129 涙
いくつもの魔法陣の文字に彩られたピアノは台座の上に静かに横たわっている。
ライムは浅い呼吸を繰り返してから、目を閉じて唱える。
『……ピアノ、お願いを聞いて。……魂核魔法』
1度目は失敗してしまった『魂核魔法』だが、国王の穢れーーラクリマの黒き魔法が落ち、ピアノへの理解が深まった今なら魂の奥底へと繋がるはずだろう。
お父さんの声を聞いて、ピアノの想いも聞かせてほしい。
(ピアノ、あなたはーー父親の代わりなんかじゃない。
あなたが自由に生きたいように生きていいの)
〝自由に、生きたいように″なんて自分が言える立場になんてないのに、親友相手ならそんな言葉がするりと出てくるのだ。
「…………」
独り言のように呟き、決心すると徐々に手先の魔力をピアノの身体へと流していく。
すぐ側にはピアノの手を握る国王ルドルフの姿があった。
彼の表情は読み解けない。シオンなら或いはわかるかもしれないが、私は知らなくてもいいことだ。
きっと想いは一緒だから、彼に任せて大丈夫だろう。
魂核をこじ開けなくても対話ができそうだと思ったライムは、今立っている場から後ろへ数歩下がりピアノの前をルドルフへ譲った。
「ありがとう、私は大丈夫だよ」
響き渡る低音に、心臓の音が高鳴りながら魔力の操作を一層強める。
魔力がピアノの深層まで到達すると、僅かにだがピクリと身体が動いたような気がした。
それを合図にか揮灑な身体を纏っていた魔法文字がシュルシュルと音を立てて、収束し蒼白い光を放って消えた。
ラクリマによる黒き魔法が解かれた今、魂核への侵入は容易だったようだ。
「…………っ」
ルドルフは声をかけようか迷っている様子だ。
「う………ん………」
(………っ!ピアノっ!)
「ピアノ!!起きた、のか……!?」
「あ、れ、パパーーー」
ゆっくりと頭をあげたピアノが言い終わらないうちにルドルフは彼女を優しく抱き上げた。
「んぐっ……パパっ…」
「あぁ……ピアノ……良かった本当に良かった……」
「どうしたの?パパ?……えっ、泣いてるの?」
霞んだ声に違和感を覚えたピアノはルドルフの方に顔を埋めながら聞いた。
「泣いてはいないよ……ただ嬉しいんだ」
そう言った彼は、もう何も見えてはいないはずで、涙も流すこともないのだ。
「なんだかね、夢の中でパパとたくさんお話しした気がするーー」
そう言ったピアノは目を閉じながら、ゆったりとした声で独り言をした。
「ずっとずっとパパのためにって思ってたんだけど、心の中でね、パパが泣いてたの……。だからパパを泣かせちゃだめだと思って、私はもう大丈夫だよって言ったの」
「パパももう大丈夫だ。もう泣かないさ。ピアノが無事ならそれでーー」
ルドルフの肩に顔をうずめていたピアノは、ぱっと顔を上げる。
2人は顔を見合わせた。
(あぁ……見合わせてしまった)
もう、かつての国王ルドルフの顔ではない。
その瞳は抉れ、陥没し、輝いていたヴァイオレットカラーはただ黒く在るだけだ。
ピアノはそれを見てどう思うだろう。
どう感じるだろう。
自分のせいだと責めてまた眠りに落ちてしまうだろうか。
それともーー。
言葉を飲み込み、ピアノとルドルフを見つめる。
「パパ…………」
「………………」
「私のためにありがとう」
「………………」
「………ずっと心に枷がかけられているような感覚だったの。それがなくなって、ライムに助けてもらってから自分の誤ちに気付いたわ。」
「そんなことはない。悪いのはずっとピアノの思いを蔑ろにしてしまった私だ」
「違うの!パパ!!私……私が……弱いから……っ」
大粒の涙が流れる顔を覆い、ピアノはぐじゅぐじゅと泣き出した。
「わーーーーん!!!」
ピアノは両手でひたすら流れてくる雫をすくい、また流れ、またすくい、大声で気持ちを吐き出したのだった。




