、そうしたらクレニアノンと同じ結末になっちゃう⋯⋯』
ミュラエは自身の心に対しての問答を開始する。心とミュラエの対話。俯瞰してみるとこれは、『ミュラエ×ミュラエ』の対話に相当するシーンなのだが、現在のミュラエには、ウェルニの中に暴喰の魔女・レピドゥスが寄生しているように、ひとつの生命が存在していた。実際、その生命が外部に何かを発生させるシンギュラリティポイント的な要素を持ち合わせる存在では無い。これはミュラエのみが、相対できる唯一の生命体。異形生命体にも属さない、心の病だ。
ミュラエからの問い掛けに答える素振りを見せない“相手”。
『私は殺るから』
自分を律させる寄生体かと思えば、口出ししてくる事は一切無い。いったい何が目的なのか分からない。特に何を言ってくる訳でも無いから、ミュラエは自身が思い描いているビジョンを遂行しよう⋯と決めた。
◈
ラージウェルはティリウスの全てを喰らっていた。ティリウスの内臓までもを禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”を通して喰らう。ラージウェルの身体の中には、ラージウェルの肉片が処理されている。マズルエレジーカ零号がティリウスに肉体を喰らい、人間的に有効な要素を含んだ肉片のみを宿主に送信。マズルエレジーカ零号はバルブフィルターとしての機能を発揮させていた。
胴体の内部から無くなっていき、腰、脚部、上半身に戻って頭部、そして最後、生命維持の最大器官・心臓を喰らう。人間の肉体は、喰う事で、その人間が保持していた能力を継承する事が可能だと言う。これは朔式神族が持ち込んで来た際の第一次七唇律法政案に記載されていた事項。
だから戮世界の住人達は、進化を遂げて天根集合知を始めとする異能の発現を可能としている。現代に至っては、人間の捕喰に対して拒絶意識が芽生えた人間が多く、滅多に行われる事は無い。あるとするならば⋯シキサイシア。大陸政府らは奴隷となった人間を一切容赦しない。“死刑”に的な意味合いも込められ、捕喰の儀式も執り行われる事がたまにある。
マズルエレジーカ零号は竜。その背に騎竜手がいる。鎧兜を着装しているので性別の特定が出来ない。魔女の名を冠してある辺り、女だとは思っているが⋯。ウプサラソルシエールも『司教兵器』として分類されるが、一応“ソルシエール”という意味は“魔女”。黒色粒子の鴉素エネルギーは、男性の思考ルーチンが搭載されているので、魔女だからといって、女であるとは限らないのだ。
捕喰する様は、ビジョン出来るそのままの内容。ティリウスからの流血をガン無視して“生きるために”喰らっているようだった。バラバラにされたティリウスの身体。ボリボリなどの擬音を発生させておらず、静寂の中で捕喰を決行している様子が、とても歪だった。
「おいちいよ。やっぱし天根集合知を持ってる人間は格別だね。良かったらたべる?どう?せっかくの関係性なんだから、あなたもティリウスに特別な気持ちがあるんじゃないの?そでちょ?」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
ミュラエは黙って近づく。近づくに連れて、天根集合知の黒影が増大。それに気づいたラージウェルは彼女の歩行を止めようと、ノアマザー2人を招集。
ノアマザーは、乳蜜学徒隊の教母。現在ノアマザーは、外縁部に配置されている奴隷のシキサイシア再開の任に就いていた。
ノアマザーの招集。ノアマザー2人は突然のことに一瞬驚いたが、現状の把握を直ぐに掴み取り、内容を理解。ラージウェルに迫るルートを歩み進めるミュラエの妨害を指令する。ノアマザーは口に出す訳でもなく、そのまま指令に従った。しかし、ミュラエからの天根集合知は収まりが効かず、ノアマザー2人のウプサラソルシエールは全く歯が立たなかった。2人はそれぞれニュートリノ・ヤタガラス『ヴァルトラム』、ニュートリノ・レイソ『マルシャルク』を発現するも、ミュラエの行動を停止するには至らなかった。2つのウプサラソルシエールは、ミュラエの行動を停止させる為に、獣人化を発動。黒色と白色。それぞれの素粒子が全身から放たれていく。放たれて行った粒子攻撃は次々とミュラエに直撃していき、爆煙を発生させるにまで成功していた。だがミュラエの行動を停止出来ずに陥った理由は、ミュラエが発動させている天根集合知の黒影にあった。とにかくミュラエは黒影を技巧に利用。全ての事象をゼロに戻す、黒影の輪。黒輪と命名されている当該変化兵器は、ウプサラソルシエール2体からの攻撃を完全カット。黒輪はウプサラソルシエール2体から放出されている粒子を全て飲み込み、真反対逆噴射。放出元である2体に粒子が炸裂する。しかもただ単にウプサラソルシエール2体からの粒子を逆噴射したのではなく、意図的に、ニュートリノ・ヤタガラス『ヴァルトラム』には白色粒子を。ニュートリノ・レイソ『マルシャルク』には黒色粒子を、それぞれが潜在意識的に苦手と言われている、粒子をぶつけた。ウプサラソルシエール2体はこれに対して悶絶。ミュラエはウプサラソルシエールを脅威と厭わない。最高の戦術を引っ提げ、ラージウェルへと接近して行った。
ノアマザー2人は、自分達の司教兵器が全く歯が立たなかった事への自省を強く思う。
『なぜだ⋯なぜ効かない⋯⋯効かない⋯恐れを成していなかった⋯私は、この身を捧げたはずだ⋯。七唇律聖教へ⋯自分の命を捧げ、これからの戮世界を⋯鎮魂の理に重ねていくと誓った⋯。それがこんな結果で終わろうと言うのか⋯終わりなんて考えた事も無かった⋯。乳蜜学徒隊。シスターズと教信者で構成された中に、私達は組み込まれる⋯。この位置から七唇律聖教を支えるのは愉悦でしか無かったのに、まさか原世界からの使者に⋯命を爆砕されるとは⋯』
