93 決別
ちらりと横から様子を伺うように、顔を傾けてみるがどうにもアレスさんの表情が見えない。
……変に思われたのだろうか。
それとも愛想を尽かされただろうか。
胸の中にざらっとした感触が広がる。
『あ、あのっ……』
しかし、それも束の間だった。
振り返ると肩を震わせ、可笑しそうに目を細めて笑うアレス。
「ヒヒヒ……私に対する好意の感情など似合わないと思っていましたが……、存外悪くないものですねぇ」
『あっ……』
(アレスさんが心の底から笑っているの初めて見た……)
『アレスさんはご自身で思っているよりももっと素敵な方です』
「それはそれは……有り難きお言葉です」
真剣に気持ちを伝えたのだけれど、軽くあしらわれてしまった。
少し悔しくなったライムは頬を可愛らしく膨らませると、
『あとアレスさんがわざと不気味な笑い方をしているのも知っています……!もっと普通に話したりできるのに……何故ですか?』
「……! そこまでお分かりでしたか!」
目を見開き心底驚いたように、アレスは続ける。
「まったく、貴女には敵いませんね」
『…………っ』
目の前の美形がいつものようにフヒヒと笑わない……。
普通に話しているのがなんだか新鮮だし、それに、はぁっとため息を吐く姿になんとも言えない気持ちが充満する。
「理由は貴女と同じです。私もライム殿ほどではありませんが、魔力総量の多い部類でしたから、ね」
視線を逸らし、雨の向こう側を見つめる。
全てを口にはしなかったが、おそらく私と同じような理由で苦悩してきたのだと知るには十分だった。
(だから、もしかしたら自然と……距離が近いように感じたのはそのせいかもしれないわね)
そんな風に自分の感情を分析していると、頭の中で無機質な声が響いた。
ーーーー
新たな感情度を取得しました。
ーーーー
『新たな感情……?』
「ライム殿っ!!」
突然、アレスが叫び、ライムに覆い被さるように体を縮こませる。
と同時に真っ黒な弾丸が頭上を掠めたーー!
『ひっ……!』
(『魔力感知』には引っかからなかったのに!)
「弾丸魔法か……。視覚的に察知されているようですね、身を隠しますよーー!」
『は、はいっ』
どうやら、狙われていたらしい。
アレスはライムの身を軽々と持ち上げると、両手で抱き抱えるようにして足早に建物の裏に隠れる。
「ミザリの科学者ですね。遠方からの『弾丸魔法』でしょう」
『そっか、だから魔力感知に引っかからなかったんだ……』
心臓のバクバクと鳴る音を聞きながら、少し遅れて『存在錯乱』の魔法を強化する。
「おそらく、雨が不自然に避けているのを発見して狙ってきたのかと。もう少し奥へ進みましょう」
壁をつたい、雨でひたひたになった入り口を進み建物内で身を潜めると、すぐ隣でアレスさんの心臓の音が聞こえた。
外はこんなにも豪雨で寒いのに、寄り添った肩だけは温かい。
『…………』
「……ライム殿」
『はい』
(いや、だ……)
予想される次の言葉が脳裏を掠めた。
理性とは裏腹に、心の奥底の本音が思わず漏れそうになる。
「ライム殿のことですから心配して下さるでしょうが、私は己で身を隠すことができます」
(本当は一緒に、アレスさんと……)
ライムはアレスの言わんとしていることがわかっている。
ーー十分に、わかっている。
「心配はご無用です」
(…………!)
アレスさんと一緒には、行けない。
行けないのだ。
これから、度重なる瞬間移動と黒き魔法の連発、黒い雨をいくつも散らしていかなければならない。
その場所にアレスさんと一緒に行くことはできない。
彼もそれをわかっているのだ。
「これは私が書き留めた『オートマター』です。特別製ですから、ここぞというときに使って下さいね」
アレスは驚くライムの手を取ると、滑らかにグローブを外し、ぎゅっと硬質な用紙を握りしめさせた。
(わ……)
……体温は感じない。
だけれど、細くて長い手はずっと握っていたいくらいに綺麗だと思った。
「……ライム殿、国王はきっと貴女の助けになって下さるはずです。それからーー」
「貴女が如何なる存在になろうとも、私は貴女のその瞳を決して忘れることはないでしょう」
『…………』
「さぁ、行ってらっしゃい。国王をーーピアノ様たちを……頼みましたよ」




