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92 感情




目の前に立ちはだかるのは巨大な白い塔。

しかし黒い豪雨によって流れる色が、表面を漆黒に染めていた。


「どうですか、魔力探知の結果は?」


傘をさしたままのアレスが問いかける。


『塔の上にもありそうだけど……答えは地下ね。すごく強い、今までに感じたことのない不気味な魔力があるわ』


ペタリと壁に沿うように手で撫でると、ライムは確信したようにアレスに答えた。


「ヒヒヒやはり、ここで正解でしたね」


アレスは何事なかったかのように笑うが、ライムには彼が禁忌を犯したことを知っている。

中央塔にある不審者対策用の魔力回路を無理矢理書き換えたのだ。


『すごい……回路が書き換えられている。これをアレスさんが?……この回路は関係者が時間をかけて組み替えないと解けないはずなのに』

「宮廷魔術師を甘く見てもらっては困りますねぇ」


ここまで綿密な魔力操作はライムにでさえ、時間がかかる作業だ。

蒸気で白く曇ったメガネがキラリと光る。


「それで、もう行かれるのでしょう」


雨にかき消されそうな低音が僅かにライムへ届く。

アレスさんは……名残惜しんでくれるのだろうか?


『ええ、でもその前に……』

「?」

『国王のところへ、ピアノを届けてきます』


ーー事前に決めていたことだった。

国王とその娘ピアノは、ラクリマに脅され唆されて命を握られている。


私が持っているまだ未読の『創生の魔術書』を使えば、ピアノの魂を救い出せるかもしれないと思ったのだ。


ただし……4冊目の読了が何を意味するのか、ライムはまだ知らない。


『それに、トードリッヒさんのところにも』

「…………」


同じようにトードリッヒさんとライラさんの娘のレイラちゃんも助けてくるつもりだ。


『この場所は把握したわ。だから、いつでも瞬間移動で戻って来れる。だけど、この建物に入ったらもう……、戻って来られない気がするんです』

「そこまでのものがこの地下にあるのですね」

『ええ……』


不気味な魔力を感じられないのか一度不可思議な顔をしていたものの、どこか決意に満ちた表情だ。

そして一言一言大切に言葉を紡ぐように、最後に礼の言葉を述べたのだった。


「ありがとうございます、ライム殿。貴女は私の恩人だ……」


握りしめた傘に力が入っているのに気付いた。

(アレスさんらしくないわ……)


彼はいつになく悲しげだ。

いつものポーカーフェイスはどこに行ったのだろう。

(いつものように気味が悪い表情で、私をからかってよ……)


ーーそんな余裕ある彼に惹かれたのだ。

ライムの脳内には彼と会い、一緒に過ごしたいっときの時間が巡る。



『ステータスや実力を知った人はいつも、私を前に怯えていました』

「なんの話でしょうか……?」


ライムは不可解そうにするアレスの疑問に構わず続ける。


『私の力は強すぎたんです』


『この力を知った時、みんなどこかで怯えて怖がって、知らずに距離ができていました。ピアノもシオンもジュエルも仲良くしてくれたけど、無意識のうちに……心の中に畏怖があると……私、わかっちゃうんです。気付かないようにしてたけどやっぱりそれって当たり前のように人間の中にある感情なんです』


『……それもそうです。圧倒的な力の差、いつ自分が反感を買うかわからない状況で普通に接するのなんて無理な話ですから』


人間だって動物だ。

圧倒的な力の差を知れば怯えるのも本能のうちなのだ。

それを感じてしまう自分が嫌だった。

知りたくなかった。

私は……普通に生きたかった。

ぐーたらしながら、何の気兼ねもなくみんなと笑い合っていたかった。


『でも、アレスさんは私を叱ってくれました』

「…………」


学園で髪を魔法で染め、危うく正体がバレてしまいそうになった事件を思い出す。

私のもともとの髪色は黒だったから、綺麗な白銀に染めちゃったんだよね。


『その時はそんなふうに思わなかったけど、振り返ると割と嬉しかったんだなぁって』


クスクスと口を押さえながら笑うライム。


『おかしいですよね。怒られて嬉しいだなんて』


その姿は15歳とは思えない小さな背丈と、長い白銀の髪。

そして潤った深紅の大きな瞳。


『アレスさんからはびっくりするくらい、畏怖が感じられなかったんです。なんというか好奇心?の方が伝わってきました』

「ええ……」


アレスは更に困惑した様子だ。


『ふふふ……。んと、だから……その、こちらこそありがとうございました。私はアレスさんに救われています』


笑った顔を真面目に戻して、深々とお辞儀をし礼を述べる。


(ちゃんと……言えた。このままお別れなんて嫌だもの)


ライムは薄々、これから起こる自分の運命を予見している。

たぶん元と同じようにはなれない。

戻れない。

だから、無意味だとしても感情を打ち明けるのは今しかなかった。


アレスさんの反応が知りたくてたどたどしながら視線を向けると、傘を背にして上半身がほとんど見えない。

どうやら私と反対側を見ているようだ。


ふと違和感が襲う。

……もしかして引かれてしまったのだろうか?





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