───────────
「そんなに反省するんだったら、もう邪魔だし退いてよ」
───────────
「⋯!?」「⋯!?」
『君達はまだ生きてるっちゃね。それなのに、、、死を考えるのが早いんだよ。せっかく朔式神族よりもらった命なんだから、もっと楽しくさ、愉快にさ、豪快にさ、まだ見たことの無い世界に行きたい!とかは思わないっちゃか?。俺は思うよ!せっかく朔式神族に認められた遍歴があるんだからー!でも⋯残念ちゃかね。一回失墜した感情を取り戻す事は出来ない。2人は⋯俺がもらっちゃう』
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯!!!!」「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯!!」
2人はラージウェルが発言している最中、必死になって現状を憂いているような発言を繰り返していた。だが⋯その音はラージウェルへ届いていない。それもそうだ。ラージウェルはノアマザー2人から、声帯を切り取ったのだ。
『2人に声帯はもう要らないよね』
発生器官が失われた2人は更なる地獄を見る事になる。
ミュラエは黒輪を発生させ、ワープアウトシークエンスを開始。黒輪が行き着く先は、当然ラージウェルの真ん前。即ち、死骸となり見る影も無いティリウスだ。ミュラエのワープアウトシークエンスは、尋常じゃない速さで遂行される。だがその他人がついていけない速さに、同等かそれ以上の能力を見せつけるものが現れた。それは禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”だ。
マズルエレジーカ零号はなんと、ワープアウトポイントである2枚目の黒輪出現地点を予測し、黒輪出現寸前にマズルエレジーカ零号が幻影空間に侵入を果たす。ミュラエはその時、黒輪の中、幻影空間内に入る直前であった。黒輪に異物的な問題が生じた事は発現者であるミュラエへ直ぐに伝達される。
「なに⋯!まだ黒輪は出てないのよ!?」
「残念、その天根集合知、もう俺の中で全部読み切っちゃったよ」
「なに!?」
ミュラエは怒りを滲ませる。既報の通り、ラージウェルには憤怒。怒りは次なる行動によって、爆発が余儀なくされている状態だったので、もう止められない攻撃意識が彼女の体内には目覚めていた。
「一つ目の黒輪。ミュラエの真ん前に現れるじゃん?その黒輪の出現ポイントも予測立ってたし、二つ目の黒輪出現ポイントもその一つ目黒輪ポイントから計算して、ああああ、ここかぁ⋯って直ぐになっちゃった!」
「黒輪の空間転移ルートを読んで、二つ目の黒輪発現位置を読んでいたっていうの、、、、」
「そ!まさしく、そ!っちゃかね。黒輪の中、幻影空間には、俺の禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”が棲息。外部からの侵入時に、聖域を侵された⋯として、防衛行動が発動し、幻影空間とのコンタクトを許さない⋯。それは発現者であるあなたも同じよ」
「なんだって⋯⋯」
「疑っているのなら試してみれば?」
「⋯⋯⋯」
ミュラエは黒輪を発現。黒輪がミュラエの近くに発現されたその時、黒輪の輪郭が形成され、逆算的な黒輪が再形成されていった。つまり“上書き”にも相当する展開だ。ミュラエが発現した黒輪の上を描くように、同等の黒輪が形成され、その黒輪からマズルエレジーカ零号がミュラエへの直接攻撃を開始。しかもその攻撃元はマズルエレジーカ零号の竜では無く、騎竜手からの攻撃だった。三叉槍を思わせる兵器を右手に持っており、三本の尖端兵器から構成された三叉槍から放たれた『黒雷』がミュラエに直撃。ミュラエには激痛が走り、一時的な感電状態へ突入。身動きが取れなくなってしまった。
「うわぁ、すごっちゃかね!!びツくり!!これもミュラエの天根集合知のおかげだよ!ありがとね!」
「⋯⋯⋯⋯」
無言。理不尽にもラージウェルはミュラエからの返答を期待していた。自分がミュラエを行動不能状態に陥れたのに、ラージウェルはミュラエの言葉を待っているのだ。ミュラエは動きに多大な制限が掛かっただけで、視覚や聴覚に障害が発生した訳では無い。なので、全てのラージウェルからの憤怒に直結することが容易な発言を耳にしていた。
虫唾が走る行為の連続で、自分の感情はどうにかなりそうだった。その時、ミュラエの憤怒に反応する一つの光の兆しが身体中を駆け巡る。心体が神々しく光り、ミュラエを抱擁するように極大な光明さを露出させていった。
そんなミュラエに訪れる力を冷静に分析しつつ、ラージウェルは禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”を通して、ノアマザー2人を暴喰していく。ノアマザー2人の黒色と白色が自身のエネルギーとなり、自身が発現出来るウプサラ量子は拡張展開。脅威的な鴉素と蛾素の統合体『ウプサラ』を発動可能に至った。
「わぁお、、、なんか知らぬうちに凄いっちゃことになちょんね⋯。俺、何ターンか進化フェーズ見逃しちゃかな、、もったいないことしなぁ⋯」
ラージウェルは“進化フェーズ”と解釈したが実際、これは進化に相当する事象では無い。ミュラエの白鯨『ゲブラー等級』が宿主の生命維持危険反応を感知し、覚醒したのだ。
「なぁんだ白鯨か。しかもあの感じだと⋯ゲブラー等級だね。そんなんじゃ俺には勝てないっちゃね。最後の足掻きかな」
「**********00000000******1」
「それやめてよーー!ガチでうるさいだけなんだから!」
