歪みと竜
黒い闇のなかでばさりと翼を広げる。
深い水底のような夜空を、泳ぐように飛ぶのがノヴァイハは好きだ。
先ほど見てきた不快な生き物達は、空は飛べず、海底にも潜れず、何を楽しみに生きているのだろう?
あの醜悪な生き物とツムギが同じ種族だというのが不思議で仕方がない。
ノヴァイハの番はあんなにも愛らしいというのに…
同じ人族でも先ほどの生き物はただの醜い肉塊でしかなかった。
ノヴァイハがばさりと窓から部屋に入るとメロデイアとヒューフブェナウがこちらを振り返った。
「状況は?」
「結界の精度は良好、火力もちょうどいいんじゃないかしら、このまま蒸し焼きにして構わないならね」
メロデイアが軽い口調の中に、責める色合いを混ぜながらそう肩をすくませながら答えた。
机の上には使い魔の目を通した上空からの映像が映し出される。
人族が作った、ちいさな人族達の城。その城を囲む街ごと火にのまれていくその様子が。
黒い闇の中、赤い炎が黒い煙を赤く照らしている。
もうもうと黒煙が立ち上ぼる中を人々は逃げ惑い、僅かでも魔力のあるものは、目に見えぬ力で閉ざされた門を必死に開けようとか弱い魔術を放っている。
まさに阿鼻叫喚。
街は、人族の住む大陸の殆どを支配している大国の王都。
この国は人族にしては珍しく、同じ王朝が長く続いた。
暴虐王と呼ばれる人族と魔族の血をひく王が周辺国を圧倒的な武力で統一し、暴虐王の名となる圧政をしき国の基礎を作った。
そして己の血をひく賢王と呼ばれる二代目国王に倒され、その後は賢王の血をひくものたちが代々治めてきた。
そして、長き安寧の果てに、この国は再び混迷を深めていた。
今までは魔族まじりとはいえ、人として多少寿命が長い程度だった王族。その中で頭角を表し王位を継承した今王は、非道かつ残虐な手段をもって国土を一気に広げ、人族住む大陸全土を制圧、国内外から惨虐王と言われるようになった。
「しかし珍しいわね、こんな些末なことに手を下すなんて。」
しかもこんな処理、番を置いてまでやることなの?メロデイアの冷やかしを意に介さず、ノヴァイハは王城で足掻く命の気配に目をほそめた。
魔族の気配を纏う人族、この国の王族達。
「この国は大きくなりすぎたのだろう?ならば滅ぶのが道理。それが、わずかばかり早まった、それだけのこと。…みろ、あの肥大した王宮を…醜悪だな。」
ノヴァイハの示したその先にある城は、増築を繰り返し元の造形がわからぬほどに肥大した後宮を腫瘍のように付随させていた。
「この国の王は他国の王族に対して、婚姻という名の人質をとるので有名だったからね、このくらいの規模になってもおかしくはないわ。元は綺麗な城だったんだけどねぇ…」
占領した国の王族は皆殺しにし、幼い女の王族のみを飼い慣らし、傀儡として王位につかせ、その後婚姻関係を結ぶ。
停戦中の国とは和平交渉と言う名ばかりの交渉の席で行われる人質の交換は血さえ濃ければ年齢は問わず…
人族の王族はほとんどこの後宮にあつまっていると言っても良いほどにこの国は栄華を誇っていた。それは、人族に許された大陸を全て覆う王国の繁栄。
そしてその栄華の影で属国となった国々は多大なる犠牲をはらい、終わりの日を長引かせていた。
昨夜までは。
その栄華の絶頂の最中、この国の歴史はひとつの生き物によって閉ざされようとしていた。
魔術師により召喚された魔獣の暴走…そう歴史には残されることとなる。
一夜にして栄華を誇る王都を壊滅させた魔獣。
王都全体に僅かな隙間すら空いていない堅牢な結界を張ったのがノヴァイハだとしても。
魔獣が竜王種の血をもって変質させられたものだとしても。
歴史に竜の末裔達の名は残らない。
残るのはひとつの王朝の滅亡だけ。
「ねぇ、ノヴァイハ、あんたお嬢ちゃんがこの国王と婚約していた可能性が高いの…気にしてるんでしょう?」
メロデイアの言葉にノヴァイハは返事を返さなかった。
ただ、赤く燃える王城をみつめている。
「そうよねぇ、自分の番が他の人族と婚約関係にあったなんて…可能性を考えただけでも業腹よねぇ…」
