第2話 序盤に世界観を説明しがち系。
凪音には、何が起こったのかわからなかった。
ただ分かる事実は、そこに新たな眼鏡が存在するということ。
「一体、何が……」
恐る恐る心都に聞いてみる。
「ごめんね!緊急事態だったから『能力』使っちゃった。初めて見た人はみんなびっくりするんだ……。引いた?」
凪音の思考はもう追いつかない。そもそも「無」から物体を生み出すことなどできるはずがない。
そうだ、これはマジックの類だ。
「あ…はは。心都さんは面白いね。マジックが得意なんだ……?」
冗談交じりにそう問いかけると、心都はいたって真面目だと言わんばかりに口をぷくっとさせて反論する。
「あー、絶対信じてないでしょ!全然おかしなことじゃないよ。君だって『それ』持ってるでしょ!」
『それ』という言葉が、一瞬何か分からなかったが、凪音がこれまでの人生で今回のような現象を起こさせるものは、マジックでないなら一つしか思いつかない。
それは……。
「まさか、それが君の『心の本質』?」
再度の問いかけに、もはや可愛さより怪しさの方が勝ってしまった天使は、満面の笑みで頷いた。
九城大学は誰もが入学にあこがれるエリート校だ。
偏差値は七十前後と、難関にふさわしい数字だが、最も難しい要素はそこではない。
最も難しい要素、それは「ウーシア測定」である。
「ウーシア」とは人間の心のなかに存在する確固たる意志の集合体であり、いわば自我のことだ。
ウーシアは生まれ持って発現するわけではなく、生まれてから成長する過程で、周りの環境に合わせて変化していく。
優しい人に囲まれて育てば優しいウーシアが形成されるし、虐待を受けた子供は“それが当たり前だと思うウーシア”へと形成される。
ウーシアの種類は、個人によって全く異なり、その成長度合いによって特定の人や植物や動物などに顕現する。
大抵の場合は、祖母や祖父など亡くなった親戚の場合が多いが、中には強大な自我が成長する者も現れ、それは過去の英雄であったり、神話の人物であったりすることもある。
「ウーシア測定」とは、そういった個人の『自我』をデータとして数値化して、それをもとに視認できるようにするシステム、通称「VROシステム(Visual Recognition Ousia System)」を応用した試験のことだ。
ウーシアの強さの基準は、このシステムに基づいて決められ、その数値は、「ON【オン】」で表される。
一般的な強さは、おおよそ5~10オン程度だが、数値が高い者は30オンに及ぶこともある。
そして肝心な九城大学の合格基準は、ウーシアナンバー“25オン以上”だ。
午前9時、人がまばらになった大通りを心都と凪音は歩き始める。
入学式の開会式は午前9時半だが、もう大学も目の前であるため、特に焦る時間ではない。
二人はゆっくり歩きながら話すことにした。
「それで、結局のところ君の『心の本質』の正体は何なの?」
凪音は、落ち着いた声で問いかける。
人によっては、自分の中を見透かされたようで答えたくない質問だろうが、能力まで見せてくれたのだ。もはや聞かないほうが失礼であろう。
それに、他人のウーシアに少しばかり興味があった。
「んー、それがね……わかんないんだー」
心都は、えへへと笑いながら答える。
しかし、それが“不自然なこと”は誰が聞いても明らかだった。
「え……、いやいや。分からないなんてことないでしょ。だって心に変化が起きたら病院で診てもらうことだって出来るし、それに大学受験の時に『ウーシア測定』があったんだから“視認”してるはずだよ」
そうだ。絶対に心が見えないなんてありえない。
じゃないと『ウーシア測定』をする意味がないことになる。
そうして頭をフル回転させていると、心都は困ったような表情で答えた。
「いやぁ、本当に分からないんだー。測定の結果はエラーで、視認できなくてね、数値もエラーが出たんだよ。そんなこと起きるなんて知らなかったよ。もしかしたら‐オン‐が低すぎたのかもね。だから、これは落ちたかなーと思ったんだけど、なぜか特例で合格できたんだー。大学側の不手際だからっていう理由らしいんだけどね。そんなことあるのかな?まぁ、実際にこうして登校できてるんだから、すっごい確率で起こるのかもね!もしかして私ってすごくラッキーなのかも?あっ……、この話あんまりほかの人にしないでって言われてたんだった……。誰にも言わないでね?」
「え……。あぁ……うん。言わないよ」
この場合、「言えないよ」が正しいかもしれない。
そんなこと考える余地もないほど彼女の話はぶっ飛んでいた。
まず、VROシステムのエラーなど聞いたことがない。機械なのだから万が一にも不具合が起きることはあるだろうが、本当にただの故障だったのか。もし本当に故障だったならば再試験を行うはずだ。
そして、なぜ“合格措置”が許されたのかが分からない。彼女も疑問視していたが、エラーということは、測定値はゼロであるはずだ。なぜ彼女が特別待遇で合格できたのか……。
謎が生まれるばかりだが、現在学校に行くことが出来ているところを見ると、その状況を受け入れる外ない。
そもそも国立大学の試験で“不正など起こるはずがない”だろう。
何を馬鹿なことを考えているのだと、かぶりを振る。
「じゃあ、『能力』はどうしたの?さすがにそれは分かるよね」
「うん!それが言いたかった!」
待ってましたと言わんばかりに目を輝かせて心都は話す。
「私にはね、『色の感情』が見えるの」
「色の……感情?」
擬人化ってことかな、と早速言っている意味が分からなくなるがとにかく話を聴くことにする。
「そうだよー。だからね、君の眼鏡の色が『青』でよかった。青は、優しい色なんだ。眼鏡さんが教えてくれたんだよ、凪音君が真面目で信頼できる人なんだって。だから私は眼鏡を直すことが出来たんだよー」
……とうとう意味が分からくなってきた。
眼鏡が凪音のことを話したというが、そんなことありえるのか。何せ相手は無機物だ。感情など持つはずがない。しかし、それがウーシアの力だと言うなら納得せざるを得ない。
「そう、なんだ。信じられないような話だけど、嘘をついてるような感じじゃなさそうだし、実際に眼鏡を直してくれたし、本当のことなんだね。あっ、そうだ。眼鏡、直してくれてありがとう。お礼言えてなかった」
歩みを止めて、ぺこりと頭を下げる。
「いいよいいよ、そんなー。元はといえば私が急いでて前を見てなかったのが悪いんだから。それに眼鏡を直せたのは、君がその子を大切にしてきたからだよ」
「えっ……。それってどういう……」
凪音が詳しく聞き返そうとするのを妨げるように、心都が嬉しさを隠し切れないといった様子で、前方を指さす。
「見てみて!大学着いたよー」
前方には大きなレンガ造りの建物が見える。
ここが今日から凪音たちが通う国立九城大学だ。
まだまだ心都に聞きたいことは山ほどあるが、それもこれからの長い学生生活の中で話す機会はあるだろう。
今は、この大学に通うことになったという喜びを噛み締める時間だ。
一歩一歩踏むたびに現実感が出て、凪音の鼓動を早くさせる。心都もまた、緊張した表情をしている。
春風がぴゅうっと吹き、凪音たちの門出を祝う。肌寒い、しかし確実に暖かい風が凪音が確かにここにいることを知らしめた。
これから起きる事件をこの時の二人は知る由もなかった。