そうして私は戻ってきましたの。
ねぇ、どうしてなの?
どうして愛は呪いに変わってしまうの?こんなにも簡単に。
貴方が憎い。私を愛してくれない貴方が憎いわ。殺してやりたいくらい憎い。あなたのたくましい体が括れ、細り、劣り、花びらよりもか弱くなったら、私、あなたを一生、生かして、苦しめて差し上げるのに。
私はいつも人目も憚らずあなたばかりを見て、このところ、愚かな女とさえ言われてしまってるのに、あなたはこちらを見ない。視界に入れることすらしない。
あなたは、一心にあの子を見ている。
あなたはあの子に夢中。
聖女と呼ばれるあの子に夢中。
ああ、つらくて、つらくて、堪らないのです。
あなたが、あの子のもとに駆け寄るたびに、私には向けたこともない、優しい表情を見せるたびに、私は泣いています。あなたへの愛は、これまで美しいだけだったのに、今は、太い薔薇の棘のよう。萎びれて、歪んで、禍々しくなってゆくのです。私は、あなたを愛そうとするたびに、その太い棘に刺しつかれて、とても痛くて、泣いているのよ。
いたいの、いたいの、いたくて、つらいの
あなたが憎いわ。
あの子が憎いわ。
私のものにならないなら、せめて不幸になって頂戴。
あなたは、怯えて私を見ている。私はあなたを見て微笑んでいる。嬉しかった。あなたが私を見ている。私を!ほかでもないこの私!
「何故だ」
あなたは問いかける。あなたには解らない。私のことはひとつもわからない。だってあなたは私のことなんてこれっぽっちも見てなくて、これっぽっちも興味がないから。あなたにとって私は存在しないも同然の女。私が何を考えるかなんて、想像したことすらない。私に感情があるとすら思ってもいない。あなたの瞳は、あなたの心は、あの清らかな子のもので、あなたはあの子のことしか考えていない。
あなたは自分が持っているものの尊さを知らない。
あなたは自分が嫌い。自分が最初から持っていたものが嫌い。王冠、血筋、魔力、美しいお顔、それから私。私はあなたの一部として扱われて、あなたの嫌いな部分として扱われていて、粗末に扱われている。
あなたは深い深い夜色の黒色の瞳で私を見つめる。まるで裏切られたみたいな顔をしているのね。でも、あなたと私の間にはなんの絆も約束も、なかったのよ。そうしたのはあなたの方なのに。
あなたは今初めて私が人間で、私に心があることを知ったのでしょう。
「どうしてかしら」
私も問いかける。どうしてかしら?私にだって、こんなことをした理由は説明がつかない。あなたの怯えは怒りへと変わる。意思なき人形の、惚けた言葉はあなたを苛立たせる。あなたの腕の中には傷ついたあの子。あの子の金色の長くて癖のない髪が、マーブル模様の大理石の上に散らばって、いかにも物語の中のお姫様のようね。夜を象って生まれた騎士のようなあなたと、光を切り取って生まれたお姫様のようなあの子。でもあの子の柔らかい麦のような肌色は、もう大理石よりも青く冷たくなってしまっている。可哀想。かわいそうだわ。
でもおかしくってたまらない。笑いが止まらないの。だってあなたが私を見ているから。私を見つめて、私のことを考えて、私が何を感じているのかを必死に理解しようとしてくれているから。
うれしいの!生まれて初めて!あなたに愛されている気がするの!
「どうしてなのか、教えてほしいわ」
裁判が始まる。拷問が始まる。
何人もが「どうして」と聞くけれど、私にだってわからない。
どうして愛はこんなにも簡単に呪いへ変わってしまうのかしら。
弟が射殺される。
「あなたが私を見てくれないからかしら?」
父が絞殺される。
「あの子が私からあなたを奪ったからかしら?」
母の斬首される。
「それとも私が残忍な魔女だからかしら?」
私の足元には丸太が重ねられていて、今、男が丸太の根本に火を放った。油を含んだ木は良く燃えて、私の足はたちまち炙られる。まるで石鹸をいれた水のように泡が何度も浮かんでは弾け、血が舞い、さらに泡が生まれていくけれど、私はあなたに問いかける。
「ねえ、どうして私は聖女様をころしたの?教えてセルジア!わたくしの一番いとおしい人!」
炎は冷たく私を抱きしめる。
「ねえ!」
痛い、熱い、痛い、熱い。
私の身体が膨らんで原型を失い固まって、骨が、とろけて、あ、あ、目、めが、めが、頬を流れていくわ。
でもまるで快楽みたいね。
あなたが私を見て、そしてここにあの子はいない!あなたは私のことだけを考えてくれるの!