白鯨『ゲブラー等級』。その言葉通り、白い鯨の形をした浮遊航行生命体。全長12mの白鯨ゲブラー等級がミュラエから発現され、周辺のエネルギーは白鯨に収束されていく。
「俺はミュラエみたいに白鯨は出さないからなー!」
「********10」
ミュラエの意識を乗せた白鯨ゲブラー等級は、ラージウェルへの怒りを呼び覚ます。
「そんなに怒って無いくせに⋯。それもどうせミュラエの怒りでしょ?白鯨自身の感情じゃないもん、つまんないちゃか!!」
「*******111110」
「そんなにわーギャー言われても⋯」
白鯨ゲブラー等級が、ミュラエ意志を受け、攻撃開始。白鯨の口腔から繰り出された『裂傷光線』なるものが6発放たれる。
「それ⋯⋯俺に向けていいものだと思ってんの?」
「****111***000000」
「その『ニルエナ語』⋯やめてよねいい加減⋯」
ミュラエの天根集合知『幻影空間真空の抽象』から発動された黒輪。現在、黒輪から通じる幻影空間はラージウェルが制御している。黒輪の中で“管理者”のようにその身を棲息させている、禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”が、ゲブラー等級より繰り出された裂傷光線に反応。
裂傷光線というのは、白鯨より生み出されるラビウムエネルギーの高加速思考直結解放。対象物を切り裂く破壊光線は、極大なエネルギー量子の一斉回路解放であり、多くの攻撃ゲージを消費することになる。だがその攻撃ゲージの消費量と白鯨等級位階制度は比例する。ミュラエの白鯨はゲブラー等級。位階制度には“10”もの位がある。その中でもミュラエの白鯨は真ん中に位置する存在だ。
真ん中の位だからといって、裂傷光線が軟弱なものということでは無い。非常に強力な兵器である事には変わりない。白鯨は裂傷光線を放射し、黒輪ごとの“切り裂き”を図った。ミュラエが発現したものをミュラエの白鯨が破壊する⋯。皮肉にもこのようなシチュエーションに成り果ててしまったが、今や、ミュラエに戦闘行動を選択する余裕は無い。彼女の意識を白鯨ゲブラー等級へ乗せ、自らの手で黒輪の排除。即ち、黒輪の中にいる禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”の殺害を実行する。
白鯨からの裂傷光線が放射されると、マズルエレジーカ零号の実態が現実世界に現れる。これはいわばホログラム的なもので実際にマズルエレジーカ零号が現在いる空間は幻影空間だ。ラージウェルの嘲笑⋯とも言うべき事だろうか。裂傷光線は、ラージウェル単体に向けて放射されていったが、これは黒輪が吸収してしまう。しかしここからが勝負だ。最早、ミュラエの狙いはここ。先述したように幻影空間自体の破壊を決断している。並びに幻影空間をすると共にマズルエレジーカ零号は自動的に消失。幻影空間に存在する全ての“モノ”は、残置されている場合、無きもの⋯となっていく。幻影空間を破壊すればマズルエレジーカ零号も消えるのだ。
裂傷光線にはそれが出来る。
「知ってるよ。俺は⋯ミュラエの目的が⋯」
ラージウェルは今、現実世界にいる。その眼前には⋯ミュラエの身体があった。黒雷を受けて、ミュラエの身体は大規模な感電を受けてしまった。意識は白鯨の中にトレースし、現在、ミュラエ本体の中には魂が無い状態。
魂の抜けた器。空っぽの人間。人間⋯と言えるのだろうか。“肉体”が地面に置かれている。
「これ、俺のものにしたいなぁ⋯」
そう言い、ラージウェルはミュラエに接近した。するとミュラエの身体から黒い網膜が発生する。ミュラエを爆心地に、その網膜は範囲を一気に拡大させ、来るものを寄せ付けまいとした。
「『デスロックシステム』⋯。この網膜を抜けた人間に待っているのは毒の矢。生物を絶命に至らしめる極有害猛毒搭載の防衛機能。小癪な真似をするね⋯俺、ミュラエのもっとこと気になっちゃうよ⋯」
ラージウェルは、ミュラエへの接近を中止。ミュラエを捕喰する計画も、流れで終わりを迎えた。
◈
幻影空間。ミュラエは白鯨ゲブラー等級となり、禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”と相対する。マズルエレジーカ零号にラージウェルの人格は載っていない。これからラージウェルが幻影空間に現れる可能性も捨てきれないが、もしそうなら今このタイミングで来てもおかしくない⋯と思われた。ミュラエのデスロックシステムが起動した事で、ミュラエ本体への接触が不可能になったからだ。自然的な流れで、本体に接触が出来ないのなら、意識が移行している白鯨を攻めに来るのが普通の流れ。なので、本当にミュラエを欲しているなら、もう既に幻影空間に降臨してもおかしくないのだ。
しかし、なかなか現れる気配が無い。マズルエレジーカ零号は、黒影を手に入れてしまった。だがミュラエも天根集合知“幻影空間真空の抽象”は発動可能状態にある。天根集合知を削ぎ落とされた訳ではなく、そのままコピーペーストを実行された⋯と解釈して違いない。
相手に自身の力をコピーされてしまったミュラエは、相手がどこまで幻影空間の特徴を活かせられるのかを、把握する必要性があった。そこに勝利の活路がある。そう思ったミュラエ兼白鯨ゲブラー等級は、挨拶代わりの幻影爆弾をマズルエレジーカ零号の頭上に降らせる。主に言うと焼夷弾的なもの。『クラスタースレイン』とも言うべき攻撃手段だ。黒影によって生成されたミサイルから、複数の焼夷弾を投下し、相手の頭上に向けてぶち込む。現在両者は、互いに顔と顔を向き合っている状態。言わば、“睨み合っている”とでも言えるシチュエーションにある。どちらが先に攻撃するか⋯その牽制合いが行なわれている状況ではあったが、このままクリーンなステージを継続させるつもりはミュラエに無い。
