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56 私にできること




 今、目の前にいるアレスさんと?

 私が……?


 一瞬の喜悦は私の表情を綻ばせるのに十分だった。

 胸の中がじんわりと熱を帯びてきて、体全体を暖かくする。

 鼓動が早くなる。

 泳ぐ目がアレスさんの姿と私の手元を行ったり来たりして、視界も狭くなって……頭が真っ白になりそうだ。心臓も絞られるみたいにきゅうっとなった。


 そんな私を様子を前にアレスさんはじっと応答を待っていた。


 反応も見れられているのだろうか、、、。

 なんだか恥ずかしさも込み上げてくる……。

 そんなに見ないでほしい。

 と、少し細めの瞳とぱちりと目が合った。


 (あ……。)


 喜悦が灰色に染まり、体が急激に冷却されていく。

恍惚も一瞬だった。


 ーーアレスさんは、今私と、「お付き合いする」って言った。


 ーー「ピアノ様の幸せのために」とも言った。


「…………。」


「…………」


「アレスさんは……」


 声を、振り絞る。

 いつも皮肉な彼に向かって。

 次の言葉が出るまで部屋の時計の秒針が一周以上したかもしれないわ。


「ピアノのこと……その、どう思って………?」


 いろんな感情が渦巻いて、アレスさんに聞きたかったことを聞くには拙すぎる言葉だった。


 ピアノの命をアレスさんも、国王様も諦めるはずがない。

 あんなに素敵なお父さんがいて頼もしい側近がいて、簡単に命を投げ出すはずがないと思った。

 私はピアノの魔法陣を解けるイメージが浮かばなかったけれど、宮廷魔術師や国王ともなれば解決方法はいくらでもあるはずよね……?


「どう……とは、フヒヒ俗に言う、恋愛感情をピアノ様もしくは私が持っているということでしょうか?」

「あ、えっ、それもですが……今はそうじゃなくて……」


 なっ……。

 上手く伝わらない。

 歯痒さが焦燥感を煽る。


「…………」


 アレスは僅かに目を伏せ、少し考えた素ぶりを見せると思いついたように息をこぼした。


「……あぁ。貴女には……私たちがピアノ様の命を諦めてしまっているように見えますか?」


「…………!!」


「私たちが……素晴らしい魔法を持つ貴女にピアノ様の命を救いたいと何故懇願しないのか? 命が危ぶまれるピアノ様が何故安易に学園に通っているのか?……ヒヒヒ、そうでしょう?、ライム殿」


「…………っ」


 そこまで言っていないのに、はっきりと言葉にしてしまうアレスさんはやっぱり性格が悪いなとも思う。

でも、確かに私の気持ちのもう半分はそういった類いのものだった。


「もう結論はでているのですよ……」と更に低いトーンで目を伏せる彼には、諦めと一言では片付けられないような経緯があるのだと……理解できた。


「手を尽くしました。国王は国中を駆け巡り国外までに使者を送り、魔法陣の解除を試みました。しかし、解けなかった。私も『天帝魔法』を駆使しましたが、結果は同じでした……。貴女もすぐに解除しないところを見ると、そうなのでしょう」


 やがてアレスさんは淡々とピアノの過去を語る。


 顔には出さなかったけれど、自分がピアノについていない時に寿命を魔法力に変えてしまう魔法陣を受けていたなんて、ましてや国王の娘をそうさせてしまったなんて……アレスさんの気持ちは計り知れない……。

 それには触れちゃいけない気がした。


「そこで、国王様はある意見を参考にすることにしました」

「意見……?」

「ライム殿。私たちはピアノ様の魂まで諦めたつもりはないんですよ」


 アレスさんが口にしたのは普通だったら、にわかには信じられないことだろう。


 でも何故だかすんなりと受け入れることができた。


「ピアノの魂だけを、別の器に、移す……?」

「ええ、魔法陣を解析したところ、ピアノ様の"寿命"を魔法力に変えているようなのです。魂までは干渉していない」


 (魂……)


 頭に浮かんだのは、トードリッヒさんとライラちゃんのことだった。

 ライラちゃんは魂を失ってリバーシの世界にいる。

 呪いで失った魂が『創生の魔術書』の知識で再び返還させることを、私たちは願っている……。


「でも……器は? 器はどうするのですか?」

「…………作っている。残念ながら詳しくは……私も存じ上げません」

「作る……」


 国家秘密というやつなのかもしれないから、無理に追求はしない、けど、作るって……ピアノの肉体を?


「ですから、寿命が尽きて別の器に入るまでは幸せでいてほしいのですよ……ヒヒ」


 アレスさんは納得しているようなしていないような乾いた笑みで、いつものように笑った。


 (どうしよう……。)


 そんな中、私はまだ結論を出せずにいた。

 胸の中のもやもやが大きくなっていく。

 だって、ピアノの魔法陣は……、まるで黒い雨のようにどす黒くて、決して正しい力を与えてくれるようなものではないような気がしたから。


 ピアノは私の手と一緒だから、と言った。

 それってつまりピアノの胸にあるのは『黒き魔法』の魔法陣……。


 トードリッヒさんから見せてもらった魔術書の通りでいくなら、ピアノの魂は残ったりしない。

 今は魂に干渉していなくても、恐らく寿命とともに消滅してしまうだろう。




 そして、『創生の魔術書』を所持しているはずの国王がその情報を知らないということは、その魔術書は私たちが求めている"魂の在り方"の本ではないうことになるわね……。


 口外はできない……。

 でもこのまま何もしないでいたら、ピアノは本当にーー。


 自分の手のひらを見つめて思う。

 せめてピアノやライラちゃんたちの助けになれるように……。

 私にできることは……。









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