五話
ルーカス様と図書館で別れ外出ると、空はすっかり夕暮れになってしまっていた。
人影もまばらな校内を抜け、正門まで歩いたところでそこにうちの馬車が見えないことに気付いた。
しまった。いつもは私が戻るまで待ってくれているのに姿が見えないということはきっと妹に連れ回されているのだろう。普段はそれを確認して迎えが来れなさそうな日は早く帰るようにしていたのに今日は急なことですっかり失念していた。
日も暮れはじめているため、歩いて帰る訳にもいかなそうだ。迎えを信じてここで待つかと覚悟を決め、校門に背を預けぼんやり立っていると、つい先ほどまで聞いていた声が聞こえてきた。
「ソフィア嬢?どうしてまだこんなところに?」
声の主はルーカス様だった。一人ぽつんと立つ私と、恐らくルーカス様を迎えに来たであろう馬車が一台しかないこの状況を見て、ルーカス様は慌てたように私に聞いてきた。
「もしかして迎えが来てないのか?私が長く付き合わせてしまったから行き違いが起こったのか?」
恐らく行き違いではなく原因はレイチェルだけど、そんなことを言っても我が家の恥を上塗りするだけである。そのため誤魔化すための言葉を探していると、ルーカス様にさっと鞄を取られてしまった。
「こんな時間に女性を一人立たせ続ける訳にはいかない。原因は私にもあるし、ぜひ送らせて欲しい」
そう手を差しのべられて私は固まってしまった。とても有難い申し出だけど、私なんかと一緒の馬車で帰ったと噂されるとルーカス様にご迷惑がかかる。さっきまでいた図書館は奥まった人目に付きづらい場所だったし、もし見られたとしても図書館なら勉学のためと言い訳も立つ。けれど、ここから先は完全なプライベートになる。そんなことになっては申し訳がない。
周囲を気にしながら何とか断ろうと考えていると、ルーカス様はさらに一歩私の方に近づきながらこう言った。
「周りの視線を気にしているなら尚更早く乗ると答えた方がいいよ?君には悪いが私は引く気がないから、このまま黙っていたら私と二人馬車の前で仲良く並んで立つことになるよ」
それはにこやかながら的確な脅し文句だった。もう校内に人が少なくなってるはいえ、ずっとここにいると何人もの人がいずれここを通ることになるだろう。にこりと笑いながらも意見を変える気が全く無さそうなルーカス様を見て、私は覚悟を決めてルーカス様の手を取った。
さすがは侯爵家、我が家のものより断然乗り心地のよい馬車で私は家まで送っていただいた。図書館ではほとんど必要な会話しかしなかったけど、馬車の中ではルーカス様と少しだけ雑談をした。
ルーカス様には年の離れたお兄様とお姉様がいるという個人的なことから、今日の作業で本を探すのが早くて助かったということまで、盛り上がるという程でもなかったが、穏やかな会話が家に着くまで続いた。
「私は第二と第五の曜日に図書館のあのスペースにいます。明々後日もよければ手伝いをお願いします」
馬車を降りるとき、ルーカス様からそう声を掛けられた。
「では次はうちの馬車をちゃんと手配してから伺います」
そう返すと、ルーカス様は少し笑ってくれた。
馬車のドアが閉まり、動き出すのを見送ろうとしていたら、窓が開けられルーカス様が顔を出した。
何か言い忘れたことでもあったのかと思っていると彼はこちらを見てチョコレートをくれたときのようないたずらな笑みを浮かべながらこう言った。
「でもそれは少し残念だな」
それだけを言い、私の返事は待たず馬車はそのまま動き出した。遠ざかる馬車を見ながら、私は言われた言葉の意味を受け止めきれずにいた。
「それ」って、もしかしなくてもうちの馬車を手配すること?残念、それが残念?
いや、そんな考えはさすがに自惚れにも程があるだろう。きっと他のことを指しているに違いないと思いながらも、今日は色々ありすぎてこれ以上私の頭は動いてくれそうになかった。
そう自分に言い訳をして、私はさっきのルーカス様の言葉を深く考えるのを止めることにした。