見惚れる竜
目覚めの気配に警戒を強めるふたりの視線の先でレーゲンユナフの一定だった呼吸が僅かに乱れ、その後息を深く吐いた。
僅かに瞼が動く。
ルエルハリオは食い入るようにその動きに見入った。
ミルエディオの治癒魔術が終わり、身体の主導権がレーゲンユナフへと戻りつつあるのだ。
灰色の髪の隙間から見える瞳が僅かに開く。
ゆっくりと瞬きを繰り返す。術を解いていないため生気はなくぼんやりとしているがその瞳の色はーー灰青色。
ルエルハリオとミルエディオは二人同時に安堵の息を吐いた。
「どうやら大丈夫そうですね」
ミルエディオ様のやわらかな声に緊張の糸がゆるむ。
「良かった⋯」
本当に⋯良かった。
ルエルハリオは安堵のあまりまた溢れた涙を指先で拭った。
心底震えがおきるような⋯あの狂った竜特有の紫色ではなかった。⋯時折ノヴァイハ様の瞳に現れるあの色ではなかった。
覚醒を求めてゆったりと瞬きをする度に長い灰色のまつ毛が明け方の空のような色の瞳に雲のようにかかる。
なんてきれいなのだろう。
目が離せない。いや、離したくない。
「では、解きますよ」
ミルエディオ様の声とともに裂傷のあった喉の上を起点に淡く光る魔法陣が浮かび、くるくると回転しながら翳された掌に吸い込まれるように消えていく。
光が消えたその直後、ゴホッと痰が絡むような咳をしたため慌てて呼吸のしやすい体勢にし、傍にあった手桶を口元に翳す。
直後、ごぽっと大量の赤黒い液体が吐きだされた。
その後もごほ、ごほっ激しくとむせる背中をさするたびに溜まっていた血が吐き出され、ばちゃばちゃと音をたてて手桶に溜まっていく。
その震える背中はルエルハリオよりも大きいのに、酷く弱々しく見えた。
ほんの少し前までは触れるのが怖いとさえ思っていたのに、苦しんでいるその背を撫でることに躊躇など欠片もなかった。
むしろ触れている掌から伝わる竜気に体中の細胞という細胞が歓喜に震える。
番、ぼくの番。
優しくしたい。
誰よりもこの人に優しくありたい。
咳が落ち着いた頃合いをみて手桶をさげ、柔らかな布でそっと生理的に溢れたであろう涙をぬぐい、血で汚れた口元を拭く。
ぱちりと灰青の瞳と目が合う。
涙に潤んだ瞳は大きく見開かれ、キラキラと輝いていた。
なんてきれい。
コホッと再び咳が出て、震える大きな手が布を持って自ら口元をおさえた。
逸らされてしまった瞳を残念に思っているとそっとミルエディオ様に肩を押され、数歩後ろに下がる。診察をするのだと分かっているけれど離れがたかった。
少し離れた所から激しく咳をして疲れたのだろう、大きく息を吐き、目を閉じたまま枕に再び沈む。
「レーゲンユナフ、具合はどうです?」
ミルエディオ様の問いかける声は親しげな関係がうかがえる話し方で⋯少し胸がちくりとした。
「⋯コホッ⋯あーー俺よく生きてるな⋯」
想像よりもずっと声が低い。
少しカサついた声がかっこいい。
耳に優しいゆったりとした声が体中に歓喜とともに広がった。頭から指先まですべての意識が目の前の竜人に向く。
はーと再度ため息をついたそのひとは、ゆっくりと目をひらいた。灰青の瞳。涙が落ち着いたからだろうか、瞳に先ほどの輝きはもう無かった。とても綺麗だったのに。
「全く、食い意地を張るのも大概にしろと何度もいっているでしょう?」
「はは、流石に今回は死んだと思ったんだがなーー」
ふたりのポンポンと弾む会話に胸がぎゅっと締め付けられるように痛む。自分が知らないふたりの時間があった事実にどうしようもない差を感じる。ミルエディオ様がちらりとこちらに心配そうな視線を送る、胸の苦しさを手をきつく握ることで耐える。
けれど、なによりも胸を苦しくさせるのは⋯
⋯なんで⋯
「あ、あの、これ、片付けてきます」
思わず手桶を持って立ち上がり、その場から逃げてしまった。
そんな必要ないのに。流しに行かずとも手桶など浄化すれば一瞬で綺麗になるのに。
けれど、もうこれ以上あの場所にいられなかった。
⋯なんで?
甘い香りも、触れた指先からも、合わせた瞳からも、声からも伝わってくるのに。
番だと全てが訴えてくるのに。
唯一人、ひとりしかいない、大切な存在だと
全てがその存在の全てが訴えかけてくるのに⋯
会ったらすぐに分かるのだと。
出会った瞬間に恋に落ちるのだと。
そう聞いてきたのに⋯
閉じた扉の前でずるずると座り込む。
絶望に目の前が暗くなる。
⋯なんで⋯
なんで、なんで、なんで⋯
なんで⋯僕を見てくれないの⋯?
声をかけられなかった。
気づいてもらえなかった。
目すら合わせてもらえなかった
名前を⋯名前を聞いてもらえなかった。
なんで?
自分の何がいけなかったのか⋯わからなかった。
パタンと扉がしまる。
小さな身体をより小さくして去っていった後ろ姿を見送りミルエディオは呆れた顔をして友を振り返った。
「全く。メロディア様といい、貴方といい⋯なんでそんなに無駄に我慢強いのか⋯私には理解しがたいですね、それにうちのかわいい部下を虐めないでもらいたい」
攻める口調でいうも、レーゲンユナフの顔はこちらを向くことはなかった。
逃げるように部屋を出ていった部下の姿をまるで扉を透視しているかのように凝視している馴染のその姿にもう一人の友が重なる。
「⋯⋯⋯めっちゃ可愛い」
「聞いてませんね?」
ミルエディオは呆れたように溜息をつき昔馴染みの耳を捻じるように引っ張った。