頭上に降り掛かるクラスタースレイン。その速さも並大抵のものでは無い。それもそのはず、黒輪によるワープアウトを使用しているからだ。元々の天根集合知の出処はミュラエにある。たとえ自分の身体⋯器を捨てようとも意識さえあれば、器が白鯨となっても自分の天根集合知は発動可能。頭上から振り落ちるクラスタースレインは黒輪の中へ一旦、収める。クラスタースレイン全弾が内蔵された黒輪の中では、恐ろしい事に速度アップの歯車が急速回転を実行している世界だった。マズルエレジーカ零号とミュラエが幻影空間はその名の通り、黒の世界。サンファイアが創成した⋯と思われている別次元世界『サイケラージュ七次元』が存在している通り、異能者には、人それぞれの“世界構築”が可能なのだろう。幻影空間はその一種。だがこれは天根集合知より発生した世界構築なので、独創的なものとは言えない。『幻影空間真空の抽象』を対価としている異能者は、この世にミュラエだけ⋯とは言い切れないからだ。
歯車が急加速に回転する世界をフィルターしたクラスタースレインは、落下速度を格段にアップさせる。更に立て続けに黒輪は落下中のクラスタースレインに向けて、進行ルートへの介入を果たす。そこからの流れが、あと2回繰り返された。最早、目に見えない速度となり、自然物理的な法則も生まれ、常軌を逸した速さと成り得たクラスタースレイン全弾。
相手の動きを視察するための初撃⋯ではあったが、タイミングがタイミングだった。今、こうして互いに牽制し合ってる状況なもんなら、攻めるしかない。落下攻撃が直撃しかけた瞬間、マズルエレジーカ零号からの大翼を使用した薙ぎ払いが発動。多数の焼夷弾が大翼の餌食になってしまい、ほとんどの攻撃が無効に終わってしまう。大翼の薙ぎ払いによって焼夷弾がマズルエレジーカ零号直上にて大爆発。爆煙が発生しマズルエレジーカ零号の周辺は、視覚野にて観測が一時的不可能に陥る。だがミュラエには容易に現在のマズルエレジーカ零号を視察する事が出来た。
何度でも言おう。幻影空間の創造主はミュラエ・セラヌーンだ。幻影空間にて巻き起こる全ての事象なんて、視覚で捕捉出来なくても、脳内で簡単に纏めあげる事が出来る。
爆煙の中、ミュラエが観測したのは⋯何も無い⋯ただの幻影空間の地面と地面に落ちた焼夷弾の破片だった。そう、マズルエレジーカ零号の姿が無い。正常に考えると、黒輪の中に忍び込んだ可能性がある。幻影空間も黒輪の中。更にその幻影空間の中で発生させる黒輪。しかしこれは非常に危険な手段だ。
幻影空間の中の幻影空間。
それが意味するのは、生死の狭間を行き来する事を予言しているも同然。2回目の幻影空間に一度、足を踏み入れたりしてしまうと、人体としての機能は破滅的な展開を見せ、肉は崩壊し、地面と上空に散らばる。大小それぞれの肉片は、2回目の幻影空間に棲息する“住人”によって並べられ、魂の捜索が開始。幻影空間で、生物の魂は重要なキーワードだ。魂が有るから、生物は幻影空間に存在する事が出来る。魂の無くなった空っぽの器に成り果ててしまえば、藻屑と化し、幻影空間の食い物にされるだろう。
だからマズルエレジーカ零号は、2回目の幻影空間など選ぶはずが無い。
⋯知らない⋯⋯⋯?まさか、2回目の幻影空間に行って、身体がバラバラになる事を知らないのか?ラージウェルがマズルエレジーカ零号の背に乗る竜騎士⋯という可能性。幻影空間は、魂が無ければ存在出来ない⋯⋯。マズルエレジーカ零号の身体は形象崩壊を成していないので、実質上、魂がある⋯考えるのが妥当だ。
竜騎士が魂としての機能を果たしているのか⋯それとも、竜騎士はただの飾りとして騎竜しているだけで、魂は竜本体に備わっているのか⋯。
どっちみち、マズルエレジーカ零号には魂が完備されている事に変わりは無い。
◈
2回目の幻影空間に生物が入ることは生死を極めるシークエンスに突入する。つまり⋯マズルエレジーカ零号は⋯この場所、ミュラエがいる幻影空間内に存在している事になる。幻影空間からの脱却信号も出ていない。外界とのブリッジ“架橋”が発生すれば、こちらが気づかないはずが無い。
──────
【音の無い空間に突如として聴覚を刺激する悪魔の怪音】
──────
「嘘⋯!?」
マズルエレジーカ零号が空間転移を決行。ミュラエの真後ろにその身を瞬間的に転移させていたのだ。これに気づけなかったミュラエ及び白鯨ゲブラー等級は、マズルエレジーカ零号の“爆砕波光線”をゼロ距離で受けてしまう。白鯨に張られていた防御膜を貫通。白鯨はダイレクトに当該攻撃を受ける事になってしまった。ミュラエの意識は飛んでいき、白鯨の制御を失うにまで至る。白鯨は上空に、旋回と高速航行を開始。宿主のミュラエが意識を飛ばした事によって、操作系統が白鯨ゲブラー等級自身にシフト。
異形生命体と異形生命体。ティーガーデン同士の戦いがここに始まった。
魔女と白鯨。ウプサラソルシエールと多次元。それぞれ、住処の違う生命体だが、共通点がある。戮世界の住人を、バックアップしている⋯というところだ。
◈
律歴3999年以前。いつの日か分からない。いったいそれが本当の話なのかも特定が出来ない。ただ彼等のおかげで戮世界は叡智と繁栄を拡げているのは確かだ。もし、彼等以外の存在が、戮世界の文明を拡大させていった⋯とするなら、“魔女”か“多次元”⋯若しくは“幽玄樹”。可能性として、“幻夢郷”の存在も上げておこう。⋯⋯⋯⋯⋯一応、だ。
4000年以降の歴史しか、どの歴史的資料を漁っても、出てこないという謎の律歴3999年以前の物語。
