時をとめた子供
頭にざっくりと鋭い牙が刺さった。
あと少しあごに力を入れられたら死ぬな。
ヒューフブェナウは常にはあり得ない状況ながら冷静に考え…背筋がぞくりとした。
今、この牙の動きに自分の命だけでなく世界の命運がかかっていると言っても過言ではない。
狂いかけていた竜王種、その力は歴代最強といわれていた王弟ノヴァイハ様は長く番と出会えなかった。
番が見つからなければあと数百年を待たずに世界を焼き尽くす終焉の竜になるはずだったノヴァイハ様は時折意識を失い暴れるようになってからは王城の地下に兄であるヘリディオフ王とともに己を縛する呪を施して眠りについていた。
時折城を揺るがす叫びをあげていたが王都市街に降りることは無かった。
今日までは。
不可解な魔方陣から始祖の泉に堕ちてきた瀕死の子どもの側に舞い降りたノヴァイハ様はぼろぼろと涙を降らせた。
呪を引きちぎってきたのだろう優美な翼は敗れ白い竜体は部分的に赤く染まっていた。
涙と血をぼたぼたと流しながら番と思われる子どもを食い入る様に見つめる姿、その様子を見てヒューフブェナウはあの瀕死の子どもがノヴァイハ様の番だと確信した。
そして多少、いや、かなり体に負担が掛かろうともこの時限魔法は何としてでも死守しなければと気を引きしめた。
時をとめるという行為は自然に反する行為のため非常に魔力消費が激しいのだ。
とろりとした艶のある白い鱗の竜が泣きながら番を優しく舐めるのを少し離れて見ていた。
竜は愛情を示すために番をよく舐めるのだ。
その気持ちは理解できる。
理解できるのだが…
赤い舌が子どもを舐める度に少しハラハラする。
ああっノヴァイハ様、時限魔法をかけてるとはいえ怪我をしているのですからあまり弄らずに…
そうっとそうっとして…
あぁっ!
だめだ、声をかけよう。
「ノヴァイハ様、番の方は怪我をなされてますのでできればそのまま…」
ノヴァイハ様には私の声があまり届いていない気がする。
大きな涙がばっしゃんばっしゃんと番の方に落ちる。
体が大きい竜は涙も盥の水をひっくり返している量だ。
番の方の時をとめていなかったらとどめをさしかねない水量である。
…嬉しいのは判るが泣きすぎてはないか?
ノヴァイハ様は思いの外涙脆い方だったのか?いや、ようやく番に出会えたからか…
私は呑気すぎた。
番を害された竜は正常な判断力を失うことが多いのだ。
時限魔法で呼吸も鼓動もとめた番。
それを見てどう思うのか。
もう少し考えるべきであった。
ノヴァイハ様が番の方をくわえた。
そうっと
傷つけないよう細心の注意を払っているのが解る。
わかるが…口ではなく出来れば人の姿になって手で運んでいただきたい。
時をとめているとはいえ体の骨がバラバラなんですから。
そういいかけて…
その口がごくりと餌を呑み込むように動いたのを見た瞬間
とっさに番の方とノヴァイハ様の上顎の間に体を滑り込ませた。
口を閉じる力に負けて牙が頭にざっくりと刺さったが気にせず叫んだ。
「ノヴァイハ様っ!おやめください!生きておられます!番の方はまだ生きておられます!!!」
危ないところだった。
間一髪だった。
だらだらと背中に嫌な汗が流れた。
まさか番の死体(まだ生きてる)を食べるとは思わなかった。
狂っている竜の片鱗を見た気がする。
ずるっと己の体と共に腕に抱えた子を口内から引っきずりだす。
オ゛ェッ!?
えずきながら驚いた顔をしたノヴァイハ様と目があった。べっとりとついた唾液と血が頭から流れて視界が悪い。本能的な恐怖に曝される狂った竜の紫に明滅する瞳を腹にちからを入れて見つめる。
「まずは口から番の方をお出しください。」
半分呑み込んでますから。