106 崩壊と悲哀
『ライム殿。そんな顔をしないでください。誰にでも寿命はある。私はただ少し早く逝くだけです』
トードリッヒがじっとりとした声で、ライムに告げる。
助けたいのに助けられないなんて……。
そんなのーー。
ドクドクと脈を打って、心臓の音がこだまする。
無力感からそっと手を握るが、汗ばんだままで力が入らない。
そんな手をレイラちゃんがキュッと握り締めてくる。
冷たくて……震えている。
まだ幼い小さな手。
(そう……そうね。とにかくレイラちゃんを元の身体に戻してあげなくちゃ)
今の現状を受け入れて気持ちを切り替えたわけではない。
ただできることを一生懸命にするだけーー。
ふと、トードリッヒさんの体に靄がかかっているように見えた。
それに先程の言葉……。
『トードリッヒさん。そういえば、さっき私に何かしましたか?』
『呪縛転嫁』そう聞こえたけれど。
『……ええ。お伝えしなくともすぐにお分かりになるでしょうから、言ってしまいますよ。ははは。ライム殿があまりにも多くの絶望を背負っているようでしたので、少し……分けてもらいましたよ』
『え……』
可笑しそうに笑うトードリッヒさんに戸惑いつつ、慌てて自分の中の魔法と付与された絶望を確認すると、ああ、本当だーー!
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『身体が黒く灰になる絶望』が転嫁され、一時的に絶望の効力を失っています。
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『こんなの……』
だめ……。
こんなことしたらトードリッヒさんの身体が、もうーー。
トードリッヒさんが自分の絶望を肩代わりしてくれたのだと知って、サーっと血の気が引いていくのがわかった。
「なんとかしないと」と、そう思うや否や、彼はふわりと宙に浮いた。
『今の貴女なら、迷うことなく魔法を行使できるでしょう?レイラを、頼みますよ……!』
頭に直接響くような声だ。
(嘘ーー、え、トードリッヒさんあなたは何をーー?)
目の前の出来事にライムは空いた口が塞がらず、彼が突然大きな声を出したものだから身じろいでしまう。
彼はいきなり、黒い灰のような姿になり、隣にいた妻のライラを抱き寄せ、レイラの頬にに口付けをしたのだ。
ゆっくりとレイラから離れ、また抱きしめる。
そこには父と娘の変わらない日常のような温かさがあった。
そんな風に見えた。
彼はもう人の姿を保ってはいないからだ。
黒く変色した灰のような身体。
もう散り散りになるくらい朧げに見える身体は、どんどんと形が無くなっていく。
唖然とするレイラちゃんから次第に泣きじゃくる声が聞こえる。
「うぅ……ひっく……」
『レイラちゃん……!!』
「わかってるの。もう、パパとママとおわかれなんだって……でも、でも……いやだよぅ、わたしもいっしょに、いきたいよぅ……」
いくら頭で理解したって、心はどうしようもならない。
あまりにも非情だ。
そんなことはライムだってわかる。
(もう、命がーー)
涙を優しく拭いながら、咄嗟に脳内で『叡智魔法』を発動する。
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世界の創設者の寿命により、世界が崩壊します。
崩壊まで、326秒ーー
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(トードリッヒさんはあらかじめこうなることがわかってたのねーー!)
ライムはバッと振り返り、トードリッヒとライラの方を見る。
不可解な行動と表情にようやく合点がいく。
しかもーー
『ママとお別れってことは、ライラさんも?!』
「うん……。おねぇちゃん……どうしよぅ、いやだよぉ。おわかれ、したくないよぉ」
腕の中でレイラちゃんは震えていた。
目の前で父と母との別れなんて辛すぎる。
トードリッヒさんは本当にこの結末を望んだのだろうか。
レイラちゃんが悲しむ未来を、彼は、望むのだろうか。
ライムは脳内で『叡智魔法』をフル起動させ、
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世界の創設者により肩代わりしていた呪詛が、彼女に戻ります。
よって、呪獣より受けた呪いの効果が発動。魂が消滅します。
さらに、『黒き魔法』保持者のため、絶望付与『身体が黒く灰になる魔法』が発動。
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呪いを肩代わりしていたトードリッヒが消えるということは、同時にライラさんが元々の呪いを受けてしまう。
身体が呪いに耐えきれないんだわ。
だから2人とも……。
泣きじゃくるレイラちゃんをぎゅっと抱きしめる。
トードリッヒがレイラから離れ、天を仰ぐと、
バリン!
バリン!!
バリンバリンバリン!!!
耳を裂くような亀裂音。
各所から聞こえる怒涛の音の連続。
耳を塞ぎ、縮こまり、立っているのがやっとであるくらいの凄まじい衝撃。
そこに立つ彼は、もう人ではなくなっていた。
ーー黒い、何か。
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世界の崩壊まで314秒。
崩壊により全ての事象、生物、あらゆる空間が消滅します。
退避を推奨。
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トードリッヒさんの世界の崩壊が、始まった。