この年の前、戮世界テクフルに降誕した⋯と言われているアインヘリヤルの朔式神族。この人たちが現在の戮世界の基盤を創ったと言っても過言では無い。原世界とのシェアワールド現象の確立化によって、以前とは比較にならない程の文明進化を歩んだ。と、共に、失われたものもある。
朔式神族以外。魔女と白鯨⋯それ以外のティーガーデンも戮世界の栄枯と繁栄には大きな関係性がある。戮世界の住人にその能力を付与しているのが、まさに証拠だ。
なぜ、魔女と白鯨は力を貸すのか?天根集合知との繋がり⋯。天根集合知は、魔女と白鯨が産み落とした。多くの魔女と白鯨が繋がりを求めて、互いの力を干渉させ、“卵”が形となった。その形が最終的には、現在でも戮世界を監視している“朔式神族の末裔たち”の選別判定に結実。
今でこそ新式ヒュリルディスペンサーとなり、部位欠損を起こすまでのリスキーな行為は廃止。七唇律聖教に携わる者なら“誰もが”、天根集合知を対価として授かる事が出来た。
変わる時代。変わらなければならない。無尽蔵に変わる時代。変革を齎されていない人物は、これをどう思うのか?セカンドステージチルドレンからアトリビュート。
セカンドステージチルドレンからセブンス。
2つの世界で、巻き起こる分岐進化。この先も進化は必ず訪れる。それは時代の変革に流されず、自分達の力で熾される変革だと思いたい。せめてもの償いにして、贖い。
現代を生きる超越者達。2つの世界であろうとも、原罪は刻まれている。この前の出来事のように。
オリジナルユベル。ユベル・アルシオン。
西暦2100年8月20日。
律歴4000年8月20日。
2つの世界に、“変革”が齎された日だ。
どちらとも普通⋯とは言えない事象が蔓延っていた時代だ。原世界では戦争の始まりを予感させる出来事が世界各地で発生。小戦争の連鎖は、次第に隣国への衝突を発生させる事態にまで発展。最悪が最悪を呼び寄せ、大戦争が始まる。その前にオリジナルユベルを回収するフェーズがあるのだが⋯成功とも失敗とも言えない中途半端な結果に終わってしまった事を回想させる気にはならない。
戮世界の律歴3999年正史には、朔式神族、魔女、白鯨⋯。この3つが蜜月にある。
◈
現在、幻影空間で、魔禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”と白鯨ゲブラー等級が戦っている。言語を交わさない戦いだ。白鯨にはミュラエの人格意識が搭載されているので、コミュニケーションを取ろうと思えば、取れる状態。相手が相手なので、口を開ける必要性も感じない。だから発声器官を震わせない。と、言うよりも、開口を起こすなら裂傷光線を発動させた方がいい。
2体の異形生命体が起こす戦いの系譜は、お互いの弱点を探り合う展開に突入していた。ミュラエの天根集合知の力を取り込んだマズルエレジーカ零号は、黒影の練度を戦闘するごとに上げていく。ミュラエは、経験値を積み上げていく事で、熟練度を高めるマズルエレジーカ零号を憂いて、早急な戦闘終了に向かっている。しかしそれは簡単に行かない。マズルエレジーカ零号について、ミュラエの天根集合知を使用している事にしか言及していないが、禍天の魔女という“魔女”の名を冠している通り、ウプサラを発現可能な存在。
幻影空間の中に、ウプサラの虚想空間を生み出されてしまえば、事態は思わぬ方向へと転がる。しかしどうだろう⋯。ミュラエ白鯨とマズルエレジーカ零号の戦闘は、回避を繰り返しながら、お互いの特異的な部分を模索し、一点突破を試みる戦闘スタイルが根付いている。ミュラエ白鯨は、早期決着を望んでいるのだが、マズルエレジーカ零号はそうでもない場面も少し確認できている。
先述したように、互いの特異的な部分の模索⋯を行っているのは、禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”も同様。しかしその場面に“連なる時”と模索行動の“終了時”に、観察眼の瞳孔が開く兆候が確認出来ているのだ。
ミュラエ白鯨はこれを見逃さなかった。禍天の魔女“マズルエレジーカ零号”の瞳孔が開く兆候。このタイミングは非常に戦闘スタイルを崩壊させる事が可能な“隙”とも言える、刹那の空白だ。ここに狙いさえすれば、戦況を大きく転換させる事が可能だろう。これ以上の一点突破を狙える部分は無い⋯。当該兆候のトリガーである、ミュラエ白鯨への模索行動。もっと簡単に言うと“弱点”的なものだ。一点突破を試みるには、弱点を突いた方が早い。マズルエレジーカ零号のウプサラによって生成された三叉槍からの“黒雷”。それに加えて、ミュラエの天根集合知。
異能の駆け引きの果てに、ミュラエは⋯禍天の魔女は⋯なにを見るのか⋯。
◈
現世。
ラージウェルの禍天の魔女とミュラエが戦闘を行っている世界から隔絶された世界。本来ならば、こちらが元来から認定されている世界だ。しかしどうも、ここまで大規模な戦闘が巻き起こってしまうと、どこが自分達の住まう世界なのか、判断が曖昧になってくる。人間それぞれの境界を侵し続けていく戦争の道程。自分達が“点”となり、多くの点によって線が紡がれていく。その線が指し示す結果というのは⋯愛であったり、争いであったり、嘘であったり、思いやりだったり⋯。多くの感情がその“線上”には積載されている。すべての感情を精査することは無理に等しい。だがそれを果たそうとするものがいた。それは点すべての線上に干渉し、自分の存在というのを皆々に確信させたい⋯そう願っている者だ。
