8
今回はセレネ様のターン
ー コツ、コツ、コツ ー
静かな図書館に自分の足音が響く。
窓からは気持ちの良い午後の暖かな光が差し込み、心まで暖かくなる気がする。
こんなに穏やかな気持ちでいられるのは何時ぶりかしら…。
少し前までは周りがよく見えていなくて暗闇の中を歩いている様だったけれど、今は視界が晴れて世界が鮮やかになった様にさえ感じる。
本棚に並んでいるタイトルを一つずつ確認しながら自分の心境の変化に思わず笑みが溢れる。
自分に余裕がなくて、変わってしまわれた殿下を取り戻したくて必死だったあの頃の私はいない。
順番に見ていると目的の本が見つかった。
本棚に並んでいるそれを手に取り表紙を優しく一撫する。
懐かしい。
去年の今ごろ、私が進めていた課題の資料になれば…と、殿下が教えてくださった一冊だ。
ただ借りていくだけでも良いのだけれど、心地よい一時をもう少し楽しみたくて窓側に設置してある読書スペースへと向かう。
本を机に置き、自分も椅子へと腰を下ろすと窓から差し込む日差しに思わず目を細める。
ゆっくりと表紙を開き、一枚また一枚と捲っていく。
あの日も、こんな暖かな日だった。
殿下と向かい合って座り、歴史の資料とこの童話『乙女の調べと光の王子』を並べて読み進めていく。
童話の内容は、聖なる力を持った一人の乙女が国の王子と共に悪に立ち向かい平和を取り戻すというよく在る冒険譚の一つ。
だけど、このお話は史実が元になっていて乙女と王子の子孫が今の王族と言われている。
この乙女の様に私も殿下の助けとなり、お側にいるのだと……ずっと思っていた。
幼い頃からの憧れはいつしか自分勝手な思い込みへと変わっていたのね。
私は殿下が変わってしまわれたのだと思っていた。
だけど…本当に変わってしまっていたのは……
「見て、一人でこんな所にいらっしゃるなんて何て惨めなのかしら。」
「本当だわ。影で嫌がらせを行う方はご友人がいらっしゃらないのよ。」
クスクスと言う陰湿な笑いと共に聞こえてきた会話の方へと視線を向ける。
あれは確か…オリゴ子爵家とブルド子爵家の御令嬢だったかしら。
こちらをチラチラ見ながら厭らしい笑いを浮かべて会話をしている。
「ご存じでして?教科書を破いたり制服にインクを溢したりしていたらしいですわよ。」
「陰湿ですわねぇ。」
「池に突き落としたとかも。」
「まぁ、なんて酷いのでしょう。」
何も知らないのか、何かを知っていて言っているのか……。
直接言うわけでもなく人を見下すような視線を送りながら続けられる会話に先程までの暖かな気持ちが消え、代わりに黒く醜い感情が沸き上がってくる。
違う、私はやっていないのに…何故そんな勝手な事を言われなければいけないの……。
否定したところで伝わらないのはもう知っている。
公爵家の令嬢としてこれではいけないのも理解している。
こんな醜い感情、持ちたくないのに……。
私は……私は……!!
「しかも嫌がらせをしていた男爵家の子に庇われたとか。」
「いやだわ、それでも公爵家の人間なのかしら?。」
とある言葉が聞こえ、ハッとする。
男爵家の子……シャルロッテさん。
あのパーティーで私という存在が否定され音をたてて崩れていくなか、私を掬い上げてくださった人の顔を思い出す。
真っ直ぐ私の目を見て、私の事を信じてくだる大切なご友人になった方を。
彼女の事を思い出すと不思議と心が軽くなった。
信じてくれる人がいるだけでなんと心強いことか。
そうですわね、私は一人ではありませんでしたわね。
それに、彼女が憧れていたと言っていた私はこの程度の事で嘆いたりもしないでしょう。
俯いてしまっていた顔を上げて背筋を伸ばして立ち上がる。
私が近づくことにも気がつかないほど話に花を咲かせいる二人に声をかける。
「随分と楽しいお話をしていらっしゃるのね?」
「ラ、ラメール様っ。」
「ごきげんよう。」
私に声を掛けられると思っていなかったのか、二人は声を震わせ視線を逸らす。
動揺しているのが手に取るように分かるわね。
確かに、少し前までの私ならただ沈黙を貫き、部屋を後にするくらいだったかもしれませんが…。
本来なら、この程度の陰湿な会話など取るに足らないことです。
「事実かどうかも分からない話を本人の前でするのはさぞかし自信がおありなのね?」
「い…いえ、そう言う訳では……ねぇ?」
「ええ、ただ…その…。」
段々と声が小さくなっていく。
先程までの威勢は何処へ行ったのかしら。
隙を見せてしまっていた私もいけないのですが、弱いものへは強気に出る態度はあまり好きにはなれませんね。
ため息を一つ吐くと言葉を紡ぐ。
「貴女方の言うように、確かに私は彼女に対し良くない思いを抱いておりました。」
「そうですわよね!たかだか男爵家の娘が殿下にお近づきになるなんて生意気ですよね!」
「しかも元庶民。汚れた制服がお似合いですわ!」
笑顔で話を聞いている私を良いように解釈したのか、嫌がらせの詳しい状況の説明つきで話始める二人。
これは、自白と捉えてもよろしいのかしら?
「お二人はよぼどシャルロッテさんのことがお嫌いなのですね。」
「え?」
「シャルロッテ…さん?」
私の言葉に彼女たちの表情が強ばる。
人のこと言えませんが、隙だらけ分かりやすすぎます。
「とても詳しく状況をご存じのようですが、今言ったことは貴女たちが?」
「え、それは…そう!ラメール様のためにやったのです!」
「ラメール様も殿下に近づくあの男爵家の娘が鬱陶しいご様子でしたので!」
どうやらこの二人には心当たりが在る様で、必死に言い訳をしてくる。
しかし、本人を目の前にして良く人のせいにできますわね。
醜いやり取りに、私もこんな姿をしていたのではと考えると頭が痛くなる。
今一度、背筋を伸ばし二人を見据える。
「情けないことに、一時の感情に振り回され私は彼女には酷い態度を取っていた事は認めます。しかし、私は何時、あなた方にそのようなお願いをいたしましたか?」
「それは…ラメール様がそうしろと言うような態度を取られていて…」
「私はいつも、シャルロッテさんに正面から物言っておりましたが、ご存じなくて?」
「お、お言葉だけなら何方でも言えますわ…。」
「そうですわ、私たちに罪を擦り付けようとされているのでは?」
自分達の事を棚に上げて責めてくる二人に、少し前の私なら心が折れてしまっていたでしょう。
人の悪意に、届かない言葉に嘆いて…。
ですが今は違う。
私を信じてくれるあの瞳があるのなら例え思いが届かなくても背筋を伸ばして凛としていらる。
「貴女方が私を信じないというのなら、それも結構。それは貴女方にも言えることですわね。そして人の行動というは誰かしらが見ているもの。調べればどちらが嘘を付いているかわかるかと思いますが?」
「誰が、今の貴女なんかを信じるっていうのよ!!」
「そうよ、やっていようとなかろうと貴女が全て…」
「その話、私にも詳しく聞かせてもらおうか。」
不意にかけられた男の人の声に胸がドキリと跳ねた。
よく知るその声に、はやる鼓動を落ち着けながら声の方に振り返りる。
そこには、二階に続く階段から降りてくる男の人が一人。
「殿下…。」
思ったより長くなってしまったので次話に続きます。