皺と幼竜
ヒューフヴェナウ様の若い頃は皆勤賞を取れるほどに医務室に頻繁に運ばれていたという。
ルエルハリオが勤め始めた頃はそこまで頻繁ではなくなっていたけれど。
竜体が大きすぎて街では竜化が出来ず、そのため人型のままで負った傷を治すために時間がかかり⋯いつも二刻ほど病室で治癒を受けて眠る。
そして起きた後は何事もなかったかのように部屋を去っていく。
時々マリイミリアさんが迎えに来る前に起きて居ても、寝たふりをしていたりするのが少し可愛いと僕はこっそり思っていた。
ヒューフヴェナウ様は寝たふりをしているときのイビキが独特過ぎて、笑うのを堪えるのが大変だった。
僕以外も同じ事を思うらしく、医務室の日報にはよく同様のことが書かれている。
先輩達はマリイミリアさんとヒューフヴェナウ様の関係はどつき愛という愛の形なのだという。
僕にはよく分からない。と素直に言ったら先輩達はお前はまだ幼いからな。と頭を撫でてきた。
そんな愛の形は分からなくてもいい気がする。
だって、好きな人には優しくしたい。
傷ついてほしくないと思う。
そういうものじゃないのだろうか?
僕は寝台に横たわる竜人をじっと見つめる。
『この慌ただしさ懐かしいな』そう先輩が言っていた時は自分がうまれる前の日常に少しだけ思いを馳せだけだった。
けれどその会話以降今日に至るまでの慌ただしさはルエルハリオが治癒師になってはじめてのものだった。
日がな一日のんびりと過ごし、時々訪れる患者を待つ。時々マリイミリアさんと何かあったであろうヒューフヴェナウ様が運び込まれる時が唯一慌ただしくなる⋯そんな日々だったのに。
最近の賑やかさの原因の一端を担っていた目の前で眠る竜人が自分の番だったなんて。
こんな事になるなんて数刻前まで思ってもみなかった。
くすんだ灰色に近い白色の髪、身体は大きく、全体的にがっしりとしている。
腕など僕の数倍の太さがある。
顔は彫りが深く男らしい。目尻と口元には皺がある。皺は笑ったらきっともっと深くなる⋯そんな皺。
きっと凄く優しい顔で笑うのだろう。
まだ一度も見たことのない笑顔のがはやく見たいと思った。
誰よりも若い竜人の僕だけが番の笑顔を知らない⋯
皺が刻まれるほどに長い時、その時にぼくだけが存在しなかった。
目の端に刻まれた皺は今まで生きてきた時間を表すもの。
全て会えなかった時間の長さをあらわしていた。
ノヴァイハ様と同じ時期に孵化したということは⋯ただの竜人ならば、もう命の終わりが近いということ。
竜王種と同時期にうまれた竜人は竜王種を支えるために長命であるとは聞いているけれど⋯
老いが外見に出始めた竜人の命がそう長くはないことも知識として知っていた。
残された時間は多くない。
その事実に背筋に冷たいものが走り、ぶるりと震えた。
自分はどれほど一緒にいられるだろうか?
今まで、どれだけたくさんの竜人がこのひとの隣に立ったのだろう?
自分が見たことのない笑顔を、聞いたことのない声を、どれだけのひとが、知っているのだろう?
もやもやとした気持ちが沸き起こる。
残りの時間を全て僕が貰えればどんなに良いか。
番との時間を一欠片も奪われたくない。
囲い込みたい欲求が胸に拡がる。
扉を隔てたむこうには数人の同僚の気配。
ねむっている番が簡単に誰かに見られる状態に無防備でいるということが酷く心をざわめかせる。
あぁ、本当にこんな時に巣があればよかった。
あれこれ考え過ぎて巣さえ用意していなかった自分に腹が立つ。
ルエルハリオの巣は小さすぎてこの大きな番は寝台から足が出てしまうし、きっと入り口で頭もぶつけるだろう。
こんな事になるなんて思っていなかったから、何ひとつ用意していない。
こんなにも弱った番を安全な場所に運ぶことすら出来ないなんて。
不甲斐なさに涙がにじむ。
雌だとか雄だとかそんなことぐだぐだと考えずに、ただ相手を喜ばすためだけの純粋な努力をしていればよかった。
床をピカピカにしたり、キラキラをあつめたり、ふかふか巣材をあつめたり、そうやって素敵に整えた巣に案内して、まだちっちゃいねって笑って、これからおおきくしていこうねって2人でくっついて眠れたらどんなに素敵だっただろう。
尻込みして、言い訳ばかりして、逃げていないで、少しでも努力していたら、こんなにも、悲しい気持ちにならずに済んだのかもしれないのに。
はぁ、とため息をついた。
甘い香りは柔らかく温かい。
陽だまりのようなおおらかさを感じるやさしい香り。
靴を脱がせた時に気づいだけれど靴下の色が深い紺色と黒だった。
色が似ているから間違えたのだろう。
しかし⋯几帳面なルエルハリオにとってはありえない現象だった。
大雑把な性格なのかもしれない。いや、きっと大雑把なんだと思う。
竜体から人型に戻る時は着ていた服や装備が弾け飛ばないように魔術が発動する。
竜体から戻る時は直前まで着ていた服か、事前に登録していた服か選べる。
基本的に後者は竜体になるほど危険な目に遭ったと想定し、戦闘用の装備となっている。
それぞれ己の得意とする武器等を持っている状態にすることが多い。
なのに⋯ルエルハリオの番の武器はなく、持っていたのは包丁だった。
驚くルエルハリオに彼は根っからの料理人ですからね。とミルエディオが教えてくれた。
料理だからなのか⋯通常よりも大きな包丁、それから小さな包丁がふたつ、それらが鞘に納まりベルトに通してあった。
見る限り攻撃用の武器がない。
この人は一体何を考えているんだ?と目眩がした。これでどうやって自分を守るというのだろう?
しかも、背中に大鍋を背負っていた。
なぜ鍋を。
ダンジョンに住むという料理好きドワーフでもあるまいに⋯。
目眩は頭痛に変わった。
信じられない⋯これで旅を?これて世界中を旅していた??
この人は一体どうやって生きてきたのだろう?
こんな無防備とも言える装備で?
そう思う一方で、そんな番の奇妙に抜けた所が酷く可愛いく、魅力的とさえ思ってしまうのだから⋯
浮かれた自分自身に呆れてしまう。
幾度目かわからないため息を吐いているととんとん、と扉が叩かれミルエディオ様が戻って来た。