「うーん⋯行っちゃかね。大変な事に巻き込まれたよ⋯。まあでもマズルエレジーカ零号を出す羽目になるとは思わなかったなぁ⋯。もっとも禍天の魔女を出してしまえば、あの子に敗北する事なんて無いし⋯。俺はどうちょっかな。色んなとこで戦いがあるし⋯なんだったら⋯俺もアッチに参戦しよ⋯⋯⋯」
「こっちから来てやったぞ?」
ラージウェルの身体が吹き飛ばされる。更にそれでは終わらず、ラージウェルの身体が分断エリアの外縁部にズリズリとめり込まれていく。何者かがラージウェルの身体をグチャグチャに、バラバラにしようとしていたのだ。あまりにもな直接的すぎる惨い攻撃。ラージウェルは抗おうと現状から脱却する手立てを探しているが、全く上手くいかない⋯。と言うよりも、自分の能力が制限されているようだった。外縁部に押し付けられ、外縁部に亀裂が生じるまで、ラージウェルの身体はめり込んだ。ラージウェルの身体は自身の血液で鮮血に染め上がる。頭部のみ、外縁部に押し付けられていなかったので、頭部のみ血液の付着が無かった。だが、そんなラージウェルの現状を見てなのか⋯ラージウェルが“そう思ったから”なのか、頭部への集中的な“押し付け”が発生。ラージウェルは頭から足まで、全ての部位に多大な負荷を掛けられた。ラージウェルが不満に思っているのは、劇物的な痛さよりも、自分をこのような事態に陥れた正体が未だに把握出来ない所にあった。
正体不明の未確認物体に貶められている現在。無性に腹の立つ時間だ。
やがて外縁部をぐるりと周回。この模様は他の当該分断エリアにいるすべての人間に観測出来た事だ。
外縁部を一周しかけた直前、ラージウェルの身体を掴んでいる者の正体が判明する。外縁部に軋轢が生じ始めたころ。ラージウェルの身体が削れていく事に、正体不明物体の部位がほんの僅かにウプサラの壁に接触を起こす。ほんの僅かだった。正体不明物体は、自分の身体がウプサラの壁に擦れた瞬間、ラージウェルを掴むポジションニングの再考を実施。その擦れた瞬間、ウプサラの壁から降り注ぐ“黒色粒子”を肉眼で捉えたラージウェル。ここでラージウェルは全てを察した。
「薔薇の⋯暴悪⋯⋯⋯」
「遅っ」
黒色粒子を纏う生命体なんて、絞りも絞られる。
ニュートリノ・ヤタガラス。それしか考えられない。それに加えて、ラージウェルがこの状況から脱却できない程に追い詰められている⋯。非常に強力な存在であると、流れるように認識が可能。ラージウェルがニュートリノ・ヤタガラスとニュートリノ・ヤタガラスを操るマエストロ⋯この両者の存在を特定出来た瞬間、外縁部へのめり込みは終了。ただでその攻撃が終わるはずも無く⋯ニュートリノ・ヤタガラスは、巨大角を頭上に発生させ、ラージウェルを串刺しにする。それを振り払い、地面に叩きつけた。ラージウェルは地面に叩き付けられた瞬間、急いで反撃に転じようとする。幻影空間にて戦いを繰り広げているマズルエレジーカ零号を現世に呼び戻し、ニュートリノ・ヤタガラスとの抗争に挑もうと企てる。しかしどう試みても、マズルエレジーカ零号がこちらの世界に戻って来る様子は無く⋯秒数単位の時間だけが過ぎていく。
「なぜ⋯!なぜだ⋯!禍天の魔女が戻って来ない!?」
「⋯⋯⋯⋯ごめんね、もしかしたら⋯この子もせいかもそれ」
「⋯⋯⋯?」
ラージウェルの前に、なんの前触れも無く、突然姿を現した異形生命体。それは、白色粒子を放出させ、徐々にその姿を鮮明にしていく。
「黒色粒子と白色粒子⋯⋯⋯⋯」
─────
「ミュラエはどこ?」
─────
ニュートリノ・ヤタガラス、ニュートリノ・レイソ。2つの司教兵器が登場し、ラージウェルを威嚇する。そのウプサラソルシエールの間を掻い潜って現れたのは、ヘリオローザだった。
「薔薇の暴悪⋯本当にその姿を生で見れるとは⋯⋯しかし、どうして今になって姿を現す?このまま俺が、ミュラエと交戦していたら、何かダメな事があるのか?」
「女なのに“俺”とか言う奴に、どうこう説明する義理はない」
「多様性ってイマドキ大事なんだよー?そんな事も知らないんだね。あれ?もしかして薔薇の暴悪って、時代から背いてきた感じ?長く生き続けてる割に世間体とか無知なんだねー」
ラージウェルの口癖だった『ちゃ』が一切出て来ない。ここでヘリオローザは、彼女が“追い詰められている”事を悟った。
「お前⋯焦ってる。個性崩壊してんじゃん」
「俺の個性を薔薇の暴悪が知ってくれてるの?嬉しいなぁー」
「確か口癖があったよね?『ちゃか』⋯とか言ってたかな?すごい気持ち悪い口癖だなぁと思ってたから、よく覚えてたよ」
「お前⋯⋯さっきまでここにいなかったのに⋯どうしてこっちを把握出来ているんだよ⋯」
ラージウェルは怯えた。ここにヘリオローザはいなかった。ヘリオローザは当該分断エリアに属する人間だが、抗争が勃発した場所は全然違う。それに教皇ソディウス・ド・ゴメインドがこちらに侵入した事によって、分断エリアの各戦場は、大きく分けて3つの世界に新たなる壁が隔てられた。『ウェルニ』『ミュラエ』『ヘリオローザ&フラウドレス』。
3人に迫る大陸政府と追加投入された七唇律聖教大陸政府直轄部隊。ヘリオローザと対立していたのはゼスポナのはず⋯。ゼスポナは⋯。
「ああ、アタシと殺り合ってた女?死んだよ」
「⋯!?」
息を吐くように言った。言い慣れている口の形。何回も何回も⋯それを経験して来たから、全く止まる様子の無い、声の流れ方。
「ゼスポナ⋯だよね?うん、やったよ。アタシは暴喰の魔女の力を持っていないから、誰かに上げるよ。あなた、持ってるんでしょ?じゃあ上げちゃう⋯⋯⋯あー、でもそうだったね。無理なんだよねー禍天の魔女。出せないんだよねー。ねーーー?」
ヘリオローザは、天を見上げる。すると、ニュートリノ・レイソが出現。ラージウェルはニュートリノ・レイソを見て、奴が、自分と禍天の魔女とのコネクトリンクに阻害電波を送信。繋がりを断絶させていたのだ。
