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あめあめふれふれ

作者: 村崎羯諦

「明日香ちゃん家もとうとう引っ越すことになったんだって」


 私の言葉に対し、お母さんは窓の外の雨を見ながら「そう」とだけ返事をする。お母さんのどこか哀愁漂う背中を見つめながら、よくもまあ毎日毎日変わり映えのしない天気を見てられるものだと心の中で私はつぶやいた。私が物心がついた時からずっと降り続けているこの雨が、今日こそは止んでくれるのじゃないかと本気で考えているとしか思えない行動だった。


「この雨も、あと何年降り続けるつもりなのかしら。うちも持ち家じゃなかったからとっとと別の土地に引っ越すんだけど……」


 お母さんは頬に手をあて、憂鬱気なため息をつく。窓ガラスの向こうに広がる陰鬱な空は、そんなお母さんをからかうかのように、雨足を強めたり弱めたりしてみせる。私だってお母さんと同じだけやるせない気持ちでいっぱいなのに、お母さんはちっとも私の気持ちを汲んでくれない。人が減っていくばかりのこのしけた土地から、数少ない同級生がまた一人いなくなってしまうのだ。外で思いっきりかけっこのできないこの町で、私はこれからどんな遊びをして過ごせばいいのか。お母さんの買い物と洗濯の悩みと同じくらいに、私にとってはとってもとっても深刻な問題だった。

 

「ねえ、お母さん、なんかして遊ぼうよ」

「駄目よ、お母さんはこれから隣町のコインランドリーまで行って洗濯物を乾かさなくちゃいけないんだから」


 お母さんが私の提案取り付く島もなく退けると、外に出かけるための準備をし始めた。私がお母さんにまとわりつき邪魔をしようとしても、お母さんは慣れた手付きで追い払うだけ。そこでようやく私は観念し、やむなく一人っきりで外へ出ることにした。


 何年もその場から動こうとしない性悪な雨雲が、低層の建物や閑散とした道路、すぐ目の前にあるなだらかな丘を黒く濡らしていた。知らない何年も続く雨で当たり前になっていいたものの、やはりテレビや旅行先で見かける風景とは違う陰気な雰囲気に私は辟易としてしまう。何をして遊ぼうかと玄関の端っこにできた水たまりをピチャピチャと踏みしだきながら考えてみる。時間はあるし、どこか遠出でもしてみようか。そうだ、ほとんど行ったことのないあの丘まで行ってみよう。私はすぐさま家のガレージへ向かうと、ハンドル部分に傘を取り付けられる自転車に乗り、丘を目指してペダルをこいだ。


 丘の麓に自転車を止め、傘だけを持って静かな丘の坂道を登っていく。お母さんが子供の頃、つまりは雨が時々しか降らなかったとき、この丘は幼稚園、小学校の遠足コースの定番だったらしい。おしゃべり相手がいないことは残念だけど、こうして景色を見ながら散策するのもそれはそれで意外に楽しい。私は学校で流行っている合唱曲の替え歌を歌いながら登っていく。傘にあたって響く雨音が、メトロノームのように一定のテンポで手拍子をしてくれた。


 丘の中腹あたりまで登りきった時、私はふと、きちんと舗装された道とつながる獣道を見つけた。地面は水分をふくんでじゅくじゅくと湿り、木々の枝に覆われて道の先はよく見えない。この道はどこにつながっているのだろう。私はどうせならと思い、その獣道へと進んでみることにする。腐りかけた木々の枝が屋根のように上に覆いかぶさる道を進んでいくと、その突き当りに私の背丈ほどの高さもある祠を見つけた。そして中では、可愛らしいお地蔵様が内壁にもたれかかるような格好で斜めに倒れてしまっていた。


 可愛そうだし、もとに戻してあげよう。私は壊れないようにお地蔵様の身体を両手でつかみ、ちゃんとまっすぐ立たせてあげるようと試みる。しかし、手前に置いてあった石製の花受けに右肘がぶつかってしまう。花受けはそのまま石台の上から転げ落ち、そのままゆっくりと斜面に沿って転がり始める。


