放たれる何か
「ちょっと泣いちゃいそうです」
一面に広がる白い空間の中を漂いながら、誰にも届かない弱音をセラは吐いていた。足が地に着く感覚もなく、浮いているような、何とも形容しがたい不思議なものだった。泳いでみようと思った腕は空を切り、進んでいるかさえもあやふやだった。
三百六十度どこを見ても白い世界、閉じ込める能力としては感嘆に値する、が、これは間違いなく規制されるものであることも確かだった。
(問題はこれが使える能力者が野放しってことよね)
取り締まる警察は何をやっているんだか、と思うと頭の中にリカの姿が浮かぶ。しっかりしてくださいよ姐さん、てな具合に。
(誰にも見られてないようだから使おうかな)
頭によぎる手段は幾つか候補があった。自分の中で精査し、比較的リスクの少ないものを選ぶ。
ーー全ての道を示せ、全ての先を示せ、求めるはあらゆる事象の元に起こりうる全ての結末をーー
<悪魔の図書館/ラプラスライブラリ>
詠唱を終えるとセラの頭の中で様々な計算が処理されていく。最初は焼き切れるかとも思えた脳内処理も、今では難なく受け入れることが出来るようになった。リカ以外には話していない能力、バレれば問答無用で捕まるぞ、と脅されたものだ。そしてセラは様々な解を手に入れる。どこかのカーニバルのように本棚から最適解にたどり着ければもっと使いやすいのに、とは考えるところではあるけど。
「さて、どうしてくれようか。」
計算を終えて目覚めたセラはちょっとだけ怒っていた。
■ ■ ■
「姐さん、どうしましょう?」
「何だい?薮からスティックに?」
「どこの芸能人ですか…」
自宅に戻ったルナが夕食の準備をしながらスマホで通話をしているのはリカだ。事のあらましをかくかくしかじかで端折り、男二人に襲われた件を説明する。しかし便利な言葉だな。かくかくしかじかって。あんまり使わないけど。
「響先輩が言っていた生徒が襲われるのと関係あるのでしょうか」
「別件だね。能力的に」
簡潔にリカが決断を下す。通話越しに煙を吐く息遣いが聞こえる。相変わらず職場で煙草を吸っているのだろうと思えた。
「まだ不確定で可愛い妹たちにも報告出来ないんだよ」
「不確定というと?」
勿体ぶるリカにルナが食いつく。いかんせん姉が目の前で被害にあったためか情報が欲しいと気が先走りしているようにも思えるが、夕食の準備の三品目に取り掛かったところで意外と余裕なのかもしれない。
「出来る範囲で説明しようか。まず使われている能力が事件ごとにバラバラなんだ」
「相手は複数グループ?」
「それは早計だね。模倣犯を含めた多発的なものの線もある」
「同一犯とは限らないってことですね」
「そういうこと。勿論同一犯の可能性もあるが…」
リカが先を言いたくなさそうなのは感じれたが、ルナには言って欲しかった。少しの静寂の後、リカは困ったように続けた。
「想像している最悪のケースになるかもしれない」
「あぁ、それだと今日は帰ってこれなさそうですね」
ルナの反応に違う意味で困るリカ。出来た料理にラップをかけていくルナに対し、スマホの向こうのリカは今日も残業が酷いな、と腹を括っていた。
■ ■ ■
「で、今日はセラがいない、と」
日を跨いで、大能校高等部二年三組の教室ではカレン、アオイ、そして眠そうなルナが集まっていた。カレンが現状を確認するように告げている。
「昨日は夜十時までは待っていたのですが…」
「早いでしょ、それ」
普通にそれで何で眠いの、とツッコミというかダメ出しをするカレンに、ルナは欠伸を噛み殺す様を手で覆い隠す。実はかくかくしかじかで、リカに話した説明を掻い摘んで話す。またかくかくしかじかって使えたな。やっぱり便利。話を聞いたカレンはあーでもないこーでもないと頭の中で模索している。
「とりあえずセラは向こうの思う壷な訳かな」
「どうでしょう、私を捕まえてから姉さんをどうにかしたかった様子でしたけど」
「セラを捕まえたのがイレギュラーなら下手は打てない、逆手にとって時間稼ぎになるかなぁ」