「薔薇の暴悪は⋯2体発現出来るのか⋯」
「大して珍しい事じゃ無いでしょ?あんたらが崇め奉る象徴でもある、ガキンチョも黒色と白色を使えるようだし」
「⋯⋯⋯」
「殺るの?⋯⋯⋯“俺ちゃん”?」
ラージウェルは今、切り札を失っている。対するヘリオローザは、ウプサラソルシエールを2体保持。それに加えて、“薔薇の暴悪”としての固有能力が搭載。フラウドレスのセブンス能力も発現が可能なので、ヘリオローザの攻撃パターンは底を知れない。
「来い⋯⋯相手になる⋯」
「口震えてるじゃん⋯まぁ、来い⋯って言われたら行くしか無いからさ⋯行くけど⋯」
ラージウェルは発現可能な限りのウプサラを使用し、武器を生成。禍天の魔女が自分の体内から除外されている中、ウプサラを身体から放出出来る限界量は、かなりの小規模。この小規模なウプサラ粒子で、いったい何が生成出来るのか⋯。ヘリオローザはちょっと待ってみて、ラージウェルの戦闘準備が整うまで待ってみた。
ウプサラ粒子が形作っていったのは、剣と盾⋯というなんとも質素でどシンプルなナイト装備。
「こんなに待って⋯どシンプルな傭兵ですか⋯?はぁ⋯なんだか時間がもったいないよー⋯⋯もうちっと面白い奴が出てくる⋯!って思ってたのに⋯」
「はぁはぁはぁはぁはぁ⋯」
「やっぱり⋯結構しんどいよね?頑張ったんだね⋯それだけは認めてあげる。第一、こんなの無いもんね普通。魔女を持たないままウプサラを放出する⋯なんて。命捨ててるね⋯頑張ってるねー」
「お前達は⋯⋯はぁはぁ⋯原世界からの使者。本来、ここに来るべきでは無い者たちだ⋯⋯戮世界もめちゃくちゃにして⋯原世界の秩序も守れなかった⋯⋯」
「んん?ちょっと待ってよ。秩序も守れなかったって何よ?」
「とぼけてんじゃねぇぞ!⋯⋯⋯」
「こっちも被害者なんだよ?世界戦争が勝手に起きちゃってさ⋯それを?なにぃ?“秩序も守れなかった”だぁ?勘弁してよそんなの」
「薔薇の暴悪なら、何とか出来たんじゃ無いのかよ」
やっぱりかなり追い詰められている。アタシ⋯そんなに畏怖感を与えた訳じゃ無いんだけどな。もっとも彼女の“怯え”を上手く使えば、戦いを交える前に決着が着くだろう。アタシとしては⋯もう疲れた。フラウドレスの中に戻りたい⋯。だけど、今、フラウドレスの体内に帰還しても、母体がこのザマじゃな⋯。早く戻りたい⋯フラウドレスの中に戻って、早くちゅぱちゅぱしたい。フラウドレスの中が一番幸せな事に気づいた。久しぶりにこの身で“世界”を感じたけど、もうお腹いっぱい。
「うーん⋯アタシ、別に世界とかどうでもいいから」
「戮世界に生きてたのに⋯まったく考え無かったのか?」
「あなた本当にラージウェル?ミュラエと話してる時とぜんぜん印象違うけど?」
「話を変えないで⋯」
「⋯考えてーない。一切ね。フラウドレスと一緒にいる事で忙しかったしい。なんならフラウドレスの前のラキュエイヌといる時も、それはそれで良い体験を出来たから、戮世界の事なんて、これぇっぽっちも思い出してない。⋯あー、まぁ、世界戦争が劇的な結果を齎している⋯とかの情報を街で確認した時とかは、ちょーっと考えたかな。『あ、きっと今、放射能汚染物質が出てるなぁ』って。、、、、そんだけ」
「枢機卿船団⋯ここへ来る前⋯お前達は出会したんだろ?」
「あー、白装束の連中?ウチの大将が一人殺したっけなぁ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯おい、、、」
「ん?あー、ともだち?あー、そう、、、か。まぁ⋯そっちからも攻撃あったし当然っちゃ当然だよね?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「誰が殺されたか知りたい?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
ラージウェルの空気を全く読もうとしないヘリオローザ。ラージウェルは今、現実を受け止める準備で手一杯だった。あの中に、見知り合いの仲間が殺された⋯。そして手を加えた相手が自分の目の前にいる⋯。きっと殺意でパンパンなのだろう。ヘリオローザはラージウェルの感情を面白がり、もっとラージウェルの人間性を引き出す為に、ジワジワと殺害した対象を絞り込んでいく。
「⋯⋯⋯⋯⋯『狂撃』」
「⋯!?」
「おおっと⋯⋯はいたんまー」
ラージウェルが急接近。その動きを封じ込めようとするニュートリノ・レイソ『イヴァンリッピ』。のっそのっそとシーラカンスと酷似した当該ニュートリノは、ラージウェルに状態異常を掛ける。瘴気効果を発生させる濃霧をラージウェルの身体に分泌させ、動きに等間隔的な有毒ガスを与えていく。それはラージウェルの身体を徐々に蝕んでいった。最初はそうでも無く、ただ単にラージウェルの行動が封じ込められただけに終わる。しかしこれは、イヴァンリッピが起こした“瘴気効果”とはまた違う状態異常攻撃である。
第二次イヴァンリッピ付与“瘴気濃霧”は、身体を断片的に停止させていたラージウェルの身体へ有害性のある物質を送り込んでいった。瘴気濃霧は、ラージウェルの身体へ侵入する“回路”を無慈悲に形成。それが第一次イヴァンリッピ付与。回路を形成し、その入口からラージウェルの身体を内側から破壊する行動へ移行。ラージウェルの身体は制御が効かなくなり、思うような行動を取れなくなる。
「白装束に⋯いるんだ?オトモモチ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
