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悪魔の本

作者: 相草河月太

 私はふらっと立ち寄った古本屋で悪魔を呼び出す手段が書かれた本をみつけた。


 心身の病で会社を辞めざるを得ず、新しい就職口も見つからずに無職で金もなかった自分は、暇つぶしにその本を読み込んだ。何か今の状況を変えられないかなとどこかで期待していた。


 その本によると、悪魔を呼び出すには人間の命と引き換えでなければならないらしい。そして、呼び出した人間は悪魔と契約すれば願いを叶えてもらえるが、当然呼び出した人も死ぬときに魂を捧げなければならない。


 つまり、単純に二人の人間の魂がなければ悪魔を呼び出して願いを叶えることはできないのだ。


 冷静に考えてこれは結構コスパが悪い。私は世間並みの倫理観を持ち合わせていて、そのせいで仕事がきつかったのもあるのだが、その辺の他人を捕まえて犠牲にしたり、誰かを騙して利用するようなことはしたくない。


 何かうまい方法がないだろうかと考えて、私は最近話題になっているクローン人間のことを思い出した。自分の血液からクローンを作って病気になった臓器を入れ替えるサービスで、医療用に限って認められている人工人間の作成だ。


 病気になった人がその後の収入で返す当てを見込んでローンで組むこともできるようになっている。これはいけそうだぞ、という予感が働く。


 つまり、今のお金のない自分がクローンを作って、そのクローンの魂を犠牲に悪魔を呼び出す。そして、呼び出した悪魔と自分が契約して、大金持ちにしてもらう。大金持ちになったのでクローンを作った借金も当然返せる。


 最後に死ぬときに渡す自分の魂をどうするかだが、それについてもアイデアが閃いた。もう一体クローンを作ってもらうのだ。そうして自分の脳味噌と、クローンの脳味噌をそっくり入れ替えてもらう。大金持ちなら可能だろうし、そういう行為をやったというニュースも最近は聞くようになった。そうするとおんなじ体でより新しく健康的になった上に、元々の体にはクローンの脳味噌が入っていることになる。


 ここで問題なのは、魂というのはどこに宿っているのか?ということだ。


 もし、肉体に宿っているのだとしたならば、それで悪魔と契約した魂はクローンの脳が入っている方になる。しかしもし、意識のようなものに魂が宿っているのだとしたら、クローンの体で目覚めた自分の方に悪魔は請求にくるだろう。


 手に入れた古本を何度も読み返したが、そのことについてはっきり書かれてはいなかった。ともかく、魂とやらが悪魔との契約に必要で、死んだ後は悪魔に永遠に支配されることになるらしい。


 どうにかして記憶をクローンにコピーできれば、そのコピーに悪魔と契約してもらうやり方もありそうだが、今の医療技術ではまだ人間の脳や意識を複製することはできないらしい。


 ともかく、金もなく先も見えない今の状況を変えるにはこの本を使うのは悪くないだろう。どうせ死んだあとのことなどわからないのだから、せっかくなら人生を楽しんで死にたいものだ。


 私は意を決してクローン作りを申し込みに病院に行った。

 だが、申し込みに行った私を待っていたのは受付の男の冷酷な言葉だった。


 「大きな持病もない上に、今現在お仕事もされていないんですよね?それではローンを組ませていただいても返す当てがないですし、作ったクローンを使う当てもないんじゃないですか?申し訳ありませんがうちでは申し込みはできません」


 冷静に考えれば当たり前の言葉なのだが、カッとなった私はその場で受付の男を殴り倒すと、持ってきた本を手に悪魔降臨の儀式を始めた。


 こうなった以上、なんの罪もないこの男の命を犠牲に悪魔を呼び出してやるつもりだった。悪魔さえやってくればこの場を切り抜ける力を得て、面白おかしく暮らすこともできるだろう。お金よりもいい能力はたくさんある。透明になれるのもいいし、瞬間移動もいい。時間を止める能力とか、人の意識をコントロールするとか、犯罪を犯すことさえ気にしなければ、いくらだって金を得る手段はあるのだから。


 だが、いくら待っても悪魔訪れなかった。


 私は焦って何度も手順を繰り返したが効果はなかった。頭から血を流している男を見下ろし、悪態をつく。

 「くそっ、なんでだよ」


 やがて通報によって駆けつけた警察官に私は逮捕された。



 私は悪魔を呼び出すために行っていた魔法陣を描く行為や奇妙な呪法、供述でも一貫してそのことを証言を続けたこともあって、犯罪者としてではなく危険な精神疾患の持ち主として扱われ、病院に隔離されることになった。


 病院の部屋で窓を見つめながら私はあれからずっと考え続けていた。聞いた話では、私が殴った男はあとで亡くなったそうだ。つまり、あの時には当然まだ死んでおらず、生贄としての価値はあったはずだ。では、一体なぜ失敗したのだろう。


 本は取り上げられてしまったが、興奮状態で行った儀式や、何度も読んだ本のページは写真に撮ったようにはっきりと覚えている。私がやった儀式は本に書かれていた方法と同じだったはずだ。


 本が間違っていたのだろう、と最初私は考えていた。悪魔を呼び出すだなんて実際にできるはずはない。きっと昔の人がいたずら半分で書いた本で、今頃騙された私のような愚か者を笑っているに違いない。


 だが病院に閉じ込められ何もすることがない日々で、何度も何度もあの日のことを考えるうちに、私にある気づきが湧いてきた。


 もし、本に書いてあることが正しかったとしたら?