あなたはその昏い、昏い、海の底のような美しい瞳で、すべてを殺して、すべてを壊して、何一つ愛せない悲しい王様になるのよ。
悪女マリア。マリア・ルージュ。誇り高きルージュ家の一人娘。セルジア殿下の婚約者。
悪女、悪女マリア。
狂女。
彼女は最後まで笑っていた。
ハッピーエンドでしょ。
ねえ、そうよね?
私は目の前の女性に話しかける。
「ハッピーエンドなわけないでしょ」
彼女はばっさりと言い捨てる。
彼女は美しいはちみつ色の髪をしていて、目は青空のように澄んでいる。
「私は『ガイド』。あなたを幸福へと導くために選ばれた239人目の悪女」
彼女は美しい髪をさっと指先で掃って、まるで庶民のように私の方を指さす。
「私たちは物語の被害者なの。決められた結末にたどり着くために、蔑ろにされた。あなたは王子の正当な婚約者だったのに、庶民の女にその座を奪われた。そんなことはあり得ないこと。あり得ないことを起こすのが物語だから、私たちはその犠牲になった」
彼女は私と目線を合わすためにしゃがみ込む。
「私たちは、そしてあなたは、あるべき未来を取り戻す資格がある。それが、狂った規律に魔女として炙られた私たちの正当な権利なのよ」
そうなのかしら?
でも正直なところ余計なお節介よね。私は自分の人生に満足しているもの。この人生が物語のために生み出された虚構だとしても、私と”物語”の目的は一致していた。いわば共犯者なのだから。
「いいえ。物語はあなたを裏切っている。見なさい!これがあなたが死んだ後の世界よ!」
彼女が大きく手を降ると、そこがばっくりと割れて、まるで湖のように揺らめく鏡が出てくる。
そしてそこには、あの子と、セルジア様が幸せそうによりそって微笑み合っている光景。
「嘘よ!」
思わず叫ぶ。そんなはずがない。あの子は、ユリアナは、私がちゃんと殺したの。用意した毒が間違いなく致死性か、使用人で確かめたのに。
「嘘じゃないわ。あなたが命をかけて作り上げた”呪い”は破られた。ユリアナはこの物語の”ヒロイン”で、あなたは”悪女”。あなたの企みは破られる定めにある」
嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
バシン、バシン、と鞭を打つような音がして、そのたびに鏡は揺らめき、映像は変わる。
おなかの膨れたユリアナにストールをかけて肩を撫でる王子。可愛らしい子供を抱きしめるユリアナと王子。男の子はすくすくと育ち、やがてユリアナは2人目を妊娠して、それから二人は、毎晩のように口づけを交わして…。
あの人の瞳から、記憶から、肌から、私の存在が消えていく。あの日刻んだはずの恐怖が、彼の瞳から消えていく。そんなのおかしい。
「不公平だわ」
命を賭けたのに。私だけではなく、家族の命まで。
「そんなものよ」
女は自嘲気味に笑う。
「私もそうだったわ。愛を追い求めて、しがみついて、醜態をさらして、なにも解らないままに死んでいった。死んでから知ったの。私は敗北するために作られた存在だってね」
女は私の顎を掴む。そんなぶしつけなこと、誰にもされたことがない。女の細い指が私の頬に食い込んで、爪が皮膚を傷める。魔女と呼ばれて髪を引っ張られたり拷問されたりはしたけれど、こんな無礼な仕打ちは初めてだわ。
顔が赤くなる私に、女は嘲笑を向ける。
「気づきなさい。目覚めなさいよ。そして恨みなさい。恋人の不幸ではなく、あなた自身の幸福を望みなさい。あんたのいうハッピーエンドはハッピーエンドじゃない。本当の幸せをその手に掴みなさい」
女は私を投げ捨てるように手をはなすと、道化師のように大きく手を広げる。女の後ろには、先ほどセルジオを写した鏡のようなものがうまれて、そこには女が鞭うたれ、死に、その後少女の時代へと生き返り、そして幸せになる様子が映し出された。
「私のように!」
そのような光景が何百も生まれる。皆私と同じだ。男を愛し、男に愛されず、裏切られ、絶望して死ぬ。
「そうして私は戻ってきましたの」






