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130 シオンとライム




 彼女のラベンダー色の瞳からは大粒の涙が溢れ、拭っても拭ってもその涙が止まることはなかった。


 父親であるルドルフは静かに娘を抱きしめる。

表情は依然としてわからない。

 しかしその娘を抱きしめる仕草や雰囲気から娘を想う気持ちがひしひしと伝わってきた。


 右後ろの方ですすり泣く声が聞こえて、慌てて振り向くとレイラちゃんが顔を伏せて僅かに震えている。

 綺麗な青の瞳が歪み、今にも涙が溢れそうだ。


 私はそっと側に寄ると、


『レイラちゃん……我慢しなくていいんだよ』


 ……きっと思い出しちゃったんだよね。お父さんとお母さんのこと。


『おねえちゃん……パパはずっと、レイラのなかにいるからだいじょうぶなの』


 レイラちゃんの心臓は彼女の父親のものでできている。

 それを知っているのは私と彼女だけだ。

 シオンもわかっているかと思うが、彼なら触れないでいてくれるのだろう。


『そう、そうだね。ずっとレイラちゃんと一緒だから』


 私は彼女たちを絶対に助けたいと思って手を差し伸ばしたけれど、きっと僅かに届かなかった。

 私がもっと、神様のように強くて、全てを見通せて、命すら済うことができたのなら、目の前の大事な人たちを助けることができたのではないか。

 もっと笑顔でいてくれたのではないだろうか。


 自分の弱さに、思わず下唇をガリッと噛んでしまう。


 ツーっと顎に沿う血を拭うと、その血は黒く、私は黒き魔法に支配されているのだと改めて気付かされた。



『なぁ、ライム』


 ピアノが落ち着きを取り戻してから、彼女は久しぶりの目覚めから疲労が一気にきたのかまた眠りについていた。

 今度はちゃんと寝息をたてている。


 寝室でルドルフとピアノ2人っきりで篭っている間、私たちは応接間で待機していた。


 シオンは私のことをじっとりと見つめてくる。


『………?なぁに、シオン?食べものなら手に持ってるわよ。もっと欲しかったら、食堂に確かーー』


『いや、食料も大事だが、話したいことがあるんだ。悪いがジュエル、レイラちゃん、少し席を外してくれるか?』


 2人がいては言いにくいことなのか、彼は声をかけるとドカッとソファの中央に座った。


『レイラちゃん、行こう。シオンは……ライムの心の声が読めるから……気になることがあるのかもしれない……』


 ジュエルは眠そうにしながら、『うん、そうする』と頷くレイラちゃんとともに部屋を出た。



『珍しいわね。シオンから話なんて』


 そう言ってシオンの目の前に座ると、ばちりと目が合った。


 シオンは相変わらず顔が整っていて、きりっとした眉は頼もしく、深紅の髪はとても美しい。


『あ……………っ』


 そこで絶望が発動してしまったらしい。


 胸が高鳴り、じわじわと身体が熱くなる。

『性欲』の絶望の効果は誰にでも、見境なく現れるようだ。

 うぅ……どうしたら、この絶望から逃れられるんだろう……?!


 頭を掻きむしりたくなる。

 吐息が漏れる。

 抱きしめたい、触れたい、〇〇したいーー。


『だめっっ!!!!』


 自分の頬をばちーんと叩くと痛みから少しだけ気が紛れた。

 シオンとジュエルとで絶望を分かち合い効果が薄くなってはいるけれど、なくなったわけではないのだ。

『食欲』の絶望を分けたシオンもそうであるようで、片手に固いパンを握りしめている。


『ライム。悪い。だが、話さなくちゃいけないんだ』


 心の声を読めるシオンは、私が何を言わなくともわかってくれる。……わかってしまう。


 ーー恥ずかしさが全身にぶわりと広がる。


 それをぐっと堪えて、


『いいよ、シオン。私も話したいことがあったの。ふふ、でもシオンに話したいことなんて心の声で全部わかっちゃうんだけどね』


 ライムは心を隠すようににやっと小さく笑う。


『そう、だな』


 シオンは申し訳なさそうに、目を逸らすが、そのまま話し始めることにしたようだ。


『話っていうのは、ライムにお願いしたいことなんだ』


『お願い?』


『あぁ、ライムがいくつもの絶望を持ってることは知ってる。それでかなり辛い思いをしてるのも知ってる。でも、なんだろうな、ライムが絶望から起きなくて手を差し伸ばした時思ったんだが、その、絶対に自分の命を投げ出さないでくれ。そう思ってる』


 絶望から起きなかったのは、私が王室で『創生の魔術書』を読んで絶望の効果を受けた時のことだろう。

 あの時は夢を彷徨っていた。

 もし、シオンたちが手を伸ばしてくれなかったら、私はーー。


『ライムは自分を犠牲にすれば良いと思っている節がある。でもそれだけじゃ、全部を拾うことなんてできないのは、十分……知ってるだろ?』


 ズキリと胸が痛む。


『うん、とっても……悔しいよ。自分が許せなくなる時があるもの』


 助けたいと思ったトードリッヒさんの命、ルドルフの瞳。ピアノとレイラちゃんの命は救えても心の傷はずっと残り続けるのだろう。

 それを考えると、いてもたってもいられなくなる。


 私がもっとーーもっとーー。


『あのな……2人は泣いていたけれど、悲しんでいたけれど、ライムに感謝していたよ』


 私はハッと顔を上げる。

(ううん……そんなことない。私は……感謝されることは何一つできていないよ)


『いいや。ライムは自己肯定感が低すぎなんだな。俺だって、ライムに感謝してるし、大好きなんだぜ?』


 シオンがさらりと気持ちを暴露するものだから、絶望を抑えるのに苦労した。ぎゅっと両腕で自分を抱きしめる。


『い、今言わなくったって……!』


『言わないとわかんないだろ?ライムに会わなかったら、こんなに誰かと一緒にいて嬉しい気持ちになるなんて知らなかったし、絶望を分けてもらって少しはライムの役に立ってるんだって思うと、俺は嬉しいよ。こんな時に言うことじゃないと思うけどな』


『…………そんな都合の良いことーー』


 失ったものの方が大きいはずなのだ。

 だから、、


『絶望の効果を受けている俺たちは、常に絶望しているか?笑わないなんてことあるか?飯が食えないなんてことあるか?そんなこと、ないだろ』


『あ…………』


 思いもよらない話にライムは目を見開いた。シオンはーーこの絶望を受け入れるというのだろうか。


(すごいーー)


 ライムは手に力を込めて言う。


『私は、シオンとジュエルの絶望が無くなって欲しいよ……。受け入れるなんて、できない。私は……私が招いたことはちゃんと取り返したいって思うの』


 頬に火照りを感じながら、シオンの方を真っ直ぐに見て、


『これが私からのお願い』


と、シオンとは食い違ってしまった言葉を紡いだ。






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