「大変!」


 転がっていく花受けを私は慌てて追いかける。花受けは数メートルほど斜面を転がっていき、一本の大きな木の幹にぶつかって止まった。それと同時に、ぶつかった木の幹の内部から、カチリという小さな音がかすかに私の耳に届いた。なんだろうと、私は不審がって立ち止まって観察していると、木の上から突然、紐で繋がれた一個の丸い石ころが垂れ落ちてきた。より縄で繋がれた石は振り子のように左右に揺れ始め、私の左前方に積み上がっていた四角い石にこつりとぶつかる。小さな衝撃で石はぐらぐらとバランスを崩し、しまいには奥の方へとゆっくりと倒れ込んでいく。


 雨で濡れた斜面で転ばないように気をつけながら岩が倒れ込んだ向こう側へと回り込む。倒れ込んだ石ころの表面に右を指差す矢印が刻まれていた。私は導かれるようにして矢印の先へと向かう。傘を木の枝で破いてしまわないようにゆっくりとした歩いていくと、また岩に刻まれた同じような矢印があって、その矢印が指差す方向に歩いていくとまた同じような矢印を見つかる。それを数回繰り返し、初めて左右どちらかではなく、右斜め下を向いた矢印にたどり着く。私がその矢印の方向へ視線を向けると、そこには真っ白くて平べったい石が置かれてあり、その表面に「マヌケ」という文字が刻まれていた。


 人をこけにしやがって! 私は怒りに付き動かれるまま、思いっきり、その石を蹴飛ばした。すると、石は見た目以上に軽かったらしく、難なく前方へと飛んでいき、斜面に沿って止まることなく転がり落ちていく。マヌケという文字に気を取られて気が付かなかったけれど、石の先には一回り大きい丸い石があり、蹴飛ばされた石がそれにぶつかると、今度はその丸い石が代わって斜面を転がり落ち始める。


 石はゆっくりとしたスピードで斜面を転がっていき、突如、地面に掘られた謎の溝にハマった。溝は下に向かって左右ジグザクに掘られていて、その中を小川のように雨水が流れている。石はその溝の水流に流されるまま、ゆっくりとしたスピードで斜面を下っていった。


 溝の終点には何があるんだろう。私はゆっくりと流されていく石を見ているのもつまらないので、仕掛けを先回りして見てみることにした。ジグザグな溝のど真ん中を突っ切って降りていき、肩と足元を雨で濡らしながら進んでいく。溝は小さな段差のところで途絶えていて、私がその段差の下に降りてみると、すぐそばには線路で見かけるような大きなレバーを発見した。


 レバーは段差方向に倒れおり、持ち手部分には紐がくくりつけられていた。その紐は溝の終点部分に伸びており、その先っぽには口が広がった網とつながっていた。そのままじっと待っていると、流れる水に混じって先ほどの石が勢いよく飛び出してきて、そのまま網の中へと掬い取られる。しかし、石はゆったりとした水の流れから解放され、網に絡まりながらも勢いよく傾斜を転がり落ちて行こうとする。そして、その動きに引っ張られるようにして、紐で結ばれたレバーがギイと錆びついた音を発しながら、反対側へと切り替わった。


 それと同時に、雨粒が傘にあたってはじける音が止んだ。不審に思って周囲を見渡してみると、背の高い木の梢の合間から、薄白い一本の光の筋が丘の下の町に向かって降り注いでいるのが見えた。私は傘を傾け、上を見上げる。それでも、冷たい雨が私の身体を濡らしてしまうということはなかった。私はもう一度町の方の空へと視線を向ける。先ほどの光の筋は徐々にその大きさを増していて、雲と雲の合間からは、旅行先でしか見たことのない澄んだ青空がのぞいていた。


 私は傘をその場に放り投げる。そしてそのまま、陽の光が照らすあの町に向かって、思いっきり駆けだしていった。

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