回らない竜
彼女は会話の途中で魔力が切れたようにパタリと寝てしまった。
話したいことも聞きたいこともまだまだあったけれど、意識が戻ることがわかったのだ。焦ることはない。
「愛しているよ私のツィー」
囁くと多幸感にぶわりと包まれた。
けれど番と出会って変化がおこるはずの体がそのままということは…
何か足りないのだろう。
まずは名前だ。
頭では解っている。
みねまえ つむぎ
愛しい番の名前。
あとはこの口さえ動けばいいのだ。
この愚図な口さえ。
子供の頃に…確か口のまわりをよくするための言葉があった気がする。
名前をきちんと呼べない竜人は番探しも大変だと…母が…いや、祖母か?
「赤ガーゴイル青ガーゴイル黄ニャルゲンガズィオデ」
それほど言いにくくはなかった。
ほかにもこんな言葉がいくつかあった気がする。
みねまえつむぎ あなたの大切な名前を次にはちゃんと呼んでみせるから。
マリイミリアはドアの向こうで人の話す気配を感じた。
そして強い喜びの波動も。
あぁ目覚められたのですね番の方が。
すぐに食事が出来るように調理場に連絡し、治癒師のミルエディオと陛下に伝えるように手配した。
それに今晩はヒューフブェナウとお祝いしなくては。
ずっと長い間心配していたのだから。
長く番に出会えず狂っていく友を見続けて。
気づいたら足取りが軽くなっていた。
侍女頭としては失格だわ。
こほん、と咳をひとつ。そして気持ちを切り替える。
ドアをあけるとベッドのそばで蹲り難しい顔で子供の口回し言葉を呟くノヴァイハ様が居た。
…先ほどの波動は気のせいだったのかもしれない。
「ノヴァイハ様?」
「赤ニャルゲン…ああ、マリイミリア…赤ニャンゲン?ニャルゲル?んん?」
ノヴァイハ様は竜王種らし老化が遅く、見た目はまだ若い竜そのもので見目も悪くはない。いささか…いや、多分に雄らしさには欠け竜人にはあまり好まれないが人族にはこのくらいの方が良いのだと聞いたことがある。
まだ白い髪はこれから鮮やかに染まるだろう。
まだ幼さの残る番様と並ばれてもとても千の年の差があるとは思えない。
されど千歳。
子供の口回し言葉で遊ぶには遅すぎるしボケ防止には早すぎる。
「ノヴァイハ様いかがいたしました?」
「ああ…名を聞けた」
「まぁ!!!やはり目覚められたのですね!」
「少し話したらまた眠ってしまったよ」
「大怪我をされたとお聞きしましたわ。体の魔力の巡りが治るまで仕方のないことですわ」
ノヴァイハ様は番のお名前をお聞きできたというのに歓びが薄い。
男の竜というものは番の一挙一投足に一喜一憂するもの。それはもう憐れなほどに…ヒューフブェナウも初めて名問いをした時など歓びのあまり竜体になって山をひとつ更地に…いえ、それは今はどうでもいいこと。ここまで沈むとは何があったのかしら…
「名が呼べなかったのだ」
「え?」
「名が難しすぎて呼べなかったのだ!!」
言わせないでくれ哀しみで死にそうだ!!!とノヴァイハ様はベッドに突っ伏した。
「まあ!それはなんという…グズ男」
名問いをして名を呼べないなど…竜人の男としては最低のマナー違反。
私の子供にも孫にもそんな大失態をおかすような教育を私はしませんでしたわ。
「私だって王族のはしくれ、人並み以上に鍛えているのだ!なのにっ!ミェーマツミィギと言えなかった!」
「ミェーマツィミギ様ですか?」
「違う!ミェネマェ ツィミギだ。ああっ言えていないし!!!」
「ミェーマツ ミィギィ様?」
「違うと言っているだろう!そんな妙なところで切るな!!!」
難しい。番の方はとても難しいお名前なのですね。
グズ男なんて言ってすいませんノヴァイハ様。
「ツィーと呼んで欲しいと言われたよ。マリイミリア、君達はツィーでも許されると思う。」
「まあ!番が名前を呼べないからと略することを御許しになるなんてお優しい方ですわ!わたくしなら死なない程度に殴った後に血を吐くまで練習させますのに…」
「そう、私の番は世界一やさしいのだよ」
とろりと蕩けそうに甘い顔で微笑むノヴァイハ様。
いけません、ノヴァイハ様。
ツィー様の優しさに甘えて名を喚ばないなんて…
そのグズ男精神を今すぐ私が鍛え直して差上げますわ。
『ニャルゲンガズィオデ』
竜人国における秋の風物詩。
ドケトゲとした外皮に守られた果実は柔らかく美味。香り高く滋養も豊富、美容にも良い。
非常に人気のある果実だが痛みやすいため市場には出回りにくい。
そのため秋には番にねだられた雄竜が篭を抱えて山にニャルゲンガズィオデ狩りにいく姿を多々見ることができる。それを含めた上での秋の風物詩である。
果実には僅かに滑りがあるためニャルとついたとされている。
鋭いトゲに包まれた傷つきやすい美味なる果実はツンデレな番に愛を囁く常套句としても使われる。
(例)
「僕の愛しのニャルゲンガズィオデ」
「私の可愛いニャルゲンガズィオデ何をそんなに怒っているの?」
竜人国世代を越えたベストセラー
「番に愛を伝える100万の手引き」より抜粋