「あまり時間経つと姉さん暴れそうだけど。お腹すいて…」
「そうなったら色々ヤバいわね…」
うーん、とカレンが長考に入る。しかし今のカレンに決定打となる情報が欠けているため、堂々巡りに陥ってしまう。
「しかしまぁ、ルナは落ち着いてるねぇ?」
「だって姉さんですもの。気付いた時には片付けて、リカ姐さんに連れられて帰ってきますわ」
「警察の厄介前提なのね…」
カレンがそうなってしまうのか、と思うと同時に朝のホームルームのチャイムが教室に鳴り響いた。あれ、出番無かった、と感じたアオイはそそくさと自分の席に向かうのだった。
学校側の対応が不明なのでキョウジには適当な理由をでっち上げ、セラを欠席にしてもらった。リカの情報は出処が警察で、まだ不確定要素もある。両者の問題が同じとも限らない以上、話をややこしくするのは不味いと感じた。まずはリカと行動を共にして、現場検証からが妥当な結論に至った。
昼休み、人の少ない中庭のベンチで学食の弁当を広げながら
、ルナはスマホを取り出していた。先の結論のため、勿論相手はリカだ。
「もしもし、姐さん?生きてる?」
「物騒だなルナ。徹夜に決まってるだろう」
「それはいつも通りですね」
この姉妹の日常会話はこういうものなのか、とカレン、アオイは苦笑する。
「今日の放課後から時間とれそうですか?」
「あぁ、昨日の件だな。正門の向かいに車で行くからよろしく」
「了解です。ありがとうございます」
形式的な約束を交わしてルナが通話を終える。とりあえず一段落として、弁当の残りへと箸が進む。
「やっぱりセラが居ないとネタが少ないわね」
カレンが空を見上げつつしんみりと話す。見上げるようなところにセラはいってないけれど。
「セラちゃんキャラ濃いからね~」
アオイもそれに続くが言ってることは結構酷かった。
「姉さんがいないと…私が主人公に…」
ルナはもっと酷かった。本人が知ったら泣くを通り越していじけてしまいそうな気もしないでもない。それが本気とも思えないけども。そんなツッコミ不在の会話は昼休みが終わるまで続いてしまう、というのは余談である。
放課後。約束のとおりにリカは来ていた。割と厳つい黒のセダン車のボンネット横に立ち、煙草を吸い、手には携帯灰皿と缶コーヒーを持っていた。知り合いでなければただの怖い人だった。
「姐さん、その佇まいは独身フラグですよ…」
「いいんだよ。仕事が恋人で」
誰かもらってください、と心から思うルナ。そんな彼女たちを車へ促すリカ。若干重たく感じるドアを開閉して四人は座席に座る。
「まずは家の前だな」
「はい」
リカはルナに確認をとると、アクセルを踏み、車は緩やかに加速していく。窓の外には見慣れた光景が足早に過ぎていた。
「仕事のほうは?」
「これも仕事のうちさ」
他愛ない世間話も含めた雑談をしていると、二十分もしない位で目的の場所へと着いた。柊宅の駐車場へ車を停め、それぞれ玄関前へと並んでいく。昨日の話を元にルナがリカへと説明を補足した。リカは現場となった箇所を順に目で追っていっていた。
「おー、警察っぽい」
「いや、一応警察だから…」
「一応じゃなく本物でしょ…」
アオイ、ルナ、カレンが各々に喋る。リカは気に留めず思考を巡らせる。その長さに比例して、この件の難しさが伝わるようだ。
「ルナ」
「何、姐さん?告白?」
「違う。今は和ませなくていい」
ちょっとだけ拗ねる素振りをするルナ。今じゃなければいいのか、と百合な展開も期待してしまいそうだ。しかし、可愛いというかあざといというか、この妹のキャラが心配になるリカ。カレンとアオイは二人のやり取りがツボにハマったようで笑いを堪えあっていた。
「別世界はあると思うか?」
「有ったら行けてると思います」
「だな。素敵な否定で助かる」
リカは煙草を取り出し火をつけ、とりあえず深く一息つくと諦めたように零した。
「最悪だ。セラは誘拐されている」
他三人はその結論に何も返すことが出来ずにいた。