最後の一行
篠原涼は、自らの指先が震えるのを止められなかった。
書斎の机には散らばった手稿、『終焉の館』の原稿が風もないのに舞い上がり、まるでそれ自身が生き物のように彼を取り囲んでいた。
「続きを書いた瞬間、犯人は固定される――だが、それは誰だ?」
篠原は息を呑み、その一文がまるで呪いのように頭の中を巡る。
原稿の中、登場人物たちが動き出す。富岡雅人、遠野玲子、村井孝治……彼らの顔は文字通り物語に“縛られた”表情を浮かべていた。
鏡の中の彼らは、篠原を見つめ、口を動かす。
「書いた者が犯人だ――だが、お前もだ。読んだ者が物語を完成させるのだから。」
「読んだ者……?」篠原は呻いた。
物語は読み手によって動き、終わりを迎える。
その瞬間――罪は確定するのだ。
篠原の意識に、原稿の中の理屈が流れ込んでくる。
物語の未完は“罠”だ。
未完の物語は虚無だが、続きを求めてページをめくった者こそが、物語を完成させる“加害者”となる。
読者の観測が現実を生む。
読者が物語を認識した瞬間、未完の世界が確定し、虚構の中に「罪」が発生する。
犯人は「終わらせた者」だ。
ページを閉じる、その最後の行為こそが物語の「死」を決定し、書かれた者たちを消す――それを行った者が「犯人」である。
篠原の視界が歪み、机の原稿が再び白紙に戻っていく。
だがその白紙には、じわりと黒い文字が滲み始めた。
「物語を終わらせたのは、お前だ――お前が読んだのだから。」
振り返ると、鏡には篠原自身が映っていた。
だが、鏡の中の“彼”は――何かが違う。
笑みとも、絶望ともつかぬ顔が、彼を見つめている。
篠原は叫びそうになったが、その瞬間、最後の一枚の紙が彼の前に舞い降りた。
「これを読んだ者こそが犯人である――。」
文字が滲む紙面に触れた瞬間、篠原の世界は崩壊した。
音が消え、光が吸い込まれ、目の前には無限の白紙――それは物語の終焉でもあり、新たな始まりでもあった。
そして、静寂の中で響く声。
「次に書くのは――お前だ。」
読者よ――お前が続きを求めた瞬間、この物語の犯人は、お前自身となるのだ。
ページを閉じたその瞬間、あなたの世界も――何かが変わる。
篠原の視界が揺らぎ、闇がすべてを飲み込む。
そして――彼の周囲の世界は真っ白な余白に変わった。
館のどこかに、Aの“終焉”が眠っている。
だが、それを終わらせるのは――誰なのだろうか。
物語は、永遠に終わらない。