九話
階下に降りると、玄関に立つルーカス様の姿が見えた。シンプルながらも質のよい衣服に身を包む彼は、制服姿より少し大人びて見えた。
「お待たせして申し訳ございません」
「いや、私こそ少し早く来てしまったのです。急かしてしまいませんでしたか?」
「いえ、支度は終えておりましたので大丈夫です」
「ならよかった。ではソフィア嬢、行きましょうか」
ルーカス様はそう言うと私の手を取り、馬車までエスコートをしてくださった。
馬車は以前乗せていただいたときと同じく、スムーズに市街の中心部へと向かって動き出した。こうして人と街に出掛けるのは本当に久々で、今更ながら私は緊張をし始めてしまっていた。
そんな私の緊張をほぐすように、ルーカス様は今日の大まかな予定などを含め、いつもと同じように私に話しかけてくれた。お陰で馬車が中心部に着く頃には何とか落ち着きを取り戻せていた。
市街の中心部で私たちは市場で売られる小麦や野菜などの食料から、綿や絹といった生地などの雑品まで、事前にピックアップしておいたものの値段を見て回った。ルーカス様はそこで店主にここ数年の動向を積極的に質問したりもしていた。私はそれらをメモしながら、一緒に耳を傾けていた。
「これで一通りのチェックは終わりましたが、もう一ヶ所寄りたいところがあるんです。もう少しお付き合いいただいてもいいですか?」
予定していた最後の商会を訪れた後にそう言ったルーカス様に連れられてやってきたのは、落ち着いた雰囲気のカフェだった。
「姉上から街に出るならここのシフォンケーキを買ってきて欲しいと頼まれてしまってね。私用に付き合わせて申し訳ない」
「いえ、大丈夫です。やはりルーカス様のお姉様は素敵なお店をご存知なのですね」
「最近できた店だけど、紅茶もいいものが入っていると聞いているんです。よければ今日のお礼でもないけれど、ここで少し休憩していきませんか?」
そう言ってルーカス様は私に手を差しのべてくれた。一瞬戸惑ったけれど、お茶菓子担当は私だという約束だよ?と言われ、にっこりとした笑顔を向けられてしまった。
店頭から漂う甘い匂いと譲る気のないルーカス様に負けた私は、「ではお言葉に甘えて」と返事をした。
店内は磨き上げられた木目調の家具が美しく、どこかアットホームな雰囲気を漂わせる落ち着いた空間となっていた。ルーカス様はシンプルなシフォンケーキ、私は迷いに迷ってクリームが挟まれたシフォンケーキを選んだ。
ルーカス様のお姉様がチェックしていたお店だけあってシフォンケーキはふわふわで、クリームも甘すぎずとても美味しかった。ルーカス様が持ち帰りのケーキを頼む際に、私も今日の衣装を整えてくれたお母様とレイチェルにお土産としてケーキを買うことにした。その分まで出そうとするルーカス様と一悶着あったけど、自分の手土産は何とか自分で出すことができた。
楽しい時間が過ぎるのは早く、あっという間に帰路に着く時間となった。ここに来る前は街中を歩いても人目が気になってしまうのではないかと不安だった。けれど、私が横にいても噂のことなんて気にする素振りすら見せず、真剣に調査に取り組むルーカス様を見ると、自分がそんなことを気にしているのがむしろ恥ずかしくなってきた。彼が信じてくれるのだ、隣に立つなら堂々としていたい。そう思って、今日は一日背筋をしゃんと伸ばして過ごした。
噂は消えた訳ではないし、私を取り巻く環境は変わっていない。でもルーカス様が私の気持ちを変えてくれたことで、見える世界がぐんと変わった。
「ルーカス様、ありがとうございます。今日私一緒に調査に出掛けられて本当によかったです」
心の内の全てを説明することはできないけど、どうしてもお礼を言いたくて、別れ際に私はルーカス様にそう伝えた。
「お礼を言うのは私の方だよ。今日は付き合ってくれてありがとう、ソフィア嬢」
「お役に立てたならよかったです」
そう返し、馬車を見送ろうとその場に留まった私にルーカス様がどこか気まずそうにチラチラ視線を寄越してきた。何か忘れていることがあっただろうかと考えていると、一つ小さく息を吐き出したルーカス様が、私を見つめながらこう言った。
「その、最初に言いそびれてずっとタイミングを逸してしまっていたのだけど、今日の服装、貴女にとても似合っていると思う」
ルーカス様が少し照れながらそんなことを言うものだから、私もつられて頬が熱を帯びていくのを感じた。私たちはしばらく無言で向き合ったあと、「じゃあまた、第二の曜日に」と言うルーカス様の言葉で、今度こそ解散をした。
ルーカス様の馬車を見送った後、なるべく頬の赤みを消すべく、私は極力ゆっくりと玄関までの道のりを歩いていった。
アルテミア、黒猫ときてカフェはカフェルーナという名前を考えてはいました。