現実と虚構の交差
篠原涼は初めてその館の存在を知った時、背筋を冷たい手で撫でられたような感覚を覚えた。
「舞台が実在する?」
編集者・佐藤が机越しに吐き捨てるように告げたその言葉は、何かしらの禁忌を暴露した罪悪感に満ちていた。
館への道程
篠原は東京都郊外から車を走らせ、地図にすら載らない場所を探し続けた。
編集部の資料には断片的な地図と、「A」が残した奇妙な走り書きがあるだけだ。
「虚の道を辿れ。だが戻る道はない――。」
山間に伸びる道は次第に舗装を失い、いつしか土と岩だけの不安定な坂へと変わる。湿った泥がタイヤにまとわりつき、吐き出されるエンジン音が次第に小さくなる。
篠原は遠くから見える館の影に目を凝らした。
灰色のシルエットは濃霧に霞んでいた。
まるで現実から切り離された時間の亡霊がそこに留まっているかのようだ。
現実の館
その館はまさに『終焉の館』そのものだった。
鉄の門は錆びつき、押し開けるたびに鋭い音が虚空に溶ける。
庭は荒れ果て、枯れた花々が地面に縋るように咲き誇り、湿った空気に微かな腐臭が漂う。
玄関の扉を開くと、時が止まったような無音の闇が彼を迎えた。
篠原の靴音は木製の床に吸い込まれ、その音が“誰か”の存在を呼び覚ますかのようだった。
館の内部
シャンデリアが暗闇に浮かび、壁紙は剥がれ落ち、どの部屋にも使われなくなった家具が整然と置かれている。
それらは、まるで誰かが「ここを舞台にした」と言わんばかりに演出されていた。
二階へと続く階段は軋むことなく、奇妙に滑らかだ。しかし扉のひとつを開けた瞬間、彼は確信する――。
そこは小説の「密室」そのものだった。
中央に残された痕跡――椅子が不自然に倒れ、テーブルには乾いた血痕が広がっている。血の跡は直線を描くように床へと続き、まるで「読者」を誘う道標のようだ。
篠原は小説の一節を反芻した。
「彼らは理解していなかった。書かれた世界こそが真実であり、現実がその影であることを。」
彼は床に残された血の跡を追い、館の奥へと足を踏み入れる。
その瞬間、部屋の闇が“何か”を孕んだ気がした。
耳鳴りのような音が頭を圧迫する。遠くから――あの台詞が聞こえる。
「……誰が書いた? 誰だ、ここにいるのは……?」
誰かがこちらを見つめている――。
篠原は息を呑み、振り向いた。
だが、そこには虚無だけがあった。
現実と虚構の境目が、崩壊を始めていた。