六話
「さすがお姉様!!!」
家に入ると帰宅の挨拶をするより先に、飛び出してきたレイチェルがそう言いながら抱きついてきた。
「あの馬車、ルーカス様のおうちのでしょう?こんな時間まで一緒にいて送ってもらうだなんて、もう落としたも同然ね!」
大声でとんでもないことを言い出すレイチェルを抑え、私は彼女にこう文句を言った。
「私の迎えがなかったから見かねて送ってくださったのよ。貴女私が学園に残ってることを知っていたでしょう?彼が気づかって下さらなかったら私は暗い中を一人で馬車を待ち続けなければならなかったのよ」
「ごめんなさーい。どうしても今日寄りたいお店があったの。そこに寄ってたらお姉様のお迎えのことすっかり忘れちゃった」
相変わらず悪びれもせず言うレイチェルにため息を堪えながら、とにかく今後は気を付けてと念押しだけをした。
自室に戻ると自分が少し疲れているのを感じた。さっきのレイチェルとのやり取りも気力を持っていかれるものだったけど、あれはいつものことだ。この疲れは多分、ルーカス様という初対面の人間と向き合ったことから来ているのだと思う。
私はあの噂が立って以来、新しい人間関係を築くのを極力避けていた。皆が面白おかしく噂をし、自分を笑ってるんじゃないかっていう不安をどうしても拭いきれなかったからだ。だから全く知らない人とあんなに沢山話をするのは本当に久々だった。
相手がどういう人なのかを考えながら、手探りで会話を広げていく。相手を気づかい、そして相手に気づかわれる。多分それは普通のことだけど、その普通が噂というフィルターをかけられると中々できないことが多かった。けど、ルーカス様はまるで噂なんて知らないかのように私に普通にしてくれた。そのことがとても嬉しかった。
悪くない疲労感だなと思いながら、私は今日のことを思い返していた。
その次の日からも私は変わらぬ生活を送っていた。けど、いつもの日常の中で一つだけ変わったところもあった。
それは学園内でときおりルーカス様を見付けるようになったことだった。
彼は同学年だし、気付いていなかっただけで今までもこうして廊下などですれ違っていたのだろう。呼び止めて会話をするほどではないけれど、目が合えば軽く会釈をして目元を緩ませてくれる。何だかくすぐったいような距離感だなと思いながら過ごすうちに、第五の曜日の放課後はすぐやってきた。
図書館の二階、前回と同じスペースにルーカス様はいらっしゃり、笑顔で私を迎えてくれた。
「来てくれてありがとう、ソフィア嬢。またお願いするよ」
「はい、ルーカス様。今日は何をお手伝いしましょうか?」
その日も前回と同じく、会話は私から質問をしたり、ルーカス様から指示が入ったりするだけで、基本的に二人とも黙々と作業をしていた。紙をめくる音、ペンを走らせる音ばかりが占める中、唯一前回と違ったのは、ルーカス様がこっそりと紅茶のクッキーを出してくださったことだった。
「ここのクッキーは私の姉上の一押しなんだ。紅茶のクッキーが一番だと聞いているのだけど、ソフィア嬢の口にも合うだろうか」
そう言いながらすすめてもらったクッキーは紅茶の味がふわっと広がるとても風味がよいものだった。甘味は控えめだったけど、それが紅茶の風味ととても合っていた。
「とてもおいしいです。ルーカス様のお姉様は美味しいものをよくご存知なのですね」
「お茶会を開くのが好きな人なんですよ。それもお菓子を食べるために開いてるんじゃないかってぐらい甘いものも好きな人でして。お菓子の知識であの人に太刀打ちできる人は中々いないと私は思ってます」
「まぁ社交的で素敵なお姉様ですね」
時間としては10分ぐらいだったけど、その柔らかな時間は私の中にじんわりと染み渡るようなものだった。
その日も鐘が鳴るまで作業をし、馬車に乗るところを確認すると譲らないルーカス様に校門まで見送られ、きちんとうちの馬車に乗って帰宅をした。
家に帰ると、また満面の笑みのレイチェルが私を待ち構えていた。
「お姉様、今日もルーカス様とお会いしてたのですよね?本当にルーカス様との仲を深めてらっしゃるのね!ね、ね、今日はお二人でどんなお話をされましたの?」
基本的に私たちの作業は無言で、今日一番話し合った議題は人口の流れとは定住者だけではなく行商などの流動的な動きをする人たちまで含めて考えるかどうかだった。だけど、こんなことをレイチェルに正直に言える訳がない。
お聞きしたお姉様のお話でお茶を濁すかと考えたとき、ふと休憩中に食べたクッキーの残りをいただいていたことを思い出した。
話せばボロが出るかもしれないからこれで誤魔化してしまえと、鞄からクッキーの箱を取り出し、レイチェルへと手渡した。
「今日も色々お話をさせていただいたわ。その中でオススメのクッキーをいただいたの。とてもおいしかったわ。レイチェルも食べてみる?」
どうかこれで誤魔化されてくれますように、と祈るような気持ちでクッキーを差し出してみると、目の前のレイチェルが大きく目を見開いた。
「お姉様!!これ、パティスリー・アルテミアのダージリンクッキーじゃない!!」
クッキーの箱を手に取り、キャーキャー騒ぐレイチェルを見ながら、私は心臓がドクドク早鐘を打つのを感じていた。
パティスリー・アルテミア。
社交に疎い私でも聞いたことのある王家も御用達の国内屈指の高級パティスリーだ。
レイチェルが持つ箱をよく見ると、確かに端にアルテミアという店名が見えた。何てことだ。全く気付かずのんきに美味しいですと食べてしまっていたけど、あれはとんでもない高級品だったのだ。
侯爵家の金銭感覚というものを全く考慮していなかった。交換条件がお菓子ならいいかと考えていた自分は何て甘かったのだろう。
「お姉様ったらこんなものをいただくなんて本当にルーカス様に良くしていただいてるのね~」と騒ぐレイチェルに、私は笑顔が引きつらないよう懸命に努力をしながら何とか応えていた。