発言は許可されていない。ヘリオローザはイヴァンリッピに頭部パーツの行動許可を取らせる。イヴァンリッピはヘリオローザの提案に一瞬、躊躇ったような雰囲気を醸し出す。
「大丈夫だよイヴァンリッピ。この子が、どっか逃げるような事があったら、ゲリィノートがぶっ殺しに行くから」
“逃走”なんてそんなこと、出来ようはずが無い。だが相手が相手だ。ヘリオローザも大陸政府の能力値はある程度知っている。完全に無知という訳じゃない。ただしその記憶が985年前。最新の大陸政府の能力値は把握出来ていなかった。
⋯⋯⋯⋯だが、分断エリアに来て、話が変わった。
ヘリオローザの思考に植え付けられた戦闘データ。ゼスポナを殺害し、彼女が今まで相手にして来たすべての人間のデータもヘリオローザの頭の中に内蔵された。“全て”だ。全て。ゼスポナの経験して来た全て。震えるような快楽だった。久しぶりのこの感触。ニーベルンゲン形而枢機卿船団の一人、『狂撃』カーライルを殺した時にも、感じていたが、彼女からの経験値吸収はほとんど無い。フラウドレスの殺害。あれはまぐれでもなんでもなく、カーライルの実力不足によるものだ。死ぬべきして死んだ女。
ゼスポナの殺害によって、ゼスポナの戦闘履歴だけでなく、人生遍歴までもが明確になっていった。これはヘリオローザの特性。今までのラキュエイヌ⋯歴代のラキュエイヌを1000年以上も継承していき、紡がれた能力の結果だ。ラキュエイヌの唯一の戦闘型異能者であるフラウドレスは、血統の中でも特別な存在だ。
フラウドレスは戦闘に特化したラキュエイヌ。他のラキュエイヌは、“ヘリオローザがついていたから”、異能的な力をつける事ができた。ゼロイチの異能者は、フラウドレスが初めて。
だからといって、歴代のラキュエイヌには各々の個性が光った素晴らしい血統であった。フラウドレスが異彩を放っていただけ。そんな特殊な血統の中で、地道に進化を繰り返し、孤高の存在へと成り果てる薔薇の暴悪。ラキュエイヌの総合値がヘリオローザという個体を強化していく。
◈
戮世界テクフルの正史に絡んでくる薔薇の暴悪・ヘリオローザ。大陸政府、セラヌーン姉妹が注目を集める彼女の存在。ヘリオローザはここにいていい存在なのかどうか⋯。その答えを導き出す為に、ヘリオローザは過去のラキュエイヌから記憶を遡らなければならない。こういった言い方をすると、ヘリオローザがラキュエイヌの記憶を遡行する事が、難題のように聞こえて来る。現実問題、ヘリオローザにしてみれば容易いものだ。ヘリオローザは歴代のラキュエイヌ全ての記憶を保持している。膨大なラキュエイヌ記憶保管庫の中から、特定のワードを打ち込めば容易にその時代のラキュエイヌの視点映像を確認する事が可能。しかし、追憶が容易い事への代償は一応存在する。なんでかんでも物事というのは上手いようにいかなくなるために、設定が施されている。ヘリオローザのラキュエイヌ記憶保管庫も同様だ。
では、その“代償”というのは一体何なのか。
それは『ネガティブ思考』。
膨大な記憶の数々。1000年以上もラキュエイヌに寄生していると、もちろんだが数多の人間と“体内的関係性”を締結する事になる。フラウドレスには挨拶をするのが遅れてしまったが、普通、ラキュエイヌとアタシは胎児状態の時に、繋がりの意志交換をするのが基本。フラウドレスとのコミュニケーションが、律歴5604年1月19日⋯“昨日”となってしまったのは、イレギュラーな異分子が母・ロリステイラーの中で、覚醒していたからだ。表面化されていないが、フラウドレスを産む前のロリステイラーの体内は混沌世界そのままだ。“ロストライフウイルス”がロリステイラーに感染し、それが腹の子・フラウドレスにも感染。
体内では、ロストライフウイルスがフラウドレスを包み込み、子宮壁にも悪影響を及ぼす。ヘリオローザはセックスによって、ロリステイラーからの個体移植を開始。いつも通り、ヘリオローザは新たな身体を探し求め、受精卵に行き着いた。しかし、それは今までと様子が違うもの。
アタシは⋯この子への接触を中断。悪のエネルギー⋯と言えば簡単に済むが、実態はそんなものよりも尋常ではない複雑化した遺伝子統合体の末路を感じた。こんなの今までに無かったぞ⋯。今でも、フラウドレスの受精卵を覚えている。ロストライフウイルスが、受精卵を覆い被さっている様。全ての害悪からフラウドレスを守っているようだった。アタシは遠目から、ロストライフウイルスの動きを観測していた。
⋯⋯あ、一応言っておくが、これは母・ロリステイラーの腹の中で巻き起こっている出来事。フラウドレス誕生の瞬間だ。そして、アタシの選択は間違ってなかった⋯という話でもある。⋯⋯あ、そしてこの時のアタシ、薔薇の暴悪ヘリオローザは放射流線。もちろん、害の無いタイプのやつ。人間でもなければ、動物でも無い。“細胞粒子”とでも言えるだろうか。そんなシュールな物語だよ。アタシ⋯本当にビックリしたんだから。
第100話記念SP、という位置づけで執筆致しました。色々とちょっと久々登場の言葉とかもあって、時代と時代の重ね合わせが生じたエピソードになったかと思います。
100ですか。3月に始めた投稿がもう100⋯。実質、チャプター1/2/3は、ひとつのエピソードで3000文字ぐらいなので、そこら辺が曖昧なのですが⋯。
まぁ、、、、、いいじゃないっすか。私は嬉しいです。100に到達できるほどのストーリーを書けていることをね。そして、まだまだまだまだまだ書けます。200話も余裕に行けます。もちろん、3000文字とかじゃなくて、ひとつエピソード『1万5000文字』以上は!
それでは!
次回は、ちょっと戦いから離れるシナリオへと突入します。
虧沙吏歓楼