ノヴァイハはニヤニヤと笑うメロデイアの顔面を鷲掴み、ぐいっと遠ざけた。
ヒューフブェナウは、はらはらとその様子を遠くから伺っている。
竜王種の喧嘩に巻き込まれるのはマリイミリアの拳と同程度に痛い。
しかし、マリイミリアの拳は愛があるがこの二人のとばっちりはただ痛いだけなので出来れば避けたい。
ヒューフブェナウは真剣にそう思う。
「だからって…何もそこに住む人族全員を殺すことはないと思うのよね」」
「うるさい、黙れ」
メロデイアはからかうような声色を急に変え、くるりと指先に白い髪を巻き付けながら言った。
「いいえ、黙らないわよ。ノヴァイハ、この都に住む人族全てを殺したら、あなたの魂が変質する。わかっているでしょう?」
「では許せと?あの醜い生き物達の生き残りが出ることを許容しろと?」
理解できない。
そう言わんばかりの苦い表情で、ノヴァイハはメロデイアの主張を鼻であしらった。
「そうよ、許すか許さないか判断するのは私たちじゃない。
あんたがさっき何を見てきたかしらないけどね。都市をまるごとひとつ殲滅しろなんて指示は出ていない。ノヴァイハ、世界は、それを、望んではいない。」
あえて区切るように言われた言葉にノヴァイハはギリッと歯をきしませた。
そうだ、メロデイアが正しい、しかしノヴァイハは先ほどみた景色がヘドを吐く程に不快だったのだ。
醜く肥大した人族の群れが…細く窶れた深い茶色の髪の少女に何をしていたのか、赤黒い血溜まりに沈む白い腕は何をつかもうとしていたのか。
それは常ならば気にもならない些細なこと。
強者に屠られる弱者の姿。
けれど…その髪の色が、年の頃がノヴァイハの琴線に触れたのだ。
あそこに居たのは…ノヴァイハに出会う前のあの子のなのではないか?
あの子の尋常ではない怪我は、あのようにしてつけられたのではないか?
そう考えたら考える間もなく、炎を放っていた。
城はじわじわと決して消えぬ、炎に呑まれていく。
逃げ惑うあの醜い肉塊達を閉じ込める檻を幾重にも張り巡らせて。
メロデイアの盛大なため息が聞こえる。
「まったく、ご丁寧にも治癒の効果のある結界を張るとか趣味が悪いわ。生きたまま炭になるまで焼かれるなんて…」
映像では城の中で奇声を上げて焼かれ続ける肉塊が転げ回っていた。
ぐうっとヒューフブェナウの喉がが奇妙な音を立てた。
そういえば昔からヒューフブェナウはこういったものが苦手だったような気がする。
「蒸し焼きの窯にするのは城だけにしなさいよ、城下は自然に延焼するに任せるのがいいわ、生きるも死ぬも運命のままに、私達はそこに関与しない」
…面倒だ。
そう思ったが口には出さず、張っていた結界の一部を置き換えようとした。
その時、かすかにツムギの声が聞こえた。
おかしい、まだ眠りの魔術が解ける頃ではないのに。
いや、まだ眠りの中か?
混乱と濃い怯えの気配。
『やり過ぎるなよ。お前の魂が歪みが番に影響がすると心してかかれ。』
かの国に飛び立つ前の兄王言葉が頭を過る。
まさかこのの程度で?
魂の歪みが番にも影響するのならば…
受けとる器の小さな方がより大きく影響されるのではないか?
その可能性に思い至りぞくりと背筋を悪寒が走った。
咄嗟に結界を簡素なものに書き換える。
「ノヴァイハ?どうした?」
メロデイアの言葉に返事もせずに
そのままツムギのいる寝室に跳んだ。
そこには不安そうに私の名前を呼ぶツムギの姿。
冷えた肩を震わせる体を抱き締め寝台へと誘う。
深く覗き混むように目をほそめる。
彼女の魂にまとわりつく黒い靄が柔らかな魂に小さな傷を入れていくのが見えた。
なんてことだ。
私は慌てて靄をはらう。
するとツムギは安心したように再び眠りについた。
ほうっとノヴァイハは安堵のため息をつく。
とろけそうに柔らかなその頬をくすぐる髪をそうっと優しく後に撫でつける。
ふわりとゆるむ口許に胸の中がほわりと暖かくなる。
そしてノヴァイハは思う。
なぜ私の番はツムギだったのだろうか?
こんなにも弱く脆く儚い人族なのだろうか?
世界は何をさせる気なのだろう?
問い掛けに答える声はなく、その答えを知る手掛かりも何一つなかった。