 そして儀式の方法も間違っていなかったとしたら?


 結論は一つだ。生贄が条件を満たしていなかったのだ。私が殴った男の倒れている顔を思い出す。スイッチが切れたような、惚けた人形のような顔。


 もしかして。


 これだけ国が豊かになって医療や科学が進歩しているのに、なぜ私のような仕事のない無職が世の中に溢れているのだろう?AIやコンピュータも進歩してみんな働く必要のない快適な生活を送っているのだから、人を雇うことが大変になって人手が足りないはずじゃないのだろうか?どうしてみんな低い賃金で大変な環境の労働に進んで精を出して、そのことについて特に文句も言わず、奴隷のように働いているのだろうか?


 もしかして。


 私は気付いてしまった。自分が作ろうとしていたクローン。今はクローンに記憶を持たせることはできないと言われているが、本当にそうだろうか?クローンといえど脳はあって、今はAIや医療電子技術も進歩しているのだ。クローンの脳にシンプルな命令を行わせる意識を持たせるのは簡単なことじゃないのだろうか?


 そしてもし、あの受付の男がそうやってつくられたクローン人間だったとしたら?そうやって企業にいいように使われる労働者たちが、みんなクローンだったとしたら?


 今のこの、おかしな現状に答え合わせができる。豊かになったはずなのにまともな働き口のないこの異常な状況。劣悪で低賃金な仕事をすすんで行う言いなりな労働者。


 そして、悪魔が呼び出せなかったのは。

 そうか。クローンには魂がないんだ。


 私は夜の病院で思わず声を上げた。この世の闇に気付いてしまったのだ。私が殴った男には魂がなく、生贄としての価値がなく、その結果悪魔が呼び出せなかった。そしてこの世の中は、資本家が作った新しい奴隷、まともな人間の仕事を奪い何の抵抗もなく働き続ける、一見人間に見えるクローンに支配されているのだ、と。


 私は大きな声で笑い声を上げた。


 なんだ、そんな簡単なことだったんだ。本も儀式も、そして私の存在も間違ってはいなかった。狂っていたのはこの世界の方で、悪魔よりも恐ろしい人間存在への侮辱が公然と行われていたのだ。なぜ今まで犯罪や倫理や常識に囚われていたのだろうか。おかしくなった世の中に生きざると得なかったというのに。この世界は正さねばならない。私だけが手に入れられる悪魔の力で、クローン共を排除しそれを操る支配者を排除し、正常で清浄な世界を取り戻さねばならない。


 私の笑い声に、当直の看護師が何かを怒鳴りながら近づいてくる。今にきっとドアから顔をだし、警棒を突きつけて脅してくるに違いない。あいつもクローンだろうか?ともかくここからぬけだして、まともな魂を手に入れて、悪魔と契約しなければならない。


 

 その夜、隔離病棟で取り押さえられた男は興奮状態で意味不明なことを叫んでいた。


 魔法陣が描かれ蝋燭が灯された男の病室には頭を殴られた看護師が横たわっていた。他の幾人もの病人の病室にも押し入った男は、同じように病人たちの頭をなぐり、全ての部屋で魔法陣を描いていた。


 男を取り押さえながら、武装警備員が首筋にスタンガンを押し付ける。白目を向いて泡を吹いた男は鎮静剤を打たれ引きずられてゆく。


 「ふう、全くなんてやつだ」


 「昔同じような事件を起こして入院していたらしいが、ここではずっと大人しかったのにな。まさか30人以上をなぐるような事件をおこすとは」

 「本当にな。だが死人がでなかったのが救いだった」


 「ところで、あいつはなんて叫んでたんだ?意味不明だったが、やけに必死だった」


 「あ?なんだっけな。この世界には魂のある人間は俺しかいないのか?だっけ?何言ってるんだろうな」

 「はは、そんなバカなことか」


 警備員の一人が笑う。


 「俺たちに魂がないのなんて、当たり前のことなのにな」



 懲罰房に閉じ込められ、両手両足をガッチリと固定された男は鎮静剤で朦朧とした頭で思う。


 「悪魔がいなくなったのは、それが嘘だからじゃなかったんだ。そうじゃなくて、いつの間にか人間に魂がなくなってしまったから、もう悪魔には価値のない存在になってしまったんだ。ああ。なんてことだ」


 男の目には、虚で無価値な、金と化学に支配された世界の真の姿が写っていた。


 「ここは地獄でも天国でもない。ただのクローンたちの遊び場。神にも悪魔にも見放された魂のない肉人形の虚しいおままごとだったんだ。助けてくれ。神でも悪魔でもいい、私をこの世界から解放してくれ。人のふりをした写し身たちから、無価値で軽薄な戯言から。せめて魂があると、私には魂があるとわからせてくれ」


 だが、男のところに何者も訪れることはなかった。当然の話で、神も悪魔も存在しないから。


 それはかつて人の心に存在した、今となっては嘘偽りの空想世界の話だ。


 今、そんなことをいうのはナンセンスだ。科学的じゃないし、論理的じゃない。そして神も悪魔もいないなら、人の形をした炭素生物たちに魂などあるはずもない。


 それは昔、人にあったと言われる、空想の産物だ。

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