しにかけの子供
その日、近衛兵隊長ヒューフブェナウは非番だった。
休日によく来る始祖の泉の近くの店でのんびりするのが彼のお気に入りだった。
ここならば王城からも近く、何かあれば始祖の泉の妖精が教えてくれる。
始祖の泉は泉とは名ばかりの小さな噴水である。
しかしその水は王城の地下にある水源と繋がっている、そしてそこに棲む精霊とも。彼らは彼らの王とその主に忠実だ。
今日も王都は平和だ。
すれ違う番達は幸せそうで…ゆったりとした空気が流れている。
王城で働く己の番に何を土産にしようかと考えるだけで心が弾む。
けれど、この平穏は薄氷の上にあることも解っている。この街の平和があとどれくらい続くのだろうか。そう考えぬ日は無い。
魂の片割れに長らく会えぬ孤高の竜。
終焉の竜に王弟が堕ちるまで、あとどれほどの時間が残されているのだろうか。
そうなったとき…
いや、やめよう、今はまだ…
不穏な考えを振り払うようにヒューフブェナウはカップに口をつける。そして、少しぬるくなった琥珀色の液体をひとくちふくみ飲みこんだ。
まだ、大丈夫。かの人はまだ……
!!?
突如、圧倒的な力の奔流が空に渦巻いた。
見上げた空には金色に光る魔方陣が広がった。
辺りがざわりとざわめく。
まさか王都を狙った攻撃かと身構えるが攻撃魔法に反応する様に構築された王都を守護する結界の発動は感じられない。
これほどまで複雑な魔方陣を一体誰が…
転移と…なんだこの見たことのない陣は。
魔方陣は何か包むように光を失った。
そして…バシャン!!と音をたて何かが始祖の泉に落ちた。
周りのものに近寄るなと声をかけ、騎士団詰所への伝言をたのむ。
そしてゆっくりとヒューフブェナウは得体の知れないモノに近付いた。
この騒ぎのなさなか微塵も動かぬそれは辛うじて人の形をなしていたが瀕死というに相応しい姿だった。
既に始祖の泉はその者の血で赤く染まっていた。
赤い水からゆっくりと浮かび上がるそれはまだ小さな子供。
「おいっ!しっかりしろ!!!」
己がぬれるのも気にせず
全身の様子を見るが子供には魔力がほとんどない。
ならば誰かがこの子をここにと転移させたのだろうか?
声をかけ、ふれた体はぐにゃりとしていた。
体中の骨が粉々に砕けているのだ。
赤まだらに染まった手には細い金の鎖。
金の鎖は王族が奴隷になった時の印。
こぽり
抱き上げた子供の口から空気の泡と血が溢れた。
あぁ、これは駄目だ。
僅かに残った命もあと少しで消えるだろう。
騎士団詰所の魔術師がここにくるまでこの子の命は持たぬだろう。
たとえ敵だったとしても…憐れな幼いこどもだ。ならばいっそ、今ここで苦痛を終わらせてやろう。
柄に手をかけ、ぐ、と力をいれた。
始祖竜よ、この泉で哀れな子供に、永遠なる慈悲をあたえるとことをお許しください。
何かの事件の重要人物なのかもしれない。しかし、子供の少ない竜人にとって子供は慈しむもの。
しかし生きたまま全身の骨を折られ、治癒されることなく転移で飛ばされるという非道を行われた憐れな子供に、少しでも早く安らぎを与えることを誰がとがめようか。
心の臓をひとつきに、おわりにしてやろう。
スラリと引き抜かれた剣先は子供の胸へ…
突き立てられることはなかった。
ドオオオオオン!!!
ギシャァァァァア!!!!
王城から竜の鳴き声が、そして続く破壊音。
放たれる閃光ともうもうと上がる黒い煙。
辺りから悲鳴が上がる。
王城の破壊、それはすなわち終焉の竜が放たれるということ。
何故だ?!
あの方はまだそこまで狂っていなかったはず。
終焉の竜になるまでにはまだ僅かばかりの時間が残されてたはず…
はっ!!
ヒューフブェナウは息を飲んだ。
ひとつの可能性に気付いたからだ。
赤く染まった始祖の泉、そこに繋がる王の城の地下、突如暴れだした王弟。
咄嗟に瀕死の子供に時限魔術を展開する。
万が一の可能性のために。
この子供の命の灯火を守るために。
この世界を、街を、民を、番を守るために。
そして、街が黒い影に覆われた。