八話
結局その日はそれ以上作業は出来なさそうだったので、私が落ち着いた頃に解散することとなった。
いつもより帰りが早いため、校内にはまだ人がちらほら残っていた。普段ならそんな中をルーカス様と並んで歩くなんて適当な理由を付けて断っていたと思う。
けれど今日は「私は大丈夫だとさっき言っただろう?」というルーカス様の言葉に背中を押され、並んで校門まで向かった。
「週末のこと、決断してくれてありがとう。明後日は昼過ぎに迎えに行く。じゃあまた明後日に」
そう言ってルーカス様は私を見送ってくれた。正直自分の決断にまだ不安があり、心臓はドキドキしていた。けど見送ってくれたルーカス様の柔らかな表情を見て、この決断をしてよかったと私は思っていた。
家に帰るといつもより帰宅の早い私にレイチェルが声をかけてきた。けれど今日は色々あってあの子の相手をする余裕がなかったので、「今日はルーカス様にご予定があったの」と適当な嘘を言って、私は逃げるように自室に戻った。
部屋に戻ってしばらく経つと、今日の決断でソワソワしていた心はやっと落ち着いてきた。けれど、それと入れ替わるように今度は別のことが気になってきた。
私、服をそんなに持ってないんだった。
街中を歩くと聞いたので、動きやすい格好がいいだろう。飾り気はなくともせめてルーカス様に恥をかかせない格好はしなければと思い、私は急いで侍女を呼び、自分の持っているワンピースを確認したいと頼んだ。
しばらくするとワンピースを持った侍女と共に、何故かお母様が部屋にやってきた。
「お母様、どうされましたか?」
「貴女がワンピースを探しているとその侍女に聞いてね。見せたいものがあるから持ってきたの」
「見せたいもの、ですか?」
そう問う私にお母様が見せてくれたのは柔らかな生地の落ち着いた赤色のワンピースだった。前から見るとシンプルだけど、後ろ側は膝丈ぐらいまで生地にスリットが入っていて、その隙間から薄い赤色のレースを使ったふんわりとした生地が見えていた。
「これはお父様が馴染みの商会の人から新しいデザインを広めて欲しいって頼まれて渡されたものなのよ。レイチェルが今度ワガママを言い出したら見せようかとも思って置いていたのだけど、ソフィア、貴女がもしこれを気に入ったなら、これは貴女のものにするわ」
そのワンピースは私の侍女が持ってきたワンピースとは比べ物にならないぐらい素敵なものだった。でも素敵だからこそ自分のものにするのが怖かった。お気に入りだったぬいぐるみも、髪飾りも今は私のものではなくなっている。気に入ったからこそ、欲しいと答えることに私は二の足を踏んでしまった。
黙り込んだ私に、お母様は少し眉を下げながらこう話しかけてきた。
「貴女には我慢ばかりを強いてしまったものね。自分の気持ちよりレイチェルのことを気にしてしまうのね。本当にごめんなさい。
気掛かりなのがレイチェルのことだけなら、この服は私の部屋で預かるわ。ソフィアは当日私の部屋に着替えにいらっしゃい。さすがのあの子も着ている服を脱がせて持っていったりはしないわ」
お母様はそう言うと、私の侍女にワンピースのサイズを微調整するよう指示を出して帰っていった。
二日後、ルーカス様とお会いする当日、早めにお昼を食べた私は迷ったけど結局お母様のお部屋を訪ねた。部屋にはお母様と侍女がいて、私にワンピースを着せ、化粧と髪を整えてくれた。
しばらくすると「終わりました」という声と共に、姿見の前に連れていかれた。姿見の中には、今まで見たことがないぐらい華やかな衣装に身を包んだ私がいた。見慣れない自分の姿に、調査のためと誘ってもらったのに気合いが入りすぎているのではないかと急に恥ずかしさが込み上げてきた。
思わず視線を下げた私に、肩にそっと手を添えながらお母様がこう言った。
「よく似合ってるわソフィア。素敵よ」
顔をあげると優しく微笑むお母様と目があった。「本当によく似合ってるわ。だからほら、自信を持って。背筋を伸ばして」と背中をポンと押された。
そうしていると使用人がルーカス様が迎えに来てくれたことを伝えに来た。「楽しんでいらっしゃい」という言葉に見送られながら、母の部屋を出た。
ソワソワするような落ち着かない足取りで玄関に向かう途中、一階に降りる階段の手前でレイチェルとばったり遭遇した。レイチェルは珍しい格好をしている私の全身をじっと見た後、私の方にずいっと近づいてきた。
これから投げ掛けれる言葉を思って、私は無意識にぎゅっと手を握りしめていた。けれどレイチェルが私に投げ掛けて来たのは意外な言葉だった。
「お姉様!そんな学園に持っていくような鞄で出掛ける気なの!?」
てっきりワンピースのことを言われると思っていた私はすっかり虚をつかれていた。そんな私の反応を全く気にすることなく、レイチェルは「ここで待ってて!」と言い残して自分の部屋へとパタパタ入っていった。そしてすぐに一つのバッグを抱えて戻ってきた。
レイチェルはその薄いキャメル色のバッグを私の侍女に渡すと、私が持つ鞄の中身をそちらに移すよう指示をした。私が驚いて固まっているうちに侍女がてきぱきと中身を入れ替え、私にそのレイチェルのバッグを持たせた。
バッグを持った私を改めて確認したレイチェルは満足げににこりと笑い、「いってらっしゃいませ、お姉様」と私を見送った。
どうしてこんなことを、と思ったが、階下から呼ばれる声に急かされてしまい、レイチェルにその理由を聞くことはできなかった。